最新 心理学事典 「言語人類学」の解説
げんごじんるいがく
言語人類学
linguistic anthropology
【言語と文化】 言語人類学では,言語と文化の間にある関係性の性質に注目した研究が行なわれてきた。言語人類学の上位概念と位置づけることのできる文化人類学においては,19世紀すでにタイラーTylor,E.が文化の性質を「学習される知識」ととらえており,文化とは「知識,信仰,芸術,道徳,法,慣習および社会の成員である人間によって習得されたその他の能力や習慣を包含する複合的全体である」と述べている。20世紀後半にはピーコックPeacock,J.も「特定の集団のメンバーによって学習された自明でかつきわめて影響力のある認識の仕方と規則の体系」と文化を規定し,言語はその文化的知識cultural knowledge の最たる例であるとした。
この特定の集団が共有する文化的知識を解読する手がかりとして,1960年代以降に認知人類学者らが注目したのが語彙カテゴリーである。その代表的な研究対象には,たとえば色彩を例にして自然界の分類を表わす色彩語彙や動植物語彙,人間関係の分類を表わす親族名称,さらには名称という語彙レベルにとどまらず,文法構造に組み込まれた言語表現を比較して言語,文化,認知の相互関係を探ろうとする助数詞(類別詞ともいう)や移動表現,および空間認知表現などがあり,それらの研究が20世紀末に相次いで発表された。
【色彩語彙color terms】 色の世界は,1950年代から60年代の半ばにかけて,言語相対性linguistic relativityを議論する中で問題となる語彙と認知の関係を検証する格好の領域として,研究者の関心を引きつけていた(井上京子,2006)。バーリンBerlin,B.とケイKay,P.(1969)が,いかなる言語にも2から11の基本的色彩語basic color termsが存在し,それらは七つの段階を経て進化したものである,とする大胆な仮説を打ち出して以来,世界各地からさまざまな色彩語彙の体系に関する研究結果が報告された。この多種多彩な語彙体系に対し,色彩の物理的特性と色覚の神経生理学的特性による普遍的な制約下にあるという結論が1980年代には導き出され,色彩研究は収束したかに見えた。
しかし,その後も色彩語彙の普遍性universalityを検証する研究報告は跡を絶たない。たとえば,色彩語彙が認知活動に影響を及ぼすことを示唆したケイとケンプトンKempton,W.(1984)の実験によると,メキシコ北部のタラウマラ語では,siyonameという単一の語が,緑から英語のblueとgreenに及ぶ色域全体を指すことから,実験では緑から青に及ぶ色域から彩度と明度は同じで色相だけが違う3枚の色票を並べた。一方の端の1枚目と真ん中の2枚目の色票は,英語における青と緑の色域の境界のどちらか一方,たとえば緑の領域から取り,3枚目は逆の,たとえば青の領域から取る。この実験の着眼点が見事なのは,問題の3枚の色票の組み合わせ方にある。境界の同じ側にある1枚目と2枚目より,境界を隔てた2枚目と3枚目の方が,実際の色相上は近いように選び出しておくのである。3枚の色票の中でどれがいちばん違うかと問われて,実際の色相上の遠近に素直に応じて1枚目を指すことが多いタラウマラ語の被験者に対して,英語の被験者は英語で名称上区別されている3枚目を指す方が多い。
この実験結果と,さらに色票の類似度の判断に際して色名上の区別による影響を排除したもう一つの実験結果とを突き合わせることによって,言語が知覚に影響するというウォーフWhorf,B.L.の主張(ウォーフ仮説すなわち言語相対仮説)が裏づけられたことになるのである。ただし,当のケイとケンプトンの結論はきわめて慎重で,「弱い相対論」を超えていない。また,そもそも「基本的な」色彩語彙というカテゴリー設定そのものに疑問を投げかけ,色彩認識と使用語彙に文化的経験の果たす役割が大きくかかわっているとするビエルジュビツカWierzbicka,A.(1990)や,「経験の言語」としての色彩研究の必要性を説き,普遍性と相対性とは必ずしも対立するものではなく,両者は相補的な関係にあると位置づける福井勝義(1991)の色彩研究も,言語と文化の関係を重要視するものであるといえる。
【親族名称kinship terminology】 文化人類学の分野にあるさまざまな研究対象の中で,古くから繰り返し論じられてきた課題に婚姻と家族がある。それは,人間の社会生活における最小にして最も基本的な単位がすなわち家族であり,その家族を作り上げるのが婚姻であるからにほかならない。この人間の家族がどう発展してきたかについて,母系制,母権的であったとするバッハオーフェンBachofen,J.J.の説に影響を受け,1877年に『古代社会Ancient Society』を著わしたモーガンMorgan,L.H.が家族進化論をまとめるに当たって出発点としたのが,世界各地の無文字社会における親族名称であった。親族名称(親族呼称kinship termsともいう)とは,父母兄弟姉妹,オジオバといった人びとに対するよび名のことで,これに関する資料を集めてみたところ,ハワイの住民の間では,オジさん(つまり父や母の兄弟)を父,オバさん(つまり父や母の姉妹)を母とよんでいることを発見した。この場合イトコたち(つまりこうしたオジオバの子どもたち)はすべて兄弟姉妹とよぶ。こうした親族名称の起源についてモーガンは,同世代の乱婚を反映したものだろうと推測し,原始乱婚制を古代社会の第1段階に据えた。しかし,後の研究者がフィールドワークを重ねていくに従い,実際には人間社会はもとより猿や類人猿でも見られない乱婚などではなく,オジオバは父や母と同じ世代に属するという意味で,それからまた「父や母のような身近さにある人」とでもいう意味であり,父母とよばれるようになったことがわかった。
親族名称研究は後に六つの基本パターンを提示しており,それぞれのパターンは親族関係によって組織されている社会が直面する問題への共通の解決を反映していると考えられる。またこの名称は,社会の異なるメンバーに割り当てられた,権利と義務の構造をも映し出していると見ることができる。このように,名称体系を社会制度との関連で考察しようという試みは,名称体系研究の一つの流れを作ることになった。
一方で,名称をカテゴリーの観点からとらえ,親族という概念を積極的に定義しなおそうとする研究者たちは,親族関係を系譜関係によって作られた関係のネットワークであると位置づけ,系譜関係の分析に重点をおいた(光延明洋,1989)。彼らは,系譜関係というのはある人間がその周囲にいる人びとを位置づけ整理する方法の一つであり,文化の違いを超えて共通の性格が認められるとし,個別社会の枠を超えた比較研究を行なうことにより,すべての社会の名称体系に共通の原理を見いだそうとする。こうした研究は,『言語Language』誌上に1956年に同時に発表されたグッドイナフGoodenough,W.H.とラウンズベリーLounsbury,F.G.の2論文に端を発している。彼らはともに,親族名称は用語であり,それは言語の一部でなければならないと考え,成分分析componential analysisとよばれる分析を展開した。成分分析とは,名称体系全体にわたって各親族パターンに共通する成分を探し出し,いくつかの成分を組み合わせることにより各名称を定義し,その意味特徴を抽出するというものである。この分析は,各名称が示す親族パターンの集合のうち自己に最も系譜的に近い親族パターンがその名称の中心的意味であり,他の親族パターンはその中心から派生したものであるという視点に立っている。そして派生したものを中心に還元するための諸規則が考察され,これら諸規則を組み合わせたり,そのバリエーションを考慮することにより,世界中のさまざまな名称体系が記述できると考えられている。 →言語相対仮説
〔井上 京子〕
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