大口村(読み)おおぐちむら

日本歴史地名大系 「大口村」の解説

大口村
おおぐちむら

[現在地名]八竜町大口

日本海に発達した新砂丘の東麓に位置し、八郎潟にも面する。北に浜田はまだ村、南に芦崎あしざき村がある。元慶の乱の賊地一二ヵ村(三代実録)にある「方口かたぐち」といわれる。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に大口村新田九石とある。慶安元年(一六四八)検地帳には「檜山之内浜田村大口村御検地帳」と記され、浜田村と一村になっていた。また享保一五年(一七三〇)の村名唱文字替覚(門間家文書)には浜田村・大口村・芦崎村が「右三ケ村唯今迄浜田大口村 此度御墨印三ケ村へ可被下候」とあり、同年の「六郡郡邑記」には「浜田、大口村二ケ村に立らる 大口村三十三軒、浜田村四十九軒、両村御墨印一本」とある。

日本海に面した支郷釜谷かまや村は同書に「天和年中大口村兵左衛門塩釜忠進申上大口村引移。十八軒」とあり、「六郡郷村誌略」に「天和年中兵左衛門といふ者塩釜忠進して塩をじ、新屋より人移り居す。


大口村
おおくちむら

[現在地名]鳴子町大口

名生定みようさだ村の西にあり、中央を江合えあい川が東流。西は鳴子村、南は加美かみ上多田川かみただがわ(現中新田町)・同郡北川内きたかわうち(現宮崎町)など。水田は川沿いに開け、左岸沿いに中山なかやま越出羽道が通り、鍛冶谷沢かじやさわ宿が置かれた。右岸全域から温泉が湧出、川渡かわたび赤湯あかゆわしなどの温泉がある。寛永一七年(一六四〇)の検地帳四冊のうち一冊(斎藤報恩会蔵)が残る。残存する検地帳の名請人は一五。新百姓は五人おり、また要害ようがい屋敷の肝入勝八は持高七貫二四文と際立って多く、戦国期に当村・名生定村などに勢力のあった大崎氏家臣湯山氏の一族か大崎氏の家中侍が帰農したものと考えられる。


大口村
おおぐちむら

[現在地名]羽黒町大口

川代かわだい村の北西、ささ川の右岸にある。羽黒山表参道の入口として開けた村で、かつては近くに羽黒山の関所があったと伝える。元和八年(一六二二)庄内藩領となり、寛永九年(一六三二)加藤忠広領となる。承応二年(一六五三)忠広の死後幕府領となる。同年から元禄二年(一六八九)、寛保二年―寛延三年(一七四二―五〇)、明和六年―天保一二年(一七六九―一八四一)、弘化元年―元治元年(一八四四―六四)庄内藩預地となったほかは幕府直轄地、元治元年庄内藩領に復した(大泉掌故)。元和八年の酒井氏知行目録に村名がみえ、高三一八石余。寛永元年庄内高辻帳では高四五一石余、宝暦一三年(一七六三)の年貢割付状(大口区有文書)では田高四三〇石余・畑高一六石余、公領田圃録(八幡文書)によると安永三年(一七七四)には家数一五・人数六六、馬三。


大口村
おおくちむら

[現在地名]中之島村大口

坪根つぼね村の北、沖積微高地に位置し、南西は十二潟じゆうにがた(現長岡市)。天正五年(一五七七)の三条衆給分帳(市川浩一郎氏蔵)に記された池千世松丸知行分のうちに「大くち」とみえる。御館の乱に際し、上杉景勝方の与板よいた(現三島郡与板町)城主直江信綱が池浦喜右衛門に宛てた同八年四月一七日付の感状に「於大口無比類働、御感入候」とある(上杉年譜)。三条城将甘糟長重に検地を指示した文禄四年(一五九五)六月一一日の直江兼続黒印状(上松文書)には、出雲田いずもだ庄一五ヵ村のうちに「中之島村同大口村」とみえる。


大口村
おおぐちむら

[現在地名]岩井市大口

飯沼新田いいぬましんでんの南に所在。西は猫実ねこざね村。村内をほぼ東西に那珂湊街道(水海道―岩井間)が貫通。字東浦ひがしうらの東浦遺跡からは縄文土器片多数と弥生土器片若干、石器が出土。昭和三五年(一九六〇)に発掘された丸木舟は五世紀頃とみられ、完全な形で保存されている。

当村は古代に出雲族の長である大櫛根己狭峰が来住し、原住民を支配し、上を大櫛(大口)、下を根己狭峰(猫実)としたと伝えられる。戦国期に成立したと推定される覚(宗任神社蔵)に「大口ねこさね 五貫文 ミねんく 弐貫文 夫銭」、永禄一一年(一五六八)の足利義氏条書写(野田家文書)に「大口猫実・大矢口・駒羽・苅宿四ケ所」とあり、猫実とともに一郷を形成していたと思われる。


