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近江毛野 おうみのけぬ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

近江毛野
おうみのけぬ

[生]?
[没]継体24(530).対島
古代の武将。継体 21 (527) 年,6万の兵を率いて朝鮮の任那におもむき,新羅に併合された旧地を回復しようとしたが,途中,九州で磐井の乱にあってはばまれ,同 23年朝鮮に渡った。まず旧地の南加羅,喙己呑 (とくことん) の2国を復興させたが,策を誤り,百済の反感を買った。次いで勅命により,任那,新羅,百済の諸王と会盟し,任那への進出停止を誓わせようとしたが失敗して,新羅によりさらに侵略された。彼は久斯牟羅に駐留して政治にあたったが,失政が多く,2回にわたり現地からその非が日本に報じられ,任那王も百済,新羅とともに毛野を攻めた。帰国途上,対馬で病死。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

近江毛野 おうみの-けの

?-530 6世紀前半の武人。
近江(滋賀県)の豪族。継体天皇21年(527)任那(みまな)救援,新羅(しらぎ)征討のため6万の兵をひきいて出発したが,九州で磐井(いわい)の反乱によってはばまれた。23年朝鮮にわたり,任那保全のため新羅,百済(くだら)と交渉したが失敗。帰国の途中,24年対馬(つしま)で病死した。

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世界大百科事典 第2版の解説

おうみのけの【近江毛野】

?‐530
6世紀前半の継体朝に朝鮮遠征に赴いた武人。近江の豪族。527年兵6万を率いて任那(みまな)に赴き,新羅に奪われた南加羅・喙己呑(とくことん)を回復しようとしたが,筑紫国造磐井(いわい)にはばまれて果たせなかった。翌年磐井が誅されたので,529年渡海し,任那と新羅・百済との和解を工作するが失敗。翌年任那王はかえって毛野を攻撃した。彼の失政が日本へ報告され,継体天皇の命で召還される途中対馬で病死した。磐井の乱【熊谷 公男】

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世界大百科事典内の近江毛野の言及

【磐井の乱】より

…故,物部荒甲(あらかひ)の大連,大伴金村の連二人を遣わして,石井を殺したまひき〉と記す。《日本書紀》の記すところでは,継体21年(527)6月に近江毛野が6万の軍を率い,任那に赴き新羅に破られた南加羅・己呑(とくことん)を復興しようとしたとき,かねて反乱の機をうかがっていた筑紫国造の磐井が,新羅の貨賂をうけ火・豊2国に勢力を張って毛野の軍を遮断したので,天皇は大伴金村,物部麁鹿火,許勢男人らに征討を命じた。翌年11月に至って,大将軍の麁鹿火がみずから磐井と筑紫の御井郡で交戦し,ついにこれを斬ることをえた。…

※「近江毛野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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