板垣征四郎(読み)イタガキセイシロウ

デジタル大辞泉 「板垣征四郎」の意味・読み・例文・類語

いたがき‐せいしろう〔‐セイシラウ〕【板垣征四郎】

[1885~1948]陸軍大将。岩手の生まれ。関東軍参謀として満州事変に主導的役割を果たした。近衛平沼内閣陸相支那派遣軍参謀長を歴任。第二次大戦後、極東国際軍事裁判A級戦犯とされ、絞首刑

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精選版 日本国語大辞典 「板垣征四郎」の意味・読み・例文・類語

いたがき‐せいしろう【板垣征四郎】

  1. 陸軍大将。岩手県出身。近衛、平沼両内閣の陸相。満州事変に主導的役割を果たした。第二次大戦後、極東国際軍事裁判で戦争責任者の一人として、東条英機らとともに絞首刑を宣告され、刑死。明治一八~昭和二三年(一八八五‐一九四八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「板垣征四郎」の意味・わかりやすい解説

板垣征四郎
いたがきせいしろう
(1885―1948)

陸軍軍人(大将)、陸軍大臣。明治18年1月21日岩手県に生まれる。陸軍士官学校、陸軍大学校卒業。参謀本部員のあと北京(ペキン)公使館付陸軍武官本庄繁(ほんじょうしげる)の補佐官となる。本庄が関東軍司令官になるとその下で高級参謀、奉天(ほうてん)特務機関長に就任し、作戦参謀石原莞爾(いしわらかんじ)とともに1931年(昭和6)満州事変を引き起こし、「満州国」創設後は満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、師団長を歴任した。この間、「満州国」を「五族協和」「王道楽土」にすると主張し、満州拓殖株式会社を設立して、20年間に100万戸、500万人という移民計画を推進し、これを「日本民族の大陸移動」と名づけた。1938年(昭和13)5月、第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣の改造で陸相として入閣、国家総動員法の追加発動、満州産業五か年計画の実施に努め、平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)内閣にも留任して、汪兆銘(おうちょうめい)政権工作を推進し、三国同盟問題で強硬態度を示した。のち朝鮮軍司令官、第七方面軍司令官となる。極東国際軍事裁判でA級戦犯として、1948年(昭和23)12月23日絞首刑に処せられた。

[佐々木隆爾]

『『秘録 板垣征四郎』(1967・同書刊行会)』

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「板垣征四郎」の解説

板垣 征四郎
イタガキ セイシロウ


肩書
陸相

生年月日
明治18年1月21日

出生地
岩手県岩手郡岩手町

学歴
陸士〔明治37年〕卒 陸大〔大正5年〕卒

経歴
明治37年少尉で日露戦争従軍、奉天郊外で重傷、内地送還。大正8年中支派遣軍参謀、参謀本部員、中国公使館付武官補佐官、昭和3年歩兵第33連隊長。4年関東軍高級参謀となり、部下の石原莞爾と謀って6年9月満州事変を起こした。7年関東軍司令部付満州国執政顧問として溥儀を指導、9年満州国軍政部最高顧問。11年関東軍参謀長、12年第5師団長。13〜14年第1次近衛内閣及び平沼内閣の陸相を務め、日独伊三国同盟問題で米内光政海相と対立。14年支那派遣軍総参謀長。16年大将、朝鮮軍司令官。20年第17方面軍司令官から第7方面軍(シンガポール)司令官。敗戦後、東京裁判でA級戦犯として絞首刑の判決を受け、23年12月23日処刑された。

没年月日
昭和23年12月23日

家族
息子=板垣 征夫(ゼクセル会長) 板垣 正(参院議員) 兄=板垣 政参(生理学者)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「板垣征四郎」の解説

板垣 征四郎
イタガキ セイシロウ

大正・昭和期の陸軍大将 陸相。



生年
明治18(1885)年1月21日

没年
昭和23(1948)年12月23日

出生地
岩手県岩手郡岩手町

学歴〔年〕
陸士〔明治37年〕卒,陸大〔大正5年〕卒

経歴
明治37年少尉で日露戦争に従軍、奉天郊外で重傷、内地送還。大正8年中支派遣軍参謀、参謀本部員、中国公使館付武官補佐官、昭和3年歩兵第33連隊長。4年関東軍高級参謀となり、部下の石原莞爾と謀って6年9月満州事変を起こした。7年関東軍司令部付満州国執政顧問として溥儀を指導、9年満州国軍政部最高顧問。11年関東軍参謀長、12年第5師団長。13〜14年第1次近衛内閣及び平沼内閣の陸相を務め、日独伊三国同盟問題で米内光政海相と対立。14年支那派遣軍総参謀長。16年大将、朝鮮軍司令官。20年第17方面軍司令官から第7方面軍(シンガポール)司令官。敗戦後、東京裁判でA級戦犯として絞首刑の判決を受け、23年12月23日処刑された。

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改訂新版 世界大百科事典 「板垣征四郎」の意味・わかりやすい解説

板垣征四郎 (いたがきせいしろう)
生没年:1885-1948(明治18-昭和23)

