日本歴史地名大系 「辰巳用水」の解説
辰巳用水
たつみようすい
加賀藩三代藩主前田利常が金沢城の防火用水として寛永九年(一六三二)に開設した用水。城を取囲む堀には内総構堀と外総構堀がある。内総構堀は慶長四年(一五九九)の築造で(「前田家雑録」加越能文庫)、全長は二・九キロ。外総構堀は全長四・四キロで、同一六年に造られたが(三州志来因概覧)、当時は金沢城への水利が悪く、二つの堀は空堀であったといわれる。金沢は再度の大火にあい、慶長七年には金沢城の天守が落雷のため焼失した(三壺記)。元和六年(一六二〇)にはこたつ火の不始末により本丸・屋形などが焼けている(「老翁雑記」加越能文庫)。辰巳用水建設の動機は寛永八年の金沢大火で、
辰巳用水の設計者は、寛永八年よりの覚書(後藤文書)に「今年夏金沢町中水不行届ニ付、火事□節水ノ手悪キニ依テ才川ノ上辰巳ト云所□水ヲ掘上、金沢町中江水道ヲ取事、小松町人板屋兵四郎工ニ依テ也」とあり、小松の町人板屋兵四郎であったことが知れる。板屋兵四郎については、同七年まで能登の勘定奉行であった稲葉左近の配下で、小代官を勧めた下村兵四郎(上梶文書)と同一人物と考えられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報