昭和20年代後半以降に文壇作家となった安岡章太郎、吉行淳之介(よしゆきじゅんのすけ)、小島信夫(のぶお)、庄野(しょうの)潤三、小沼丹(おぬまたん)、曽野綾子(そのあやこ)、三浦朱門(しゅもん)、遠藤周作などをさしていう。第一次戦後派(平野謙、埴谷雄高(はにやゆたか)、野間宏(のまひろし)ら)、第二次戦後派(中村真一郎(しんいちろう)、福永武彦、加藤周一(しゅういち)ら)に続く作家たちで、この呼称は、山本健吉の評論「第三の新人」(『文学界』1953.1)に由来する。評論家服部達(はっとりたつ)は、彼らの共通項として、「戦争中に青春を過ごしたこと」、「私小説的伝統への復帰の流れに棹(さお)さしたこと」、「朝鮮動乱の特需による景気回復に比喩(ひゆ)的に照応すること」(「劣等生、小不具者、そして市民――第三の新人から第四の新人へ」、『文学界』1955.9)をあげ同世代的な理解を示した。
[栗坪良樹]
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昭和20年代後半に文壇に登場した安岡章太郎,吉行淳之介,庄野潤三,遠藤周作,小島信夫,阿川弘之,三浦朱門らをいう。第1次戦後派および後続の新人につづく3番目の新人群という含みをもって用いられた。《文学界》(1953年1月号)に載った山本健吉の《第三の新人》が最初の紹介論文だが,当初は必ずしも前述の作家をさすものではなかった。服部達が《文学界》(1955年9月号)で〈劣等生・小不具者・市民〉を〈第三の新人〉の特色として挙げるにおよんでほぼ内容が定着した。すなわち社会性や思想性のつよかった戦後派作家に対して,日常生活のなかで弱者の意識,正義と無縁な小市民意識を基盤とする作風の持主として,前記の作家群を意味するにいたった。その後,各作家の成熟に応じて,それぞれ作風の変容と多様化を示したが,便宜上のグループ名としては存続し,文学史的にも定着するにいたっている。
→戦後文学
執筆者:磯田 光一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…〈戦後派〉の流れを継承する者としては安部公房,井上光晴,島尾敏雄らの小説家が戦争体験を独自の方法で文学化し,彼らに対応する評論家として吉本隆明がいる。彼らは三島由紀夫と同世代だが,この世代のうちで非政治的な立場で日常性の危機を文学化したのが〈第三の新人〉と呼ばれる安岡章太郎,吉行淳之介,小島信夫らであった。だが50年代の後半には,さらにその下の世代から大江健三郎,石原慎太郎,開高健,および評論家として江藤淳が登場した。…
…藤枝静男が《空気頭》(1967)でシュルレアリスム風のフィクションを混合した上に,グロテスク性を追求して私小説に荒々しいダイナミックスを与えたのがその顕著な例である。一方,“第三の新人”は家庭と日常生活の再認識に向かい,島尾敏雄《死の棘(とげ)》(1960‐76),安岡章太郎《海辺(かいへん)の光景》(1959),庄野潤三《静物》(1960),阿川弘之《舷灯》(1966)などを生んだ。その後の世代でも三浦哲郎,阿部昭など私小説的なものを核にもつ作家が出現している。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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