民事の法律問題に悩む個人は相手方を裁判所に訴えて解決をはかることができる。たとえば,交通事故の被害者が加害者に対して損害賠償請求の訴えを起こしたり,夫婦の一方が他方に対して離婚の訴えを起こしたりするのはその例である。このように,私人が国家(裁判所)に対し訴えを提起し,判決を求める地位を,私人の権利として観念した場合に,これを訴権という。訴権という権利をそもそも観念すべきか,そうだとしてもその内容がいかなるものであるかは,ドイツおよび日本の学説史上の一大論争点であった。
19世紀前半のドイツ普通法時代には,訴権とは,権利侵害により,侵害された権利から派生する,裁判上の保護を求める権利と解されていた(訴権が私権から派生するという意味で私法的訴権論という)。これは,ローマ法上のアクティオactioを,普通法学者がそのようなものとして理解したことに由来する。19世紀中ごろになり,ウィントシャイトは,アクティオから,相手方に対し作為不作為を要求する権能を抽出し,これを請求権と名づけ,この請求権概念を中心とする実体法の存在を論証した。これに対し,アクティオには,なお私人の裁判所に対する権能,つまり公権としての性質が存することが指摘され,ここに,実体法と訴訟法の分離と,公権としての訴権の観念(公法的訴権論)の萌芽が見られた。また,制定法上債務不存在確認訴訟が導入され,そこでは,訴権を派生させる私権がないから,私法的訴権論は維持できなくなった。
公法的訴権論は,19世紀後半のドイツにおいて,法治国思想の影響の下,私人と国家との間の法的諸関係を私人の国家に対する権利として把握する傾向(公権論)の一環として発展した。以後学説は,公法的訴権の内容をめぐって対立する。最初に,デーゲンコルプH.Degenkolb(1832-1909)らは,訴権とは訴えによって訴訟を開始させ,適式な審理の下に,なんらかの判決を求める権利である,と唱えた。ここにいう判決の中には,本案判決はもちろん,実質審理に入らず訴えを不適法として却下する判決(訴訟判決)も含まれるので,抽象的訴権説と呼ばれた。これに対しては,訴えが提起された以上,裁判所はなんらかの応答を強いられるのは当然であり,同説は結局起訴の自由を述べたにすぎず,かかる自由をもって公権ということはできないとするコーラーJ.Kohler(1849-1919)らの批判を招いた(訴権否定説。なお,この説は形を変えて今日でも有力に主張されている)。
そこで,ワッハA.Wach(1843-1926),ヘルビッヒK.Hellwig(1856-1913),シュタインF.Stein(1859-1923)ら19世紀末の有力な学者は,訴権とは原告が自己に有利な判決を求める権利である,と唱えた。それによれば,国家は自力救済を禁止したことの反映として,私人の権利が侵害されたときには,その権利を保護する判決をなす義務を負う。逆に言えば,私人はそうした判決を求める権利があり,その要件は,請求にかかる法律関係の存在(消極的確認訴訟ではその不存在)と,訴訟要件の具備,とくに当該法律関係が判決に適し,原告がそれにつき訴訟を行い判決を求める利益と適格を有していること(権利保護の資格と利益,訴訟追行権)である,と唱えた(具体的訴権説または権利保護請求権説)。同説が,訴訟要件の概念の深化に果たした役割は大きい。しかし,審理の結果判明する法律関係の存否を,訴訟前に存在する訴権の要件とするのは矛盾であり,また裁判所は原告に有利な判決ではなく,法に従った判決をする義務を負うのみであること,私権の存否を要件とするのは,私法的訴権論を脱却していないこと等の批判を受け,この説は急速に凋落した。
そこで,20世紀初め,ブライE.Bley(1890-1953)は,訴訟要件の具備を要件とした,原告の本案判決を求める権利が訴権であると唱えた。この説は,日本で,訴訟の目的は紛争解決にありとする見解と結びついて有力となった。訴訟は,既判力ある判決により私人間の法律関係の存否を確定することによって,紛争を解決するのであり,原告は,かりに敗訴しても,本案判決を受けることにより,紛争を解決することができるという(本案判決請求権説または紛争解決請求権説)。
他方,現在の日本およびドイツにおいては,司法作用の実施を要求する国法上の基本権(憲法32条の〈裁判を受ける権利〉)の一分肢として,判決のみならず,訴訟手続の各局面における適時適切な裁判所の司法行為を請求しうる権利として,訴権を把握する見解も有力に主張されている(司法行為請求権説)。訴訟判決によっても訴権が実現されたと考える点で,同説は抽象的訴権説の再生にすぎぬとの批判があり,判決以外のすべての司法行為を求めうるという点で,それとの相違を強調することにより,かえって訴権の内容を散漫化するとの批判を招く。
かくして,今日の日本では訴権否定説,本案判決請求権説,司法行為請求権説の三つが有力である。いずれの説をとっても,個々の具体的な問題の解決を直接左右することはないが,私人の求める司法的救済を広く認めていくためには,解釈の指導理念として訴権を観念しておくのが有意義であろう。
執筆者:山本 弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
訴えによって裁判所の審判を要求しうることを私人の権能としてみた場合の観念。民事訴訟においては「訴えなければ裁判なし」Nemo judex sine actoreとの法諺(ほうげん)が示すように、裁判所は訴え(判決の申立て)のあった事項についてだけ判決し、積極的に訴えのない事件や、訴えの範囲を超えた事項については判決しない。しかも裁判所は訴えがあれば、その訴えに対して審判するかしないかを選択する裁量の余地はなく、かならずなんらかの応答をしなければならない。すなわち、民事の紛争が生じた場合に、その当事者は権利保護を求めるため、国家の司法機関である裁判所に対して訴えを提起し、事件の審理とこれに基づく判決とを要求できることになっているのであって、このような判決の申立てができることを、その者の権利としてみた場合、それを訴権という。
このような公法上の権利を有する当事者が裁判所に対して権利保護あるいは紛争解決を求めることのできる法理についての学説を訴権学説という。これは民事訴訟制度の発達と公法理論の発展に伴い、幾多の変遷を遂げて今日に至っている。略説すれば以下のとおりである。19世紀において、まず公法的訴権説が、きわめて素朴な学説ともいうべき私法的訴権説(原告の被告に対する私法上の権利を裁判所に対して行使する権利とする説)にかわって登場した。さらに、この公法的訴権説が抽象的公権説(訴権を人格権の発露とし、私人が国家に対して審理判決を求める公法上の権利とする説)から、裁判所に対して自己に有利な判決を要求する権利とする具体的公権説に進み、さらに具体的公権説の理論構造を発展させて、「訴訟の目的」たる実体関係を理論体系に取り入れ、訴えと判決との間に理論的連関をもたしめた権利保護請求権説が現れた。この説は一時期、民事訴訟法学界を風靡(ふうび)したが、現在ではこの説のほかに、本案判決請求権説、司法行為請求権説なども有力に唱えられている。また訴権論を論ずる意味がないとして訴権否認論の立場をとる学説もある。
[内田武吉]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新