昭和期の陸軍軍人。岩手県生れ。陸軍士官学校卒(16期)。少尉で日露戦争に参戦,歩兵第47連隊長,参謀本部支那課勤務などを経て1929年以後関東軍高級参謀として石原莞爾らとともに満州事変,満州国創設の主謀者の一人となり,満州国執政顧問,同軍政部最高顧問などを歴任。36年関東軍総参謀長となり,満州国に隣接する華北五省(河北,山東,山西,チャハル,綏遠)を日本支配下におく,いわゆる華北工作,同じく内蒙工作などを推進した。日中戦争の拡大にともない,ソ連への対応準備のため,石原らとともに〈不拡大派〉とみられて38年第1次近衛文麿内閣の陸相となったが,拡大をとどめることはできなかった。41年陸軍大将。敗戦後A級戦犯として処刑された。
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百科事典マイペディア 「板垣征四郎」の意味・わかりやすい解説

板垣征四郎【いたがきせいしろう】

陸軍大将。岩手県出身。1929年以降関東軍高級参謀として石原莞爾(かんじ)らとともに満州事変満州国創設の主謀者に名を連ね,事変後の戦争拡大の責任者の一人。1936年関東軍総参謀長となり,華北分離工作を推進。1938年第1次近衛文麿内閣の陸相,支那派遣軍参謀長,朝鮮軍司令官などを歴任。極東国際軍事裁判でA級戦犯として絞首刑。
→関連項目行地社柳条湖事件

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「板垣征四郎」の意味・わかりやすい解説

板垣征四郎
いたがきせいしろう

[生]1885.1.21. 岩手
[没]1948.12.23. 東京
陸軍大将。仙台地方幼年学校を経て,1903年陸軍中央幼年学校卒業。翌年日露戦争に小隊長として出征。 16年陸軍大学校卒業後中国に勤務。第1次世界大戦中の作戦では 19年中支那派遣隊参謀として活躍 (石原莞爾と同時勤務) 。 29年関東軍高級参謀となり,作戦主任参謀石原中佐とともに満州事変の演出者となった。 36年関東軍参謀長。次いで日中戦争勃発後の 38年第1次近衛文麿内閣の改造で入閣し陸相となった。また 39年支那派遣軍総参謀長として中国本土に展開した日本軍の作戦上の責任者となった。 41年朝鮮軍司令官。 45年第 17方面軍司令官,第7方面軍司令官。 48年A級戦犯として刑死。伝記刊行会編『秘録板垣征四郎』 (1972) がある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「板垣征四郎」の解説

板垣征四郎
いたがきせいしろう

1885.1.21~1948.12.23

大正・昭和期の軍人。陸軍大将。岩手県出身。陸軍士官学校(16期)・陸軍大学校卒。参謀本部部員・北京公使館付武官補佐官などを歴任。中国通として知られる。1929年(昭和4)関東軍高級参謀となり,石原莞爾(かんじ)とともに満州事変をおこす。満州国執政顧問・関東軍参謀副長などをへて,38年近衛内閣の陸相に就任,ついで支那派遣軍総参謀長・朝鮮軍司令官となる。第2次大戦後,A級戦犯となり刑死。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「板垣征四郎」の解説

板垣征四郎 いたがき-せいしろう

1885-1948 明治-昭和時代前期の軍人。
明治18年1月21日生まれ。昭和4年関東軍高級参謀となり,6年石原莞爾(かんじ)とともに満州事変をおこし,満州国を成立させた。のち満州国軍政部最高顧問,関東軍総参謀長。13年陸相,16年陸軍大将。昭和23年12月23日A級戦犯として刑死。64歳。岩手県出身。陸軍大学校卒。

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367日誕生日大事典 「板垣征四郎」の解説

板垣 征四郎 (いたがき せいしろう)

生年月日:1885年1月21日
大正時代;昭和時代の陸軍軍人。大将
1948年没

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世界大百科事典(旧版)内の板垣征四郎の言及

【行地社】より

…講演会や出版活動を通して小学校教員や学生などへの働きかけも行われたが,活動の力点は,大川の古くからの人脈を利用して陸軍中央,とりわけ参謀本部の中堅将校への働きかけにおかれた。この結果,板垣征四郎,橋本欣五郎,花谷正らが講演や寄稿の形で参加したり,多くの青年将校が《日本》の読者となるなど,陸軍内に一定の思想的影響力をもつことができた。31年の全日本愛国者共同闘争協議会の結成に狩野が積極的な役割を果たしたりしたが,32年大川が神武会を新たに結成したのに伴い解消した。…

【満州国】より

…1928年の張作霖爆殺事件は武力による満蒙占領を企てた軍人の陰謀であった。その後関東軍は板垣征四郎,石原莞爾(かんじ)両参謀を中心に満蒙領有計画を練り上げ,31年9月謀略によって満州侵略を開始した。軍中央部は直ちに関東軍の行動を追認したが,満蒙領有案には反対したため,関東軍は満州建国に方針を転換した。…

※「板垣征四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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