日本大百科全書(ニッポニカ) 「象徴人類学」の意味・わかりやすい解説
象徴人類学
しょうちょうじんるいがく
symbolic anthropology
象徴人類学と構造主義
象徴すなわちシンボルsymbolとは王冠が君主政治を、花嫁の着る白無垢(しろむく)が純潔を表すように、ある物や事を別の事によって表すことを象徴あるいはシンボルという。象徴人類学とは、欧米とくにアメリカを中心に1960年後半から1970年代にかけて盛んであったかなり広い動向を含む文化人類学の一領域である。これは、文化を比較的自律的な実体として、意味の体系としてとらえ、人類学はこれを解読あるいは解釈していくものとする。こういう研究はアメリカのギアツ、ターナー、シュナイダーDavid Schneider(1918―1995)の3人によって創始されたといってよい。彼らは1970年ごろに短期間シカゴ大学人類学科に同時に所属していたことがある。ギアツとシュナイダーはともにハーバード大学の社会関係学部の社会学者パーソンズの影響を受けた。ターナーはイギリスのスコットランド出身でマンチェスター大学のグラックマンの弟子であるが、アメリカに移住した。ロイ・エレンRoy Ellen(1947― )は、象徴人類学のなかにアメリカのマーシャル・サーリンズMarshall Sahlins(1930―2021)の業績を入れている。
象徴人類学は、とくに文化を言語と類似なものとみる点でレビ(レヴィ)・ストロースの構造主義に影響されているが、二つの点で構造主義と大きく異なっている。一つは、とくにギアツに現れているように、構造主義が科学的方法を重視するのに対し、象徴人類学は科学的方法を嫌い、解釈学的方法をとる点である。二つには、レビ・ストロースは文化の多様性の背後に人類に普遍的な〈人間の精神〉を探るのに対して、象徴人類学はそれぞれの文化の特殊性、個別性を何よりも重視する。
ターナーは「象徴」を「同じ文化を担う人々の同意によって、類似の性質を備えることにより、または事実や思考のなかでの結び付きにより、自然に何かを表わすとみなされるもの」と定義している。彼はアフリカのンデンブ社会の儀礼の象徴について詳細な調査を行い、古典的なファン・ジュネップの理論を活用して特定の儀礼を分析した。たとえば、白い樹液を出すムディイという木は乳、母の乳房、母と子の結合、母系原理、ンデンブの習慣全体の存続を表すと述べている。ターナーはとくに物知りのムチョナというインフォーマント(情報提供者)による資料によってンデンブの象徴分析を行ったが、これに対して、フランスのスペルベルDan Sperber(1942― )は、象徴はかならずしも特定の明確な意味をもつとは限らず、ときには意味が知られなくとも作用し、それはおぼろげな形でよびおこす方法であると論じた。なおターナーは、赤・白・黒の3色のンデンブの基本的な象徴の根底に身体的な経験(血、乳または精液、腐肉)が潜んでいると述べた。これが世界中の文化に普遍的ではないかという説は後に退けられた。
シュナイダーは、「象徴」を「何か別のものを表すもの」とし、「文化」を「象徴の体系」と定義する。彼はアメリカ合衆国の親族組織についてシカゴの白人の中流階級の人々と面接し、アメリカ人の親族組織についての観念を研究した。彼は文化の自律性とその体系を強調した点は批判を受けることになるが、それにもかかわらず、シュナイダーの1970年代と1980年代の人類学に対する影響は少なくない。とくに調査対象の住民の人間や親戚(しんせき)に関する観念体系の研究に関心を促した。
ギアツは象徴を、「物体、行為、できごと、性質、関係について、それらの意味内容を表す媒介手段vehicleとなるものである」と定義した。彼はジャワ、バリ、モロッコで現地調査を行い、ジャワの経済、宗教、バリの植民地時代以前の王国の儀礼、イスラム教、親族組織など幅広い領域の研究を発表した。彼は宗教を「意味の体系」としてとらえ、著名な論文「厚い記述」では、特定の地域の住民の民族詩的な詳細な資料の解釈学的研究を提示した。この点で構造主義やマルクス主義と袂(たもと)をわかつ。彼の人類学はリクール、ケネス・バークKenneth Burke(1897―1993)、ウィットゲンシュタインなどを参考にしている。彼の業績は人類学に一つの転換をおこしたという意見もある。ギアツの影響は人類学以外の人文、社会科学にも及んでいる。
象徴人類学における、ターナー、シュナイダー、ギアツの共通点は、文化をそれを担う人々に共有される意味の体系としてとらえることにある。彼らの違いは、ターナーがイギリスの社会人類学における社会学的伝統を失わなかったし、ギアツもパーソンズを通じての社会学の問題によく触れている。ただギアツは徐々にイギリスやフランスの人類学から離れていった。シュナイダーは彼の文化の研究から社会の研究を除いた。
