(読み)はべり

精選版 日本国語大辞典 「侍」の意味・読み・例文・類語

はべ・り【侍】

〘自ラ変〙 (「這(は)ひあり」の変化したものという) 這いつくばる動作を表わすところから、絶対者の支配下・恩恵下に存在させていただく、さらに、絶対者・尊者のおそばにいさせていただくという敬語性を帯びるように発展したものか。なお、「はんべり」の語形のものもある。
[一]
① 人や物の存在するのを、天皇や神仏など、絶対者の支配のもとにあるという意識で表現する。(絶対者の支配のもとに)あらせていただいている、つつしんで存在する。
※書紀(720)推古一六年六月(岩崎本訓)「餝船(かざりふね)卅艘を以て、客等を江口に迎へて、新館に安置(ハヘラシム)
※続日本紀‐天平神護二年(766)一〇月二〇日・宣命「如来の尊き大御舎利は〈略〉謹み礼(ゐや)まひ仕へ奉りつつ侍(はべリ)
② 特に、貴人・支配者のそば近くにあらせていただく。つつしんで貴人のおそばにいる。
※書紀(720)用明二年四月(図書寮本訓)「天皇〈略〉宮(とつみや)に還入(かへりおはします)。群臣侍(ハヘリ)
※延喜式(927)祝詞(九条家本訓)「集侍(うごなはりハヘル)親王諸王諸臣百官の人等」
③ 対話敬語として、尊者に対するかしこまり改まった表現(会話、消息、勅撰集などの詞書を含む)に用いる。①の「侍り」の支配者に対する敬意が聞き手に移り、「あなたさまのおかげであらせていただく」の気持から、広く「ある」「いる」の意をへりくだり、また、丁重にいう語となったものか。
(イ) 貴人のそばや貴所にいるの意の場合。一説に(ロ)と同義で、ただ存在する場所が貴所にすぎないともいう。
※古今(905‐914)離別・三九七・詞書「かむなりの壺に召したりける日〈略〉夕さりまで侍てまかりいでけるをりに」
※枕(10C終)五六「御前のかたにむかひて、うしろざまに、誰々か侍ると問ふこそをかしけれ」
(ロ) 自己または自己側のものの存在を、聞き手に対し、へりくだる気持をこめて丁重にいう場合。
※古今(905‐914)恋二・五八八・詞書「やまとに侍ける人につかはしける」
※源氏(1001‐14頃)桐壺「いともかしこきはおきどころも侍らず」
(ハ) 広く一般に、存在の意(「あり」「おり」)を丁重にいうのに用い、いい方を改まったものにする場合。通常、丁寧語といわれる。→語誌(2)。
多武峰少将物語(10C中)「女ぎみ『法師にならんと侍は、我をいとひ給なめり』とて」
※大鏡(12C前)一「昔物語して、このおはさふ人々に、さはいにしへはかくこそ侍りけれと聞かせ奉らむ」
④ 地の文に用いて、あるものの存在を、自己の経験したこと、知っていることとして、つつしみ深く表わす。読者を予想した表現ともいわれ、特に、中世に多いこの用法は、一種の雅語的用法であるともいわれる。
※源氏(1001‐14頃)関屋「守も〈略〉あいなのさかしらや、などぞはべるめる」
徒然草(1331頃)一一「神無月の比、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ること侍りしに」
[二] 補助動詞として用いる。
① (一)③の場面で用いる対話敬語。
(イ) 形容詞・形容動詞の連用形、体言に断定の助動詞の連用形「に」の付いたものに付いて、叙述の意を添える「あり」を、へりくだり改まる気持をこめて表現したり、また、単に丁重に表現したりする。後者の場合は丁寧語ともされる。…(で)あります。…(で)ございます。
※古今(905‐914)恋四・七四〇・詞書「中納言源ののぼるの朝臣のあふみのすけに侍けるとき」
※枕(10C終)八「姫宮の御前の物は、例のやうにては、にくげにさぶらはん〈略〉ちうせい高杯などこそよく侍らめ」
(ロ) 動詞の連用形(または、それに助詞「て」の付いたもの)に付いて、その動作の存続を表わす「(て)あり」の意を丁重に表現したり、また、単にその動作を丁重に表現したりする。…ております。…ます。多く、自己または自己側の動作を表わす動詞に付いて、へりくだる気持がこめられるが、一般的に第三者の動作に用いることもあり、この場合は丁寧語ともされる。→語誌(3)。
※竹取(9C末‐10C初)「おのが身は、此国に生れて侍らばこそ使ひ給はめ」
※大鏡(12C前)一「かかればこそ、昔の人は、もの言はまほしくなれば、穴を掘りてはいひ入れ侍りけめと、おぼえ侍り」
② (一)④のものの補助動詞用法として、地の文に用いる。動詞などに付いて、その表現に丁重さを加える。自己の経験や感想をつつしみ深く表わす場合に多く用いられるが、この用法は中古には特殊で、中世以降の擬古文に多くみられる。
紫式部日記(1010頃か)寛弘五年秋「物語にほめたる男の心地し侍しか」
※俳諧・奥の細道(1693‐94頃)平泉「笠打ち敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ」
[語誌](1)活用はラ変であるが、後世はラ行四段化した。「法華義疏長保四年点」に「侍れり」とあり、「今昔‐一九」に「事の外に侍れりけり」とあるなど、完了の助動詞「り」の付いたものがあることから、このころ四段化しはじめていたのだろうとする説がある。なお、現代語でも「はべる」の形で用いられることがある。→侍る
(2)((一)③(ハ) について) 中古の「侍り」は原則として敬うべき聞き手側のものについては用いられない点で、後の丁寧語「さぶらう」「そうろう」や「ございます」とは異なる。当時にも、「蜻蛉‐下」の「な死にそと仰せはべりしは」、「枕‐八」の「よしよしまた仰せられかくる事もぞ侍る」、「源氏‐若紫」の「一日召し侍りしにやおはしますらむ」などのように聞き手側の事柄に用いた用例もあるが、これらは、その事柄が「わが身に侍り」の気持であり、時には「あっていただく」「あってくださる」の意にも解せられるとする説がある。なお、(一)③(ハ) の「多武峰少将物語」の例や前記諸例の「仰せはべり」「召しはべり」などを、ある動作が存在するの気持から生じた尊敬表現(「御感あり」など)の「あり」を丁寧に表現するものとみる説もある。
(3)((二)①(ロ)について) 動詞に付く補助動詞の場合にも、中古では、原則として尊敬すべき人の動作に用いた例はみられず、一般的な、丁寧語とみられるものも、その動作を自己の主観として表現する気持のこめられることが多い。なお、中世の擬古文における文章語では、会話文・地の文を通じて、尊敬語とともに用いた例がみられる。「撰集抄‐五」の「小倉のふもとに行ひすましておはし侍りとうけたまはり侍りしかば」や、「徒然草‐二一五」の「心よく数献に及びて、興にいられ侍りき」など。
(4)中世になると「はべり」は古風な語として形式化し、「平家」では、わずか三例が、過去の老翁、弘法大師の霊、異邦人の霊という特殊な存在の会話に用いられているに過ぎない。近世の俳文の「侍り」については、直接には連歌師の文章の伝統を受け継いだものとする説がある。
(5)伝聞の助動詞「なり」や、推量の助動詞「めり」などの付く場合には、「はべなり」「はべめり」となることがある。「はべんなり」「はべんめり」の撥音「ん」の無表記と考えられる。「蜻蛉‐下」の「不定なることどももはべめれば」や、「源氏‐帚木」の「かやうなる際(きは)は際とこそはべなれ」など。

