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西村天囚 にしむら てんしゅう

美術人名辞典の解説

西村天囚

漢学者・小説家評論家鹿児島県生。名は時彦、字は子駿、別号に囚居士・随心菴主等。朝日新聞社論説委員として内藤湖南と共に活躍した。大正13年(1924)歿、60才。

西村天囚

小説家・ジャーナリスト。大隈種子島生。名は時彦。字は子駿、別号に硯園等。東大中退。小説『屑屋の籠』を発表したのち、大阪朝日新聞社に入社日清戦争従軍記者などをつとめる。在職中より京都帝大講師。他の著書に『日本宋学史』『学会偉人』等。大正13年(1924)歿、60才。

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デジタル大辞泉の解説

にしむら‐てんしゅう〔‐テンシウ〕【西村天囚】

[1865~1924]新聞記者・小説家・漢学者大隅種子島の人。名は時彦。大阪朝日新聞社社員、のち宮内省御用掛などを務めた。小説「屑屋の籠」、著「日本宋学史」など。

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百科事典マイペディアの解説

西村天囚【にしむらてんしゅう】

新聞記者,小説家,漢学者。本名時彦。別号碩園(せきえん)。種子島生れ。東京帝国大学古典講習科中退。1887年小説《屑屋の籠》を出版して注目される。1889年から《大阪朝日新聞》記者として活躍する一方,浪花文学会を結成,《なにはがた》《浪花文学》の中心メンバーとして大阪文化の高揚に努めた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

西村天囚 にしむら-てんしゅう

1865-1924 明治-大正時代の小説家,ジャーナリスト。
慶応元年7月23日生まれ。小説「屑屋(くずや)の籠(かご)」で名声をえる。明治23年大阪朝日新聞社に入社,日清(にっしん)戦争の従軍記者などをつとめた。大正13年7月29日死去。60歳。大隅(おおすみ)(鹿児島県)出身。東京大学中退。名は時彦(ときつね)。別号に碩園など。著作はほかに「日本宋学史(そうがくし)」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

西村天囚

没年:大正13.7.29(1924)
生年:慶応1.7.23(1865.9.12)
明治大正時代のジャーナリスト。本名時彦。晩年は硯園と号した。大隅国種子島西之表(鹿児島県西之表)に生まれる。父は時樹,母は浅子。東京帝大文学部中退後,明治21(1888)年滋賀県大津の『さゝ浪新聞』主筆。22年政論紙『大阪公論』,23年『大阪朝日新聞』記者となる。26年ウラジオストクに特派され,27年ソウルから日清戦争の戦況を報道。29年『東京朝日新聞』に移るが,35年『大阪朝日新聞』に復帰。大正デモクラシーに関しては,社内の保守派の代表格として,鳥居素川,長谷川如是閑らの進歩的自由主義派と対立があった。大正7(1918)年の白虹事件後,編輯顧問となって,不偏不党を明文化した「朝日新聞編輯綱領」や,いわゆる「本領宣明」を起草した。宋学の教養があり,京大講師のほか,大阪の懐徳堂の再建に尽力した。8年朝日新聞社を退社。10年宮内省御用掛となり,12年の「国民精神作興の詔書」などの起草に当たった。<参考文献>朝日新聞百年史編修委員会『朝日新聞社史』(明治編,大正・昭和戦前編),後醍院良正『西村天囚伝』

(井川充雄)

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大辞林 第三版の解説

にしむらてんしゅう【西村天囚】

1865~1924) 新聞記者・小説家・漢学者。本名、時彦。大隅国種子島の人。東大中退。大阪朝日新聞社員。政治的風刺小説「屑屋の籠」で文名を上げ浪花文学会を興した。主著「日本宋学史」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

西村天囚
にしむらてんしゅう

[生]慶応1(1865).7.23. 薩摩
[没]1924.7.29. 東京
明治・大正期の新聞記者,漢学者。本名は時彦 (ときつね) 。 1880年に上京して東京大学文学部に入学したが,学資が続かず中退。しばらく小説を書いていたが,1889年『大阪朝日新聞』の傍系の高級政治紙『大阪公論』に入社。翌年『大阪朝日新聞』に移った。大正デモクラシー期には鳥居素川長谷川如是閑らに対し,社内保守派のリーダー格で,1918年の白虹 (はっこう) 事件による素川らの大挙退社のあと,上野理一新社長のもとで主筆となり,「不偏不党,公平穏健」の信条を掲げて『朝日新聞』の右転向を推進し,危機を回避した。晩年は宮内省で詔勅の草案をつくった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西村天囚
にしむらてんしゅう
(1865―1924)

明治・大正期の新聞記者、漢学者。本名時彦(ときつね)。別号硯園(せきえん)。慶応(けいおう)元年7月23日薩摩(さつま)国(鹿児島県)種子島(たねがしま)に生まれる。上京し、重野安繹(やすつぐ)につき宋(そう)学を学ぶ。東京大学古典講習科に入学したが、学資が続かず退学。小説『屑屋(くずや)の籠(かご)』(1887~1888)を書き、評判を得た。『大阪公論』を経て、1890年(明治23)大阪朝日新聞社に入社。日清(にっしん)戦争の従軍記事によって文名を高めた。大正期の大阪朝日新聞社内では、鳥居素川(そせん)らの進歩派グループと対立する保守派グループの中心的存在だったが、指導権争いに敗れ、第一線からは遠ざけられた。この間、漢学の研究に力を入れ、京都帝国大学講師を務めたほか、大阪の懐徳堂(江戸中期の学校)復興にも尽力した。1918年(大正7)白虹(はっこう)筆禍事件によって素川らが退社するや、編集顧問として復帰。それまでの編集路線を自己批判し、「不偏不党」路線をとることを宣言する社説を執筆した。翌1919年退社。以後は宮内省御用掛などを務めた。大正13年7月29日死去。[有山輝雄]
『小沼量平編『硯園先生追悼録』(1925・懐徳堂堂友会)』

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