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太平洋戦争末期、1944年(昭和19)6月19~20日に行われた日米艦隊決戦。同年6月11日、米機動部隊はマリアナ海域に出現、15日にはサイパン島へ上陸を開始した。このため、連合艦隊は「あ号作戦」を発動、フィリピンのタウイタウイ泊地に待機していた小沢治三郎(じさぶろう)中将麾下(きか)の第一機動艦隊(空母9隻を基幹)が出撃した。スプルーアンス大将麾下の米機動部隊(空母15隻を基幹)は、マリアナ諸島西方に展開してこれを迎え撃ち、空前の艦隊決戦が行われた。この戦闘で米軍の損害は、航空機の喪失約100機、艦艇の小破数隻にとどまったのに対し、日本軍は航空機約400機を喪失、空母3隻、補給船3隻を撃沈され、加えてこの決戦とその前哨(ぜんしょう)戦のなかで虎(とら)の子の基地航空隊も壊滅的打撃を被った。
マリアナ沖海戦は、日米兵力間の量的・質的格差を明白に示すとともに、米軍によるマリアナ攻略戦の勝利を不動のものとし、以後、日本本土は激しい空襲にさらされることになる。
[吉田 裕]
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…補給を断たれた孤島の日本軍守備隊は,43年5月29日のアリューシャン(アレウト)列島アッツ島守備隊を皮切りに,相次いで全滅し,大本営はこれを〈玉砕〉と発表して美化した。9月30日,大本営は千島,小笠原,内南洋中西部,西部ニューギニア,インドネシアおよびビルマを含む地域を〈絶対国防圏〉に指定したが,44年6月19~20日のマリアナ沖海戦での惨敗と7月8日のサイパン島失陥によって〈絶対国防圏〉構想は破綻した。東条内閣は重臣を中心とする東条打倒運動によって総辞職に追い込まれ,7月22日に小磯国昭内閣が成立した。…
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