はんべ・り【侍】

〘自ラ変〙 (「はむべり」とも表記。「はべり(侍)」の「べ」の前に、鼻音「む」のはいってできた語形か。→語誌)
[一]
① =はべり(侍)(一)①
※書紀(720)允恭八年二月(図書寮本訓)「是夕(こよひ)衣通郎姫、天皇を恋(しのひ)たてまつって、独り居(ハムヘリ)
② =はべり(侍)(一)②
※書紀(720)雄略一二年一〇月(図書寮本訓)「時に秦の酒の公、侍坐(オホトニハムヘリ)
③ =はべり(侍)(一)③
※竹取(9C末‐10C初)「此のめのわらはは、たえて宮仕へつかうまつるべくもあらずはんべるを」
④ =はべり(侍)(一)④
御伽草子・一寸法師(室町末)「津の国難波の里に、おうぢとうばと侍(ハンベ)り」
[二] 補助動詞として用いる。
① =はべり(侍)(二)①
※源氏(1001‐14頃)蓬生「むつび聞こえさせんもはばかること多くすぐしはむべるを」
② =はべり(侍)(二)②
※御伽草子・文正草子(室町末)「塩焼の文正と申す者にてぞはんべりける」
[語誌](1)成立については、「はべり」が「はひ(這)あり」から変化したものとすれば、その変化の過程で、実際には「べ」の前に鼻音mのはいっていたのが、「はべり」とも「はむ(ん)べり」とも表記されたもののようにも考えられる。
(2)訓点資料に多く見られるが、訓点資料の表音性から、「はべり」よりも「はんべり」の方が一般的であったとも推測される。中世末期においても、「ロドリゲス日本小文典」に、「文書体」の「過去形に用いられる助辞」として、「にけり」「にたり」などとともに「nifamberi(ニハンベリ)」をあげ、「日葡辞書」で、「はべり」は載せないが、文書語として「Fanberi(ハンベリ)」を載せている。

