江戸中期,京都の浮世絵師。元禄年間(1688-1704)の後期から没年まで半世紀をこえる長期間,木版絵本,挿絵本への作画や肉筆画の制作に活躍した。幼名庄七郎。通称宇右衛門,祐易,右京。号は自得叟,自得斎,文華堂。京都柳馬場綾小路下ルに居住した。はじめ八文字屋本の挿絵画家として出発,1723年(享保8)に女性風俗絵本《百人女郎品定》を刊行して好評を博し,以後多数の絵本を発表した。優麗な肉筆美人画にもすぐれ,上方浮世絵界の第一人者として重きをなした。42年(寛保2)刊の《絵本倭比事》に独自の絵画論を展開している。子の祐尹(すけただ)が作風を受けついだが,奥村政信,鈴木春信ら江戸の浮世絵師が間接的ながら強い影響を受けている。代表作に《絵本玉かつら》(1726),《絵本千代見草》(1740),肉筆画《柱時計と美人図》(東京国立博物館)などがある。
執筆者:小林 忠
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江戸中期の京都の浮世絵師。上方(かみがた)浮世絵の前半期を代表する美人風俗画家で、幼名庄七郎(しょうしちろう)、俗称宇右衛門(うえもん)。西園寺致季公の御家人(ごけにん)となり右京と称す。号は自得叟(じとくそう)、自得斎、文華堂。狩野永納(かのうえいのう)および土佐光祐(みつすけ)に学んだといわれ、加えて菱川師宣(ひしかわもろのぶ)、吉田半兵衛風などを摂取して、写実を基礎とした豊麗にして品格のある女性表現に新様を打ち出し一流をなした。すでに1699年(元禄12)ごろから八文字屋本の挿絵画家として活躍、1723年(享保8)刊の『百人女郎品定(ひゃくにんじょろうしなさだめ)』を機に絵本中心に作画し、60種を超える絵本を刊行、奥村政信(まさのぶ)、鈴木春信(はるのぶ)など江戸の浮世絵師にも多大の影響を及ぼした。代表作は『絵本常盤草(ときわぐさ)』(1731)、『宮詣(みやもうで)図』(1幅、ワシントン、フリーア美術館)、肉筆画『柱時計と美人図』(1幅、2種、東京国立博物館ほか)などがある。
[浅野秀剛]
(浅野秀剛)
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…紅摺絵期の宝暦年間は,美人画の石川豊信,役者絵の鳥居清満(1735‐85)が全盛で,俳趣の濃い詩的な風俗表現が好まれた。京都の風俗画家西川祐信の作風が慕われ,その影響が明らかに認められるようになるのも,このころからである。
[中期]
1765年(明和2)の錦絵の創始は,その発端となった絵暦交換会で中心的な働きをした鈴木春信を,一躍浮世絵界随一の人気絵師に仕立て上げた。…
…ビクトリア朝のころ流行した腰当て(バスルbustle)は,高くくびれた腰の下でコイ・コインの女性にみられる脂臀のような盛上がりを衣装につくっていた。ブラントームがスペイン女性の30の美点の中に太い尻をあげている(《艶婦伝》)のは同じ美意識からであり,西川祐信が《百人美女》で女性の32の美点の一つとして顚(くうてん)臀相(軟らかい丘のような尻)とだけいっているのと対照的である。美術作品では,ダリの《ウィルヘルム・テルの謎》は異様に伸びた右の尻が奇怪な想像を引き出し,E.フックスの《スフィンクス・カリピゴスII》の尻は幻想的なエロスを醸し出している。…
※「西川祐信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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