日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本道徳論」の意味・わかりやすい解説
日本道徳論
にほんどうとくろん
明治の道徳運動家泊翁(はくおう)西村茂樹の主著。『西村茂樹全集』第1巻、『泊翁叢書(そうしょ)』第1編、岩波文庫などに収める。1886年(明治19)12月、泊翁は3日間東京・一ツ橋外の大学講義室に公衆を集めて演説し、人心を戒めた。翌87年春、演説の草稿を印行して『日本道徳論』と名づけ、大臣以下諸知人に贈与した。文部大臣森有礼(ありのり)はこれを読んで大いに賛成したが、総理大臣伊藤博文(ひろぶみ)は新政を誹謗(ひぼう)するものとして怒り、文部大臣を詰責(きっせき)した。森は秘書官をして新政に害あると思われる条々を摘出せしめ、泊翁に改刪(かいさん)を求めた。泊翁はむしろ絶版とするほうを選んだが、偽板をつくって売る者がいたので、篇(へん)中の文字を改めて公刊した。これが『日本道徳論』第2版である。しかし、前述の全集、叢書、文庫はすべて第1版によっている。「皇室の尊栄を増し国民の幸福を長ぜんことは、道徳を棄(す)てゝは他に求むべき者なかるべし」という信念から説かれた国民道徳論である。
[古川哲史]