はんべ・る【侍】

〘自ラ四〙 (動詞「はんべり(侍)」の意味が変わって後世に残ったもの)
※不如帰(1898‐99)〈徳富蘆花〉上「遠(とほざ)けしにや、側に侍(ハンベ)る女もあらず」
② (貴人の前などにあるというところから) 俳句などを作って捧げる。
歌舞伎小袖曾我薊色縫十六夜清心)(1859)三立「一句はんべってはどふでござる」

はべ・る【侍】

〘自ラ五(四)〙 (動詞「はべり(侍)」の意味が変化して後世に残ったもの) (目上の人のそばや宴席などに)世話をしたり、指示を受けて動いたりするためにつき従っている。かしこまってある席などにいる。はんべる。
人情本・貞操婦女八賢誌(1834‐48頃)五「お有女と烏羽玉を、右と左に侍(ハベ)らせつ」

じ‐・する【侍】

〘自サ変〙 じ・す 〘自サ変〙 高貴な人や目上の人のそば近くに仕える。はべる。
史記抄(1477)三「いつもまつそばに侍するほどに」
※こゝろ(1914)〈夏目漱石〉上「彼等の席に侍(ジ)するのを心苦しく感じてゐた」

じ【侍】

〘名〙 令制で、篤疾者または八〇歳以上の高齢者の世話をするために官より給せられた人。庸・雑徭(ぞうよう)を免ぜられた。
※続日本紀‐慶雲四年(707)七月壬子「給侍高年百歳以上、賜籾二斛

じ‐・す【侍】

〘自サ変〙 ⇒じする(侍)

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デジタル大辞泉 「侍」の意味・読み・例文・類語

さむらい〔さむらひ〕【侍/士】

《「さぶらい」の音変化》
武芸をもって貴族や武家に仕えた者の称。平安中期ごろから宮中や院を警固する者をいうようになり、鎌倉・室町時代には凡下ぼんげ(庶民)と区別される上級武士をさした。江戸時代になって幕府の旗本、諸藩の中小姓以上の称となり、また、士農工商のうちの士身分をいう通称ともなった。武士。
侍所さむらいどころ」の略。
並みの人ではちょっとできないようなことをやってのける人。「彼はなかなかの―だよ」
[補説]書名別項。→
[類語]武士ぶし武士もののふ武者武人武将若武者荒武者落ち武者影武者古武士野伏二本差し

さぶらい〔さぶらひ〕【侍】

《動詞「さぶらう」の連用形から》
主君や主家のそば近くに仕える者。さぶらい人。
親王摂関家などに仕えて、家務に携わる者。
「若き―どもの五六人、汚なげなき姿にて雪まろばしするを見るとて」〈狭衣・二〉
㋑武器をもって皇族や貴族の警固に任じた者。禁中滝口北面東宮帯刀たちはきの類。のち、上級武士の身分を表す呼び名となる。さむらい。
「宮の―も、滝口も」〈紫式部日記
㋒武家に仕える者。家の子。武士。さむらい。
「―五騎、童一人、わが身共に七騎取って返し」〈平家・七〉
下侍しもさぶらい」に同じ。
「―にて男どもの酒たうべけるに」〈古今・夏・題詞〉
侍所さぶらいどころ」の略。
「東の対の北の端、東面などは―にせさせ給へり」〈栄花・本の雫〉

じ【侍】[漢字項目]

常用漢字] [音](呉) シ(漢) [訓]さむらい はべる さぶらう
〈ジ〉身分の高い人のそばに仕える。「侍医侍従侍女近侍奉侍
〈シ〉に同じ。「内侍
〈さむらい(ざむらい)〉「侍蟻さむらいあり若侍
[名のり]ひと

