日本大百科全書(ニッポニカ) 「遊行人」の意味・わかりやすい解説
遊行人
ゆぎょうにん
もとは衆生済度(しゅじょうさいど)と修行を目的に諸国を廻国(かいこく)した僧侶(そうりょ)をさしたが、現在は歴史に登場する祝福祈祷(きとう)芸を職能とする門付(かどづけ)の諸種の神人(じにん)を包含する用語。
遊行による利益(りやく)功徳の仏説は、鎌倉後期に時宗(じしゅう)を開いた一遍(いっぺん)によって説かれ、遊行上人(しょうにん)と崇(あが)められた。しかし平安なかばに空也(くうや)が念仏廻国修行して市聖(いちのひじり)とよばれたように遊行の歴史は古く、一方で日本固有の信仰として、時を定めて寿詞(ほかい)を捧(ささ)げるため貴人の邸(やしき)や祭りの庭を訪れた乞食者(ほかいびと)や海人(あま)、山人(やまびと)の古い伝統があり、時代が下るとともに遊行人は類を増した。上世には傀儡子(かいらいし)、陰陽師(おんみょうじ)など、中世には田楽(でんがく)や猿楽(さるがく)の法師、唱門師(しょうもんじ)(千秋万歳(せんずまんざい)を含む)、念仏聖(ねんぶつひじり)、修験者(しゅげんじゃ)、夷(えびす)回しなどが、近世には歌比丘尼(うたびくに)、鉢敲(はちたたき)、放下(ほうか)、獅子舞(ししまい)、代神楽(だいかぐら)、住吉(すみよし)踊、猿若(さるわか)など数十種の遊行人が横行したが、多くは厄払(やくはら)い、物吉(ものよし)、節季候(せきぞろ)、すたすた坊主などのように零落した勧進餬(かんじんもらい)の徒であった。近世以降は下火になり、近年になって瞽女(ごぜ)、ボサマ、夷回しなども廃絶したが、太神楽(だいかぐら)獅子舞は健在で、鳥刺(とりさし)、大黒(だいこく)舞、万歳(まんざい)、春駒(はるこま)、願人(がんにん)踊りなどは郷土芸能化して残存し、猿回しは復活を果たした。なお、遊行の「遊(あそぶ)」は古く鎮魂歌舞を意味することばであった。
[西角井正大]