虚報誤報(読み)きょほうごほう

改訂新版 世界大百科事典 「虚報誤報」の意味・わかりやすい解説

虚報・誤報 (きょほうごほう)

客観的〈事実fact〉と,ある部分,ある側面が明白に違う報道(主としてマス・メディアの)を誤報といい,その極大化したもの,取材源,ジャーナリスト,構成者の思いこみ,推定ミスなどによるものにせよ,意図的な作為によるにせよ,まったく事実でないこと,起こっていないことを,あったかのように報ずるのを虚報という。フィクションを現実のニュースとして提供するのと,善意,悪意を問わず,フィクションを混入するのとの違いではあるが,具体的事例にそくして,両者の間に境界線をひくことは難しく,ふつう日用語では誤報という用語で一括している。

 ジャーナリズム史上著名な誤(虚)報としては,1835年8月,ニューヨークの大衆紙《サンSun》が,天文学者ハーシェルJohn Herschelの最新設備巨大望遠鏡による大発見と称して,月にコウモリ状(manbat)の生物がいるという続きものを連載した事件〈Moon Hoax〉があげられる。ニューヨーク各紙は争ってこれを転載,熱狂的ブームを巻き起こして《サン》の部数急増(1万9000部で世界一と自称)する。ハーシェルの活動までは事実であるが,発見の内容はロックRichard Adams Lockeという記者の創作で,部数を伸ばそうとする意図的な誤報であった。戦後日本の著名な誤報では,1952年9月27日の《朝日新聞》にのった,当時地下潜行中の共産党幹部の一人であった伊藤律会見記がある。〈宝塚山中に伊藤氏--本紙記者が会見〉という大見出しの記事は,大スクープとして宣伝されたが,実は同社神戸支局記者の虚構の作文であった(9月30日に訂正)。これも激烈な新聞社間の競争がその基底にあったとみられる。それよりもこの〈会見記〉は,山の中で,〈不精ヒゲ,鋭い眼光〉--低度の常識が治安当局に追われている地下活動家についていだくイメージそのもの--の伊藤と会うという内容で,そうした状況におかれている人間がわざわざ新聞記者に会ってメッセージを伝えなければならぬ必要はどこにもなく,こうした幼稚な〈作文〉が社内のいくつかの関門をとおり,一時にもせよ世間に信用された,ということのほうが問題であろう。

 作為的でない誤報としては,1952年4月9日,日航機〈もく星号〉が三原山に衝突して乗客全員が死亡する事故の報道がある。翌10日の朝刊各紙は〈全員救助〉と誤報,《長崎民友》にいたっては,乗客の大辻司郎談話として〈僕の漫談材料がまたふえた訳で……〉と,死者に語らしめてしまう。それ自体が一編の暗い漫談であるが,逆にいうとマス・メディアの談話,有名人コメントなどの類に,日常的にいかに慣行的フィクション(いかにもしゃべりそうなことを書く)が混入しているかの事例としてみてもよい。

 誤報の事例には,社会的話題になる極端なもののみがあげられる。しかし,メディアの日常報道の対象には,どこを見て,どこを記録するかで大きく変わる複雑な次元様相をもつ大衆運動,究極は推測するしかない不可視の対象,個人内面の感情,意図などが広範にふくまれている。容易に語れず,記述できない数多くのものが,慣行として報道の各種パターンのなかに組み込まれ,われわれもそのニュースの形をとった断言命題群を平明な〈事実〉として受けとる日常習慣をつくっている。誤報は,それを最小限にとどめることがジャーナリストの基礎目標の一つではあるが,そうしたつりあいの全体に一瞬視線を向けさせる一つの契機でもある。
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