さむらい【侍】[書名]

遠藤周作長編小説ローマ法王に親書を届けるため海を渡ったある下級武士を描いた歴史小説。昭和55年(1980)年刊行。同年、第33回野間文芸賞受賞。

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改訂新版 世界大百科事典 「侍」の意味・わかりやすい解説

侍 (さむらい)

貴人の側近に控える意味の動詞〈さぶらふ〉が名詞に転じたもので,〈さぶらい〉とも呼ばれた。

 〈侍人(さぶらいびと)〉の語は《日本書紀》にもみえるが,平安時代には皇后宮・中宮に仕える侍・侍長(さぶらいのおさ)があり,また親王・摂関・大臣その他の諸家にも侍がいて主人の側近に仕え,下家司(げけいし)として家務を分担している。これらの侍には重代格勤(かくご)の一芸を伝える五位・六位の者が多かったので,諸家に仕える五位・六位の者を侍と呼び,四位・五位の諸大夫につぐ一種の家格ともなった。彼らが伺候した詰所である侍所も侍と略称され,侍の統轄者として侍所長,侍所別当,所司などが置かれた。

 内裏の滝口,東宮の帯刀,院の下北面(北面の武士)などをはじめ,公卿の家には警固の者が宿直し,その出行に扈従したが,彼らも貴人の身辺に候じたところから侍と呼ばれた。その武力をもって奉仕するという職務のため,ここにはしだいに成長してくる地方の武士が多く登用され,また地方の武士も縁を求めてすすんで諸家に伺候した。こうして侍は上級の武士の身分的呼称に転用されるようになったと考えられ,12世紀には〈侍品(さむらいほん)〉という武士身分の呼称もあらわれた。石井進によると,院政期の諸国国衙には国内の武士の家系や過去の記録を記した譜代図などが保存され,彼ら国侍が国司の館を警固し一宮(いちのみや)の神事頭役を務める制度も整えられており,武士身分の決定は国衙との関連でなされたという。またその始期や勤仕の方法にはなお定説がなく,平家の侍大将上総介忠清などとの関係も明らかにされていないが,平安末期には地方の武士が交代で京都に上り内裏警固に当たる京都大番役も行われており,こうした奉仕が侍身分の成立と関連することは確かであろう。

 鎌倉幕府法では侍の身分は,凡下(ぼんげ)や雑人と呼ばれた一般庶民と厳重に区別された。侍は鎌倉市中での騎馬や武装の特権をもち,裁判では拷訊(ごうじん)をまぬかれ,凡下が肉体的刑罰に処される犯罪にも所領没収などの財産刑となることが多かった。侍の中で将軍直属の者を御家人と呼び,そうでない侍を非御家人と呼んで区別したが,御家人の従者である郎等にも所領と名字をもって侍品に属する者が少なくなかった。《吾妻鏡》によると1247年(宝治1)に問注のため出頭した訴訟の座籍を,侍は客人の座,郎等は広庇,雑人は大庭と定めている。これは幕府の法ではなく北条氏の訴訟機関である公文所の規定とみる見解が強いが,いずれにせよここに,当時の庶民に対する侍および郎等の身分的位置づけが明瞭にみられよう。

 身分的変動の激しい室町・戦国時代には,侍が武士一般の呼称となる一方で,御所侍,平侍,国侍,地侍などの新たな区別を生んだ。また江戸時代に一般的に使われた侍という用語には,儒教思想の士と重なった農工商に対する治者階級の意味が強まるが,法制上の用語としては,幕府では御目見(おめみえ)以上の旗本,諸藩では中小姓以上に侍を限定しており,徒(かち)・中間ちゆうげん)などの下級武士とは峻別されていた。

 なお,中世には,高貴な出自の僧侶につかえた僧形の侍者を〈侍法師〉と呼んだが,この侍の用語には,格式の高い寺院につかえる武士を〈寺侍〉と呼んでいた江戸時代の用語とは違った,古代的な特徴が認められる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「侍」の意味・わかりやすい解説


