西川鯉三郎(読み)にしかわこいさぶろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「西川鯉三郎」の意味・わかりやすい解説

西川鯉三郎
にしかわこいさぶろう

日本舞踊(名古屋)西川流の家元名。

如月青子

初世

(1824―99)2世市川鯉三郎名の歌舞伎(かぶき)俳優であったが、4世西川扇蔵に入門、西川仁蔵を名のり、のち鯉三郎と改めた。1841年(天保12)名古屋に移り一流を樹立。名古屋の劇場振付けを一手に収め、隆盛を極めた。

[如月青子]

2世

(1909―83)本名近藤茂。東京生まれ。6世尾上(おのえ)菊五郎門弟尾上志げるとして修業を積むとともに、舞踊を6世藤間勘十郎に師事し、1931年(昭和6)藤間勘三郎を名のる。初世没後家元不在であった名古屋西川流の古老石松の孫司津(しず)の婿養子となり、西川茂を経て40年家元2世鯉三郎を襲名。終戦直後から、「名古屋をどり」を開催して定着させ、鯉風会を主宰し、また、「東(あずま)をどり」をはじめとする花街舞踊の振付け、指導を続けた。文芸作品をはじめ多数の舞踊劇を発表し、『船遊女』『越前竹人形(えちぜんたけにんぎょう)』『鮭(さけ)―母あわれ』など、また『花若』『お力』『二長町(にちょうまち)』などに独特の冴(さ)えをみせた。

[如月青子]

『北條秀司監修『西川鯉三郎』(1971・淡交社)』『中日新聞本社編・刊『鯉三郎百話』(1977)』

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改訂新版 世界大百科事典 「西川鯉三郎」の意味・わかりやすい解説

西川鯉三郎 (にしかわこいさぶろう)

日本舞踊西川流(名古屋西川流)の家元名。(1)初世(1823-1900・文政6-明治33) 江戸の歌舞伎俳優で2世市川鯉三郎といったが,4世西川扇蔵の門弟となり振付に転じた。1841年(天保12)名古屋に移り,名古屋西川流(鯉三郎派)を樹立。劇場振付に活躍した。(2)2世(1909-83・明治42-昭和58) 東京出身。6世尾上菊五郎の門弟で尾上しげるを名のる。舞踊を6世藤間勘十郎に師事し藤間勘三郎となる。名古屋西川流の承認により1937年初世の門弟西川石松の孫娘司津の婿養子となり,40年2世鯉三郎襲名。女方舞踊に秀で,振付の才を名古屋おどり,東宝歌舞伎,花街舞踊等に発揮した。文芸作品の舞踊化にも手腕を示す。代表作《花若》(1964),《お力》(1970)。
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世界大百科事典(旧版)内の西川鯉三郎の言及

【西川流】より

…以後,家系は門弟筋によって継承され,現家元は10世扇蔵である。扇蔵家のほかに4世扇蔵から分かれた西川鯉三郎が名古屋西川流を創立。2世鯉三郎亡きあと現家元は西川右近(1939‐ )である。…

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