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辰巳用水 たつみようすい

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大辞林 第三版の解説

たつみようすい【辰巳用水】

石川県金沢市、犀川の上辰巳から小立野台地に引かれた用水。長さ約20キロメートル。1632年金沢城の防火用水として開設。御城水。殿様用水。御水道上水。

出典|三省堂
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国指定史跡ガイドの解説

たつみようすい【辰巳用水】


石川県金沢市上辰巳町ほかにある水路。犀川(さいがわ)上流の上辰巳で取水し、約4kmの導水トンネルを経て小立野(こだつの)台地に出た後、兼六園にいたる全長約11kmの用水路。寛永の大火を契機として、加賀藩3代藩主前田利常(としつね)の命により、金沢城の防火機能の向上や水利の改善を目的として造営され、1632年(寛永9)に小松の町人、板屋兵四郎が完成させた。当時は、兼六園から百間堀を隔てる金沢城に導水するため木樋(もくひ)が埋設され、取水口との水位の高低差を利用して城内に水を供給し、さらに余った水は周辺の新田開発などに使われた。木樋はのちに石管に替えられ、石管には越中砺波(となみ)で産する金屋石が用いられた。上流部の河岸段丘の斜面をうがったトンネルは、平均幅約1.7m、高さ2~2.6mの断面を示し、発掘調査の結果、トンネルに並行する開渠(かいきょ)跡も見つかった。18世紀末には上流部の開渠水路部分のトンネル化が始められ、『辰巳用水東岩取水口絵巻』によれば、長大なトンネルがほぼ完成していたようである。基盤層が軟弱なところでは、延長約260mの3段石垣などで水路を保護している。辰巳用水は、江戸時代土木技術を知るうえで貴重なことから、上流部、中流部を中心とした延長約8.7kmが、2010年(平成22)に国の史跡に指定された。JR北陸本線金沢駅から車で約30分。

出典|講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

辰巳用水
たつみようすい

石川県金沢市にある用水。犀(さい)川上流の上(かみ)辰巳町で取水し、約3キロメートルのトンネルで導水し、約5キロメートルは段丘上を流れて兼六園(けんろくえん)に入り、逆サイフォンを利用して金沢城内へ引水した。途中分流して現在も市街の用水になり、末流は農業用水にも利用される。1632年(寛永9)に加賀藩が板屋兵四郎に命じてつくらせたもの。前年の大火で城下から城内まで焼失したのを契機に、防火用水として短期間に完成。逆サイフォンの石管の継ぎ目には特別の技法を用いるなど、その土木技術の高水準は注目される。取り入れ口は移動してもいるが、文化的評価が高まっている。[矢ヶ崎孝雄]
『『加賀辰巳用水』(1983・辰巳ダム関係文化財等調査団)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の辰巳用水の言及

【トンネル】より

…土木建築用の石材の切出しも鉱物の採掘と同様,トンネル技術の発達を促し,併せて地下通路,通水路(上下水道,灌漑など),墳墓などのトンネルもつくられた。 日本でも,1632年(寛永9),金沢市内で兼六園と城とに通水するため,犀川上流から水路トンネルや伏せ越しと呼ばれる逆サイホンなどを用いた辰巳(たつみ)用水の工事が着手されており,66年(寛文6)には明治維新以前の日本における最大のトンネル工事であった箱根用水の工事が始まっている。また佐渡の金山が盛んに採掘されたのも,この時代である。…

※「辰巳用水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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