小説家。大正12年3月27日東京・巣鴨(すがも)に父常久(安田銀行勤務)、母郁(上野音楽学校バイオリン科卒)の次男として生まれる。父の転勤のため3歳のとき、中国の大連(だいれん)に移り、10歳のとき父母の離婚により母に連れられて帰国。神戸に住み、カトリック教徒の伯母の勧めで12歳(1935)のとき夙川(しゅくがわ)カトリック教会で受洗。洗礼名ポール。1940年(昭和15)灘(なだ)中学校を卒業、翌41年上智大学予科に入学。この年12月、雑誌『上智』第1号に評論「形而上(けいじじょう)的神、宗教的神」を発表。42年2月、上智大学予科を退学。この間旧制高校受験の失敗が続くが、母の経済的負担を考え、東京・経堂(きょうどう)の父の家に移る。1943年、3年間の浪人生活を経て慶応義塾大学文学部予科に入学。しかし父が命じた医学部を受けなかったため勘当され、父の家を出てアルバイト生活を続ける。カトリック哲学者吉満義彦が、舎監をしていた学生寮に入り、吉満の紹介で堀辰雄を知るが、この両者から受けた思想的、文学的影響は深い。徴兵検査は第一乙種であったが、肋膜(ろくまく)炎のため召集延期となり、入隊しないまま終戦を迎える。45年、慶応義塾大学文学部仏文科に進学。恩師佐藤朔(さく)(1905―96)の勧めでF・モーリヤック、G・ベルナノスなどカトリック文学に傾倒。47年『四季』に掲載された「神々と神と」が処女評論。49年仏文科卒業、卒論は「ネオ・トミズムにおける詩論」。50年には戦後最初の留学生としてカトリック文学研究のため渡仏。リヨン大学に学んだが、肺結核のため53年帰国。以後評論活動を続け、54年には初めての小説『アデンまで』を発表。翌年『白い人』により芥川(あくたがわ)賞を受賞、創作活動に転じ、58年『海と毒薬』(毎日出版文化賞)で独自なキリスト教作家としての地歩を築く。
こののち肺結核再発のため1960年から62年に至る入院生活中に深い回心があったとみられ、以後の作品には作家的成熟とともに、より深い宗教的主題の展開がみられる。『沈黙』(1966。谷崎潤一郎賞)、『死海のほとり』(1973)、『侍』(1980。野間文芸賞)と続く展開には、愛の原像としての「母なる神」が、いかにして日本人の心のなかに深く生きうるかという作家終生の主題の深まりがみられ、これは晩期の代表作『深い河』(1993。毎日芸術賞)一編へと集約される。同時に最初の長編『青い小さな葡萄(ぶどう)』(1956)や『死海のほとり』にみる、留学時以来の課題ともいうべき「アウシュウィッツ以後」という、遠藤文学におけるいまひとつの側面も見逃すことはできまい。また『おバカさん』(1959)、『わたしが・棄てた・女』(1964)などの通俗的作品、『黄金の国』(1966)ほかの戯曲、さらには宗教的エッセイなどその幅広い活動のうちに、カトリック作家としての積極的意図と優れた表現活動をうかがうことができる。その一方の極である、『狐狸庵閑話』(1965)などユーモラスなエッセイ「狐狸庵」シリーズも好評であった。1981年芸術院会員、85年には日本ペンクラブ第10代会長(~89)、88年文化功労者、95年(平成7)文化勲章受章。1992年以後腎臓(じんぞう)病のため闘病生活が続いたが、96年9月29日永眠、73年の生涯であった。
[佐藤泰正]
『『遠藤周作歴史小説集』1~7(1995~96・講談社)』▽『『遠藤周作文学全集』全15巻(1999~2000・新潮社)』▽『『狐狸庵閑話 ぐうたら人間学』『狐狸庵閑話 ぐうたら愛情学』『狐狸庵閑話 ぐうたら交友録』(講談社文庫)』▽『『狐狸庵閑話 わが青春に悔いあり』(角川文庫)』▽『『狐狸庵閑話』(新潮文庫)』▽『佐藤泰正編著『鑑賞日本現代文学25 椎名麟三・遠藤周作』(1983・角川書店)』▽『笠井秋生著『遠藤周作論』(1987・双文社出版)』▽『佐古純一郎著『椎名麟三と遠藤周作』(1989・朝文社)』▽『上総英郎著『十字架を背負ったピエロ――狐狸庵先生と遠藤周作』(1990・朝文社)』▽『『群像日本の作家22 遠藤周作』(1991・小学館)』▽『広石廉二著『遠藤周作の縦糸』『遠藤周作のすべて』(1991・朝文社)』▽『中村真一郎他著『遠藤周作の世界――追悼保存版』(1997・朝日出版社)』▽『山形和美編『遠藤周作――その文学世界』(1997・国研出版、星雲社発売)』▽『佐藤泰正編・解説『作家の自伝98 遠藤周作』(1999・日本図書センター)』▽『笠井秋生・玉置邦雄編『作品論 遠藤周作』(2000・双文社出版)』▽『『対談遠藤周作・佐藤泰正 人生の同伴者』(新潮文庫)』▽『文芸春秋編『遠藤周作のすべて』(文春文庫)』▽『遠藤順子著、聞き手・鈴木秀子『夫・遠藤周作を語る』(文春文庫)』
昭和・平成期の小説家
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…すなわち〈浄罪詩篇〉を含む《月に吠える》(1917)によって現代詩への発端をひらいた萩原朔太郎や,遺稿《歯車》や《西方の人》に聖書によって問われる人間の実存的苦悩を描いた芥川竜之介などの登場が注目される。この系譜は昭和に入っては中原中也や太宰治の文学につながり,芥川における東方と西方の対立はその弟子堀辰雄を経て戦後の福永武彦や遠藤周作まで受け継がれてゆくこととなる。ただこれら大正から昭和にかけての文学者たちのほとんどがキリスト者ではなかったのに対して,戦後文学が椎名麟三,遠藤周作,曾野綾子,小川国夫をはじめ多くのキリスト者作家を生み出していることは注目すべきであろう。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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