赤尾敏(読み)アカオ ビン

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「赤尾敏」の解説

赤尾 敏
アカオ ビン


肩書
大日本愛国党総裁

生年月日
明治32年1月15日

出身地
愛知県名古屋市東区

学歴
愛知県立第三中学校中退

経歴
三宅島で理想郷・新しい村を建設し、社会主義運動に関わるが、大正14年逮捕され、獄中右翼転向。昭和2年上杉慎吉に師事し、建国会(のち大日本皇道会)を結成し、建国祭を開催。大日本皇道会総裁・反共連盟理事などをつとめ、昭和17年東京第6区より衆院議員に当選、日米戦争に反対した。26年公職追放解除と同時に大日本愛国党を結成し党首となる。日の丸星条旗をかかげ、軍艦マーチを鳴り響かせて、毎日、東京・数寄屋橋交差点で反ソ・反共の街頭演説を行う。衆院選、参院選、東京都知事選などに計26回出馬した。著書に「右翼革命か左翼クーデターか」「憂国のドン・キホーテ」がある。

没年月日
平成2年2月6日

家族
弟=赤尾 四郎(アカオアルミ会長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「赤尾敏」の解説

赤尾 敏
アカオ ビン

大正・昭和期の右翼活動家 大日本愛国党総裁。



生年
明治32(1899)年1月15日

没年
平成2(1990)年2月6日

出身地
愛知県名古屋市東区

学歴〔年〕
愛知県立第三中学校中退

経歴
三宅島で理想郷・新しい村を建設し、社会主義運動に関わるが、大正14年逮捕され、獄中で右翼に転向。昭和2年上杉慎吉に師事し、建国会(のち大日本皇道会)を結成し、建国祭を開催。大日本皇道会総裁・反共連盟理事などをつとめ、昭和17年東京第6区より衆院議員に当選、日米戦争に反対した。26年公職追放解除と同時に大日本愛国党を結成し党首となる。日の丸と星条旗をかかげ、軍艦マーチを鳴り響かせて、毎日、東京・数寄屋橋交差点で反ソ・反共の街頭演説を行う。衆院選、参院選、東京都知事選などに計26回出馬した。著書に「右翼革命か左翼クーデターか」「憂国のドン・キホーテ」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「赤尾敏」の意味・わかりやすい解説

赤尾敏
あかおびん

[生]1899.1.15. 名古屋
[没]1990.2.6. 東京
右翼運動家。愛知県立第3中学校を中退後,社会主義に目ざめ,東海農民組合連合に参加したが,組合への寄付金要請が恐喝罪に問われ,有罪判決を受ける。入獄中に社会主義と訣別し,皇道主義を唱える国家主義者に転向した。 1922年2月 11日第1回建国祭を挙行,26年東京大学教授の上杉慎吉を会長に「建国会」を設立,書記長となる。 33年会長に就任。 42年衆議院選挙に当選し翼賛政治会員となるが,東條首相の演説を批判したため翼賛会を除名される。第2次世界大戦後は,公職追放解除直後の 51年に大日本愛国党を結成,総裁となる。一貫して反共反ソを主張,30年間続けた東京・数寄屋橋での街頭演説は名物となり,街頭宣伝活動のモデルになった。

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改訂新版 世界大百科事典 「赤尾敏」の意味・わかりやすい解説

赤尾敏 (あかおびん)
生没年:1899-1990(明治32-平成2)

反共主義者。愛知県出身。愛知三中卒業。20歳ごろまで名古屋で借家人組合,農民組合運動など無政府主義的活動をする。その後,転向して上杉慎吉や高畠素之一派と交わる。労農運動の高揚に対抗するため,上杉や高畠らをかついで,1926年第1回建国祭を行うとともに建国会を結成。以後同会指導者として政党政治廃止や反共を主張した。42年の翼賛選挙で当選。敗戦後公職追放されたが,51年に解除されると大日本愛国党を結成し,以来,反共宣伝活動を続けた。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「赤尾敏」の意味・わかりやすい解説

赤尾敏【あかおびん】

右翼活動家。名古屋市生れ。愛知三中中退。初め農民組合・借家人組合など社会主義的活動に参加したが,その後皇室中心の国家主義者に転向。高揚する労農運動に対抗する愛国的示威運動として,1926年第1回建国祭を決行し,建国会を結成。1942年の翼賛選挙で当選,第2次大戦後公職追放。追放解除の翌1952年に大日本愛国党を結成し,総裁に就任。反共・親米,自主憲法制定,再軍備を主張して死の直前まで連日街宣活動をした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「赤尾敏」の解説

赤尾敏 あかお-びん

1899-1990 昭和時代の右翼運動家。
明治32年1月15日生まれ。社会主義者から国家主義者に転向,大正15年上杉慎吉を会長に建国会(のち大日本皇道会)を結成。昭和17年衆議院議員。戦後は大日本愛国党を結成,総裁となり街頭演説などを展開した。平成2年2月6日死去。91歳。愛知県出身。愛知第三中学中退。著作に「憂国のドンキホーテ」など。

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367日誕生日大事典 「赤尾敏」の解説

赤尾 敏 (あかお びん)

生年月日:1899年1月15日
大正時代;昭和時代の右翼活動家
1990年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の赤尾敏の言及

【右翼】より

…占領期の右翼は,民主主義を仮装していたが,独立後は天皇中心主義,反共反社会主義,再軍備促進,憲法改正などの独自の主張をかかげて公然と活動しはじめた。復活した右翼のなかには,安岡正篤や笹川良一らのように歴代保守政権との癒着を深めた者,ロッキード事件被告の児玉誉士夫のように腐敗行為を摘発された者,赤尾敏らのように執拗な反共街頭宣伝をくりかえす者などさまざまなタイプがみられる。右翼団体は,革新勢力の反政府運動や平和運動が高まるたびに危機感を強め,一方では60年の浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件のようなテロ活動に走り,他方では情勢の変化に応じてソ連(現,ロシア)脅威論にもとづく自主防衛力の強化と日米安保体制堅持,自主憲法制定,建国記念日(紀元節)復活・奉祝,靖国神社国家護持,日教組打倒と教育正常化,北方領土奪還などを呼号している。…

【建国会】より

赤尾敏を中心とする右翼団体。1925年ころ,社会主義的方向から〈皇室中心の国家主義運動〉へと転じた赤尾は,左翼のメーデーに対抗して,建国祭挙行の必要を各方面に説き,26年2月11日,第1回建国祭を挙行した。…

※「赤尾敏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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