日本大百科全書(ニッポニカ) 「神武会」の意味・わかりやすい解説
神武会
じんむかい
1932年(昭和7)大川周明(しゅうめい)を中心に創立された国家主義団体。大川は猶存社(ゆうぞんしゃ)解散後、25年(大正14)に行地社(こうちしゃ)を創立したが、この間陸軍首脳部との関係を深め、31年軍部独裁政権を目ざすクーデターである三月事件、十月事件を首謀。未遂に終わると、翌年2月11日石原産業社長石原広一郎の資金援助を得て、行地社を改組し神武会をつくった。大川はこの会を「国家改造の第一歩、国民運動の発酵素たらん」とし、「主義」のなかに「有色人種の解放および指導」を、「綱領」のなかに「政党政治の陋習(ろうしゅう)の打破・資本主義経済の搾取の排除・全国民生活の安定」を掲げた。満州事変直後の時流にのり、豊かな資金をバックに、大日本生産党有志や全日本愛国者共同闘争協議会の大部分を糾合、会員3万人と誇示、全国56か所で演説会を開催するなど盛大な出発をした。しかし、創立の3か月後に五・一五事件が起こり、大川会頭が逮捕されると運動は振るわなくなり、35年2月11日、全国代表者会議で解散を宣言した。
[大野達三]
『木下半治著『日本右翼の研究』(1977・現代評論社)』▽『大川周明全集刊行会編『大川周明全集』(1961・岩崎書店)』