コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

安岡章太郎 やすおかしょうたろう

6件 の用語解説(安岡章太郎の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

安岡章太郎
やすおかしょうたろう

[生]1920.5.30. 高知
小説家。慶應義塾大学在学中召集を受け (1944) ,第2次世界大戦後の貧窮と病苦のなかで創作に励み,1953年『陰気な愉しみ』,『悪い仲間』で芥川賞を受賞。戦後文学の転回点を示す作家として,小島信夫吉行淳之介庄野潤三らとともに「第三の新人」と呼ばれた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

やすおか‐しょうたろう〔やすをかシヤウタラウ〕【安岡章太郎】

[1920~2013]小説家。高知の生まれ。「第三の新人」の一人。「悪い仲間」「陰気な愉(たの)しみ」で芥川賞受賞。他に「海辺(かいへん)の光景」「幕が下りてから」「流離譚(りゅうりたん)」など。芸術院会員。平成13年(2001)文化功労者

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

安岡章太郎【やすおかしょうたろう】

小説家。高知県生れ。慶応大学卒。《三田文学》に発表した《ガラスの靴》が芥川賞候補作となり,《悪い仲間》《陰気な愉しみ》(いずれも1953年)で第29回芥川賞を受賞。
→関連項目三田派

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

安岡章太郎 やすおか-しょうたろう

1920-2013 昭和後期-平成時代の小説家。
大正9年5月30日生まれ。昭和28年「悪い仲間」「陰気な愉しみ」で芥川賞。自己を劣等生に擬する作品で知られ,「第三の新人」のひとり。「海辺の光景」で35年芸術選奨,野間文芸賞,42年「幕が下りてから」で毎日出版文化賞。51年芸術院会員。57年安岡覚之助ら父方のルーツをさぐった「流離譚」で日本文学大賞,平成8年「果てもない道中記」で読売文学賞。12年母方のルーツをさぐる「鏡川」を発表。13年文化功労者。平成25年1月26日死去。92歳。高知県出身。慶大卒。作品はほかに「志賀直哉私論」「僕の昭和史」「カーライルの家」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

知恵蔵miniの解説

安岡章太郎

小説家。1920年5月30日、高知県生まれ。第一東京市立中学校(当時)を経て、41年、慶應義塾大学文学部予科に入学。44年、陸軍に招集され満州に渡るが肺結核を患い除隊となる。さらに脊椎カリエスを罹患し、苦痛の中執筆した『ガラスの靴』で文壇デビュー。同作が芥川賞候補となり、吉行淳之介阿川弘之らとともに「第三の新人」と呼ばれた。53年、『悪い仲間』『陰気な愉しみ』により芥川賞受賞。病気が快癒し旺盛な執筆活動を始め、「第21回毎日出版文化賞」(67年)、第25回読売文学賞小説賞(74年)など多数の文学賞を受賞した。2001年、文化功労者に定められる。13年1月26日、老衰により死去。享年92。

(2013-1-31)

出典|(株)朝日新聞出版発行
(C)Asahi Shimbun Pubications Inc
本事典の解説の内容はそれぞれの執筆時点のものです。常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

安岡章太郎
やすおかしょうたろう
(1920―2013)

小説家。大正9年5月30日高知市に生まれる。陸軍獣医であった父の勤務地を転々し、朝鮮の京城で小学校に入学後も弘前(ひろさき)、東京・青山と転校が続いた。浪人3年後、慶応義塾大学文学部予科に入学、在学中の1944年(昭和19)応召、中ソ国境に近い孫呉(そんご)に行くが胸部疾患のため入院し、戦死を免れる。戦後は脊椎(せきつい)カリエスに苦しみながら小説を書き、『三田(みた)文学』に『ガラスの靴』(1951)などを発表、1953年『悪い仲間』『陰気な愉(たの)しみ』により芥川(あくたがわ)賞を受賞。三浦朱門(しゅもん)、吉行淳之介(よしゆきじゅんのすけ)、小島信夫(のぶお)、近藤啓太郎、服部達(はっとりたつ)、遠藤周作らと交わり、ともに「第三の新人」とよばれた。「第三の新人」の文学は小市民的、私小説的で思想性がないなどといわれた。母の死から発想した『海辺(かいへん)の光景』(1959。芸術選奨受賞)を代表とする安岡の初期の作品も私小説的であるとされる。『青葉しげれる』(1958)などの順太郎ものには戦中の暗い青春が描かれ、『家族団欒(だんらん)図』(1961)などでは父が題材となっている。
 1960年から翌年にかけて約半年間アメリカ南部に留学、この体験から生まれたエッセイ集『アメリカ感情旅行』(1962)あたりからエッセイの面でも活躍が多くなり、『志賀直哉(なおや)私論』(1968)などの文学論のほか、社会的発言も積極的になった。1970年代からは、『走れトマホーク』(1973)、『放屁(ほうひ)抄』(1979)などの自在な短編を書くとともに『私説聊斎志異(りょうさいしい)』(1973~1974)ではエッセイとロマンを融合させた作風を示し、長編『流離譚(りゅうりたん)』(1976~1981。日本文学大賞受賞)では、幕末の安岡家の人々を中心にした歴史小説に、調べて書く方法を結実させた。エッセイ『僕の昭和史』(1979~1988)は安岡個人の自伝であるだけでなく、戦中戦後の生きた時代史としても貴重である。戦後派の後を受けて過小評価のなかで出発したが、その後の大衆社会状況下において、柔軟ななかに戦中世代の強さを貫いた。1976年芸術院賞を受賞、同年芸術院会員。2001年(平成13)文化功労者。[鳥居邦朗]
『『安岡章太郎集』全10巻(1986~1988・岩波書店) ▽『僕の昭和史』全3巻(1979~1988・講談社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

安岡章太郎の関連キーワード小林蹴月南国高知総合博覧会宮崎夢柳残留孤児・婦人訴訟判決高知県高知市高須高知県高知市丸ノ内仮谷忠男中内蝶二野沢純森下雨村

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

安岡章太郎の関連情報