日本大百科全書(ニッポニカ) 「賈逵」の意味・わかりやすい解説
賈逵
かき
(30―101)
中国古代、後漢(ごかん)の思想家、訓詁(くんこ)学者。平陵(へいりょう)(陝西(せんせい)省興平県)の人。徽(き)の子。字(あざな)は景伯。幼少にして『左氏伝(さしでん)』および五経をそらんじていたという。劉歆(りゅうきん)に師事し、明帝(在位58~75)のとき、『左氏伝解詁』30篇(ぺん)、『国語解詁』21篇を完成して献上、明帝はこれを書写して宮中の図書館に所蔵させた。章帝(在位75~88)は優秀な学生を選抜して賈逵のもとに送り込み、『左氏伝』を習得させた。これから『左氏伝』は世に盛行するようになった。賈逵はまた『欧陽尚書(おうようしょうしょ)』『大夏侯(だいかこう)尚書』『小夏侯尚書』古文の同異および斉魯韓(せいろかん)三詩と毛詩との異同を撰(せん)して『経伝義詁』『論難』百余万言を著し、通儒と称された。官職は和帝(在位88~105)のとき侍中(じちゅう)に至る。『後漢書(ごかんじょ)』に伝記がある。『蒙求(もうぎゅう)』に「賈逵問事」の一段がある。
[町田三郎 2016年1月19日]
『重沢俊郎著『左伝賈服注攟逸』(1936・東方文化研究所)』▽『狩野直喜著『両漢学術考』(1964・筑摩書房)』