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西川鯉三郎 にしかわこいさぶろう

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大辞林 第三版の解説

にしかわこいさぶろう【西川鯉三郎】

日本舞踊、名古屋西川流の家元の名。江戸の西川仁蔵(1824~1899)が1841年に名古屋に移り名を鯉三郎と改め名古屋西川流を樹立。 → 西川流

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世界大百科事典 第2版の解説

にしかわこいさぶろう【西川鯉三郎】

日本舞踊西川流(名古屋西川流)の家元名。(1)初世(1823‐1900∥文政6‐明治33) 江戸の歌舞伎俳優で2世市川鯉三郎といったが,4世西川扇蔵の門弟となり振付に転じた。1841年(天保12)名古屋に移り,名古屋西川流(鯉三郎派)を樹立。劇場振付に活躍した。(2)2世(1909‐83∥明治42‐昭和58) 東京出身。6世尾上菊五郎の門弟で尾上しげるを名のる。舞踊を6世藤間勘十郎に師事し藤間勘三郎となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西川鯉三郎
にしかわこいさぶろう

日本舞踊(名古屋)西川流の家元名。[如月青子]

初世

(1824―99)2世市川鯉三郎名の歌舞伎(かぶき)俳優であったが、4世西川扇蔵に入門、西川仁蔵を名のり、のち鯉三郎と改めた。1841年(天保12)名古屋に移り一流を樹立。名古屋の劇場振付けを一手に収め、隆盛を極めた。[如月青子]

2世

(1909―83)本名近藤茂。東京生まれ。6世尾上(おのえ)菊五郎の門弟尾上志げるとして修業を積むとともに、舞踊を6世藤間勘十郎に師事し、1931年(昭和6)藤間勘三郎を名のる。初世没後家元不在であった名古屋西川流の古老、石松の孫司津(しず)の婿養子となり、西川茂を経て40年家元2世鯉三郎を襲名。終戦直後から、「名古屋をどり」を開催して定着させ、鯉風会を主宰し、また、「東(あずま)をどり」をはじめとする花街舞踊の振付け、指導を続けた。文芸作品をはじめ多数の舞踊劇を発表し、『船遊女』『越前竹人形(えちぜんたけにんぎょう)』『鮭(さけ)―母あわれ』など、また『花若』『お力』『二長町(にちょうまち)』などに独特の冴(さ)えをみせた。[如月青子]
『北條秀司監修『西川鯉三郎』(1971・淡交社) ▽中日新聞本社編・刊『鯉三郎百話』(1977)』

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世界大百科事典内の西川鯉三郎の言及

【西川流】より

…以後,家系は門弟筋によって継承され,現家元は10世扇蔵である。扇蔵家のほかに4世扇蔵から分かれた西川鯉三郎が名古屋西川流を創立。2世鯉三郎亡きあと現家元は西川右近(1939‐ )である。…

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