フランスの社会学者。フランス南西部のピレネーザトランティク県(べアルン地方)のダンガンで生まれる。父は郵便局員であった。これは、パリのエリート階層という一般的なフランスの知識人の出自とは異なる。研究の主要な課題の一つは、人々は、自らがもつさまざまな資源と、社会空間のなかでの自分の位置に応じて、社会についての異なるビジョンをそれぞれにつくり上げ、そしてそのビジョンそのものが、それを互いに押しつけようとする人々の闘争を通じて、せめぎあい、相互変容していく、この過程を明らかにすることであった。このような問題設定の形成の過程にフランスの知的エリートとしては非典型的な自身の出自と経験が影響を与えている。
1951年パリのエコール・ノルマル・シュペリュール(高等師範学校)に入学し、1954年に哲学教授資格を取得する。その後高等学校(リセ)の教員を経て、翌1955年には兵役のためアルジェリアに赴(おもむ)く。兵役終了後もその地に残り、1958年アルジェ大学の助手となる。『アルジェリアにおける労働と労働者』Travail et travailleurs en Algérie(1963)等にまとめられたアルジェリアでの研究は、植民地解放戦争という、宗主国出身の研究者が何をなしうるのかが深刻に問われざるをえない状況のなかで行われた。このことは、ブルデューの研究者としての姿勢に生涯にわたって影響を与えている。アルジェリアでは、人種主義を批判し、普遍的な知を目ざすクロード・レビ・ストロースの構造人類学の方法を学んだが、同時に、人間の諸実践pratiquesを十全に理解するためには、諸実践を対象化=客観化することそのものが理論にもたらすバイアス(歪み)を対象化しなければならないと考え、構造主義への批判的立場をとるようになる。これらの理論的反省の成果は、のちに『資本主義のハビトゥス』Algérie 60(1977)、『実践感覚』Le sens pratique(1980)等へ結実する。
1960年に帰国し、パリ大学助手、リール大学助教授を経て、1964年にパリ社会科学高等研究院教授に就任し、1981年よりコレージュ・ド・フランス教授を兼ねた。ジャン・クロード・パスロンJean-Claude Passeron(1930― )との共著『遺産相続者たち』Les héritiers(1964)および『再生産』La reproduction(1970)によって、第二次世界大戦後の高等教育の拡大のもとでも残り続けている、出身階層による大学進学率の格差を、社会階級ごとに不平等に配分されている文化的な財と能力を意味する、文化資本の概念を導入することによって説明し、学校教育制度が階級的な支配構造の維持とその正統化に貢献していることを明らかにして、大きな影響を与えた。また『ディスタンクシオン』La distinction(1979)、1968年五月革命前後のフランス大学界の分析を行った『ホモ・アカデミクス』Homo academicus(1984)、『国家貴族』La noblesse d'État(1989)、『芸術の規則』Les règles de l'art(1992)、『パスカル的省察』Méditations pascaliennes(1997)、『経済の社会的構造』Les structures sociales de l'économie(2000)等の大著を刊行し、そのなかでディスタンクシオン、ハビトゥス、場(界)、文化資本、象徴権力、象徴暴力といった独自の概念を用いて、学問・文学・芸術などについての歴史的・社会学的研究、文化・生活様式・趣味と社会階層・教育等のかかわり、「世論」の形成あるいは思想言論状況とマス・メディアのかかわり、国家の社会的役割の変容・解体の過程と市民・民衆の生活のかかわりなどを分析した。
1975年には雑誌『社会科学研究紀要』Actes de la recherche en sciences socialesを創刊し、1993年に社会科学者としては初めて、フランス国立科学研究所(CNRS)のゴールド・メダルを受賞した。また、共同研究チームを指導して、社会的な苦悩を生きる人々の声を語らせた『世界の悲惨』La misère du monde(1993)を刊行し、1995年のフランスにおける公共部門のストライキ以降、ネオリベラリズム(新自由主義)に抵抗する社会運動に積極的に参加して政治的、社会的な発言を行い、晩年ネオリベラリズム的なグローバリゼーションに反対する社会運動を代表する知識人となった。その影響は、文化あるいは言語に関する研究、教育社会学や社会階層研究、ジェンダーにかかわる研究、社会運動研究、農村研究等の社会学の諸領域から、文学研究、歴史、とくに社会史研究に及ぶ。また、作家やハンス・ハーケ等の芸術家、社会運動家等との交友を通じて、それらの領域において既成の秩序を批判し、文化や芸術、社会運動の自律性を擁護し、その成果を広範な人々の役に立てようとし、広く支持を受け、また影響を与えた。
[櫻本陽一 2018年10月19日]
『石井洋二郎訳『ディスタンクシオン――社会的判断力批判』1、2(1990・藤原書店)』▽『ピエール・ブルデュー、ジャン・クロード・パスロン著、宮島喬訳『再生産』(1991・藤原書店)』▽『原山哲訳『資本主義のハビトゥス――アルジェリアの矛盾』(1993・藤原書店)』▽『石井洋二郎訳『芸術の規則』1、2(1995、1996・藤原書店)』▽『ピエール・ブルデュー、ジャン・クロード・パスロン著、戸田清他訳『遺産相続者たち――学生と文化』(1997・藤原書店)』▽『今村仁司他訳『実践感覚』1、2(2001・みすず書房)』▽『加藤晴久訳『パスカル的省察』(2009・藤原書店)』▽『Pierre Bourdieu et al.Travail et travailleurs en Algérie(1963, Mouton, Paris)』▽『La noblesse d'État(1989, Les Éditions de Minuit, Paris)』▽『La misère du monde(1993, Éditions du Seuil, Paris)』▽『Les structures sociales de l'économie(2000, Éditions du Seuil, Paris)』▽『「特集ブルデュー」(『現代思想』2001年2月号・青土社)』▽『ギュンター・グラス他著、情況出版編集部編『ブルデューを読む』(情況出版・2001)』▽『加藤晴久編『ピエール・ブルデュー――1930―2002』(2002・藤原書店)』▽『宮島喬・石井洋二郎編『文化の権力――反射するブルデュー』(2003・藤原書店)』▽『Louis PintoPierre Bourdieu et la théorie du monde social(1998, Albin Michel, Paris)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
フランスの社会学者。コレージュ・ド・フランス教授。『社会科学研究紀要』(Actes de la recherche en sciences sociales)を創刊。ピレネーの山村からパリのルイ=ル=グラン校に進み,高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリウール)を経て哲学教授資格を取得する。学校の寄宿舎での生活やアルジェリアでの教員としての経験から,デュルケームの社会学に回帰し,それを人間についての総合的な学とすることを目指すようになる。シャン,ハビトゥス,文化資本などの概念を駆使し,被支配者も知らないうちにその共犯となる「象徴暴力」のシステムを可視化しようとした。それは晩年の自己分析(『パスカル的省察』2003年)にまでつながっている。高等教育に関しては,大学が社会的出自による選別を助長し(『遺産相続者たち』1964年),教員がスコラ的思考に閉塞し(『ホモ・アカデミキュス』1984年),グランド・ゼコールが新たな貴族階級を形成している実態を示した(『国家貴族』1989年)。1990年代以降は,大学人にも専門を生かしてグループで活動する「集団的知識人」としての社会参加を訴えた。
著者: 岡山茂
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
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