アメリカとは異なる知的伝統をもつイギリスの社会人類学もアメリカの象徴人類学に類似の問題に取り組んでいた。M・ダグラスMary Douglas(1921―2007)はコンゴ民主共和国(旧、ザイール)における現地調査資料その他のデータを活用して、象徴的な境界と汚れの観念との結び付きについて『汚穢と禁忌』(1966)を著し、注目を浴びた。つぎに自然におけるさまざまな象徴について著書を刊行した。彼女は、ヘブライ人にとってのブタや、コンゴ(旧、ザイール)のレレ人にとってのセンザンコウが変則的な生物であり、忌避されるのは、それらの生物が象徴的分類に適合しないからであると論じた。しかし境界がかならずしも汚れを生むとは限らず、象徴的分類に適合しない生物がかならず不安や忌避をおこすとは限らないと、イギリスのR・ニーダムはダグラスを批判した。ダグラスの研究はデュルケームとモースの『原始的分類』(1903)の古典的業績に由来し、ニーダムの象徴的二元論の研究もまた同様である。
ヨーロッパのこうした伝統とアメリカの象徴人類学を対決させたのはアメリカのサーリンズである。彼は1976年の著書でフランスの構造主義とボアズに由来するアメリカの人類学の観点からマルクシズム人類学を、ヨーロッパの歴史に固有のマルクシズムを、非西欧的な社会にあてはめるという間違いを犯している、と批判した。ただサーリンズは、構造主義があらゆる人間に共通の「人間精神」の存在を主張する点については批判的である。
[吉田禎吾]
象徴人類学における問題点
(1)ニーダムが力説したように、象徴の研究がその社会的・文化的コンテクストを重んずるという点は正しいが、象徴がしばしば象徴分析に終始して社会的行動と切り離されてしまう危険がある。その結果、観念論に陥り、象徴が文化の変化にともなって変わる点が見逃される。
(2)前述の弱点との関係で、歴史的な変化を扱えないのではないかと批判されている。ただそれは、今までの象徴体系の研究がおもに共時的なものであって、象徴体系が歴史的にどのように変化したかについての研究があまりなかったからかもしれない。同じ物でも時代が変われば象徴的意味が変わってくる事例はいくらでもあろう。サーリンズは、1981年にハワイにおける文化的、象徴的体系の歴史的変化の研究を発表している。象徴的意味は、ブルデューのいうように力の介在によって操作されることもあろう。
(3)象徴人類学におけるもう一つの問題は、文化の観念自体にある。象徴人類学が述べているほど、どんな文化も独自の、個別的、内的に等質的なものではない。他の文化との境界のおぼろげな、また異質的なものを多く含んだ、つねに変わっていく文化はいっそう増えていくだろう。また個別的な、等質的文化の記述の困難さは現在に限らず、どんなに伝統性の強い社会の文化についてもいえるだろう。
[吉田禎吾]
『S・K・ランガー著、矢野萬理他訳『シンボルの哲学』(1960・岩波書店)』▽『M・フォス著、赤祖父哲二他訳『シンボルとメタファー』(1972・せりか書房)』▽『内川芳美他編『講座 現代の社会とコミュニケーション1 基礎理論』(1973・東京大学出版会)』▽『C・E・メリアム著、斎藤真・有賀弘訳『政治権力』上下(1973・東京大学出版会)』▽『永井陽之助著『政治意識の研究』(1976・岩波書店)』▽『D・スペルベル著、菅野盾樹訳『象徴表現とは何か』(1979・紀伊國屋書店)』▽『E・リーチ著、青木保・宮坂敬造訳『文化とコミュニケーション』(1981・紀伊國屋書店)』▽『C・ターナー著、梶原景昭訳『象徴と社会』(1981・紀伊國屋書店)』▽『吉田禎吾著『宗教と世界観』(1983・九州大学出版会)』▽『C・ターナー著、冨倉光雄訳『儀礼の過程』新装版(1996・新思索社)』▽『A・N・ホワイトヘッド著、市井三郎訳『象徴作用他 新装版』(1996・河出書房新社)』▽『J. SpencerSymbolic Anthropology, Alan Banard & Jonathan Spencer (eds.) Encyclopedia of Social and Cultural Anthropology. pp.535~539.(1966・Routledge, London & New York)』▽『M. Des CheneSymbolic Anthropology, David Levinson & Melvin Ember (eds.) Encyclopedia of Cultrural Anthropology. pp.1274~1278.(1996・Henry Holt and Company, New York)』