大口村
おおくちむら

[現在地名]仲南町十郷そごう

新目しんめ村の北に位置し、うしろ山の下所げしよ池から流れ出た大口川が黒川くろかわ財田さいた川と合流する。地名はおお山への入口に位置するからという。天文一四年(一五四五)七月吉日の道者職売券(来田文書)に「大口」とみえる。寛永国絵図ではしちヶ村に属する。寛文四年(一六六四)の丸亀藩高辻帳では高一三一石余。天保郷帳の高二二一石余。嘉永三年(一八五〇)に、文政年間(一八一八―三〇)以来西七箇村の預庄屋を勤めていた買田かいた村の庄屋永原家に嗣子がなくて、当村の組頭山口庄助が西七箇村預庄屋となった(「滝宮念仏踊七箇村組行事取遣留」奈良文書)


大口村
おおくちむら

[現在地名]松阪市大口町

東は愛宕あたご川の河口、北は伊勢湾に接する。西は荒木あらき村、南は江津ごうづ村に隣接する。「神鳳鈔」に大口御厨がみえ、遅くとも南北朝期以前、伊勢神宮領が成立していた。文禄検地帳写(徳川林政史蔵)に「大口之郷」と記され、田方八一筆・畠方一二一筆・屋敷方七〇軒であり、地数は計二四町一反余。その内訳は田七町一反余・畑一五町九反余・屋敷一町余であった。下畠が最も多く、地味劣悪の状態であった。石高は都合二三八石余。同史料には「合 六拾弐石七斗弐升八合 塩」と記され、製塩を生業としていたことがわかる。帳面上では一四筆の「塩入」地を検出することができる。

寛永五年(一六二八)の開発では、下田三反余・中畠五畝余・下畠六畝余が確認される(「飯高郡新田畠検地帳」徳川林政史蔵)


大口村
おおくちむら

[現在地名]三角町大口

東は大見おおみ(現不知火町)、西は手場てば村、南は八代海に面し、東西に富岡とみおか往還が通じる。村の中央に早馬はやま、東に大串おおぐし、西に二反登にたんと、南にかなめ、北東に柳平やなぎひら、南西に鳥屋野とやのなどの字地がみえる(郡村誌)。慶長国絵図に村名がみえ、近世は松山手永に属し、正保郷帳では田方五八石九斗余で「日損所」とあり、畠方二三六石八斗余。明治一五年(一八八二)の戸数八〇・人数四〇七、牛七五、荷船一、同一六年調べの民業戸数は農業七二、船宿二、木挽職・鍛冶職・漁業各一(郡村誌)


大口村
おおくちむら

[現在地名]辰口町大口・旭台あさひだい

和佐谷わさだに村の西方、能美丘陵山間に位置し、村域の約八割が山地である。慶長五年(一六〇〇)九月三日小松城主丹羽長重は坂井平蔵に当村のうち二四六石余などを宛行っている(「丹羽長重知行所付」坂井文書)。正保郷帳では高四六五石余、田方二〇町五反余・畑万六町八反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印(大口区有文書)では高三九一石、免三ツ八歩、小物成は山役四九四匁・漆役七七匁。享保一七年(一七三二)には三石の手上高があり、弘化三年(一八四六)の百姓数三二(「山上組品々帳」辰口町立博物館蔵)


大口村
おおぐちむら

[現在地名]岩槻市大口

増長ましなが村の西に位置し、元荒川左岸の自然堤防上に集落が形成されている。江戸時代初期から岩槻藩領で幕末に至る。田園簿に村名がみえ、高は田方八四石余・畑方六六石余。「寛文朱印留」には下総国葛飾郡所属として掲載されている。延宝八年(一六八〇)の岩付領内村名石高家数人数寄帳(吉田家文書)では家数三〇(本百姓二七・水呑三)、人数一八五、岩槻藩の地方支配は新方にいがた筋に所属。貞享三年(一六八六)の岩槻藩領郷村高帳によると高二二二石余、ほかに新田高三三石余、小物成は藍瓶役鐚一四八文、見取場田畑一町七反余。


大口村
おおくちむら

[現在地名]会津坂下町大上おおかみ

東を旧みや(鶴沼川)が北流し、対岸は西青津にしあおづ村、北西は上宇内かみうない村。もとは南東二町ほどにあったが、慶長一六年(一六一一)の大地震で山崎やまざき新湖ができ、水没したので現在地に移動したという。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高一一四石余で、「此内五十二石二升川ヲシ荒」と注記される。


大口村
おおくちむら

[現在地名]村松町大口

南のはく山から流れる滝谷たきや川が平野部に入るところから東側に北に延びる丘陵の西麓に集落がある。南は中島なかじま村。元和五年(一六一九)の寺本一郎右衛門宛堀直寄知行宛行目録(近藤卓穂氏蔵)に菅名組「大口村之内」として知行高八四石二斗とある。


大口村
おおくちむら

[現在地名]上越市大口

南方みなみがた村の南西に位置し、櫛池くしいけ川が東から西に流れる。櫛池川は当地で山岳部から高田平野に流れ出る。正保国絵図によると高一七一石余。天和三年郷帳では高一四四石一斗余、うち山高一石二斗。


大口村
おおぐちむら

[現在地名]竹田市志土知しとち

稲葉いなば川上流にあり、東は下志土知村、西は志土知村。幕末期の新村。弘化物成帳では中角組のうち、村位は中、免八ツ二分七厘、田一四六石余(一三町四反余)・畑八〇石余(一四町九反余)・屋敷七石余(七反余)で、開田はほとんどなく、開畑一石余(二町五反余)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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