院司の一つで,中世,院の御所の西面に伺候して警固にあたった武士。略して西面ともいう。武勇を好んだ後鳥羽上皇は,白河上皇のとき設けられた〈北面の武士〉に加え,新たに武士の子息などを召し出して西面の武士を創設,上皇直属の武力を強化した。創設の時期は明らかでないが,1205年(元久2)以前らしい。以後,諸記録類に西面の活動として,新日吉社小五月会における流鏑馬(やぶさめ)勤仕,院中での蹴鞠(けまり)奉仕,御幸の供奉等が見えている。在京の御家人のうちから西面の武士に組織される例も少なくなく,彼らは上皇のはからいによって検非違使等に補任されたりして,関東の御家人でありながら院の私兵化した。承久の乱にあたって北面の武士とともに京方の軍勢の中心をなし,乱後は後藤基清,佐々木広綱,五条有範,大江能範の4人の西面衆が処刑されている。西面の武士は幕府打倒を直接の目的として設置されたとする考えもあるが,根拠薄弱である。承久の乱後は再び置かれることがなかった。
執筆者:高橋 昌明
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院西面・西面とも。院御所の西面につめたので,こうよばれた。後鳥羽院政下におかれた上皇の直属軍。院司の一つ。四位・五位の官人を含む北面と異なり,鎌倉御家人を中心とする武士からなる。院警固のほか,盗賊の追捕,南都北嶺の強訴に際しても出動した。承久の乱では上皇方の軍事力の中核をなしたが,幕府軍に破られ,乱後は廃止された。
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