さむらい

武士の称。貴族などのそばに仕えることを意味する動詞「さぶらう(候)」の名詞形「さぶらひ」の転訛(てんか)した語。近侍、近習者(きんじゅしゃ)をさすことから、平安時代中ごろから滝口(たきぐち)、北面(ほくめん)などの武士をいうようになった。出自は、郡・郷司、荘官(しょうかん)やその一族であり、鎌倉時代末期に成立した幕府の訴訟手続解説書『沙汰未練書(さたみれんしょ)』には「侍トハ開発領主ノコト也(なり)」とあるように、一族郎従(ろうじゅう)を率いて開墾と農業経営に従事していた。彼らは鎌倉幕府の成立によって、御家人(ごけにん)やそれに準ずる非御家人の社会的身分とされ、凡下(ぼんげ)と称されたそれ以下の郎従、雑人(ぞうにん)、名主(みょうしゅ)、百姓、職人、商人などと区別されるようになっていった。下級ではあったが朝廷の官位につき、名字を号した。また、服装の面では綾(あや)などを用いることや、烏帽子(えぼし)の着用、鎌倉中での帯刀を許されていた。犯罪の嫌疑をかけられたときは、拷問を受けず、刑罰も所領没収などの財産刑が一般的であり、禁獄あるいは直接肉体に苦痛や損傷を受ける体刑が科されないことになっていた。これらの特権は、古代の律令(りつりょう)の系譜を引く公家(くげ)法や京都の貴族の考え方を受け継いだところが多い。とくに、官位の問題は、中世の身分制度上ばかりでなく、中世の天皇制を考察するうえでも重要であると指摘されている。鎌倉時代中ごろには、従来からの侍、凡下という身分差別を破り、上昇を求める郎従などの侍に準じた侍品(さぶらいぼん)がしだいに増加した。近世幕藩体制下においては、幕臣では御目見(おめみえ)以上、すなわち旗本(はたもと)をよび、諸藩では、中小姓(ちゅうこしょう)以上の者が侍とされた。

[川島茂裕]

『石井進著『日本の歴史12 中世武士団』(1974・小学館)』『永原慶二著『日本中世の社会と国家』(1982・日本放送出版協会)』

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百科事典マイペディア 「侍」の意味・わかりやすい解説

侍【さむらい】

本来,武器をもって貴人に近侍(きんじ)する(さぶらう)者の意。のち武士が成長して,その武力が摂関家や院などで重用されるようになるに従い,侍の名称が武士一般をさすようになった。江戸時代では士農工商の4身分のうち士に属するものを一般に侍と称したが,法制的には御目見得(おめみえ)以上を侍とした。
→関連項目身分統制令

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「侍」の意味・わかりやすい解説


さむらい

武力をもって主君に仕える者の総称。上層の武士。江戸時代,幕府では御目見 (おめみえ) 以上に,大名では中,小姓以上の武士に対して侍の呼称が与えられた。侍とは元来,君側に近侍する者の意味で,平安時代には帳内,内舎人 (うどねり) ,兵衛,滝口,帯刀,北面などの者をさしたが,のちには武力にすぐれた地方の武士をこれら近侍の役に採用するようになり,武士を意味することになった。さらに親王,摂家,大臣などの家人に対する呼称となって,武力をもって主君に仕える者のなかでも,比較的上級の武士に対して侍の呼称が与えられた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「侍」の解説


さむらい

士とも。武士のこと。貴人の身辺に武装して伺候する意の「さぶらう」の名詞形からうまれた語で,平安時代,天皇や上級貴族の身辺警固にあたった武者の称として用いられ,やがて武士一般をさすようになった。鎌倉時代以降,法制上は官位をもつことが侍の基本条件とされ,そのことで無位無官の凡下(ぼんげ)との格差が設けられ,侍身分にあることを侍品(さむらいぼん)とよぶようになった。時代がくだると,武士階級の比較的上層身分をさす語として用いられた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「侍」の解説


さむらい

武器をもって近侍する者,やがて武士一般を称す
本来「さぶらふ」の名詞形で,主君に近侍する意味から転じ,主君を警固する者をさし,さらに武士の台頭とともに武士一般をさした。江戸時代は「士」すなわち武士階級の通称となった。

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デジタル大辞泉プラス 「侍」の解説

1965年公開の日本映画。監督:岡本喜八、原作:群司次郎正による小説『侍ニッポン』、脚色:橋本忍、撮影:村井博。出演:三船敏郎、新珠三千代、小林桂樹、東野英治郎、伊藤雄之助、8代目松本幸四郎、八千草薫ほか。

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日本文化いろは事典 「侍」の解説

侍とは、刀を持ち、武芸に長け、大名などに仕えた日本の武士を指します。戦国時代から江戸時代にかけて戦乱の時代に翻弄され、数奇な運命を送りました。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【家人】より

…さまざまな職能(芸能)を主人に提供し,主人からは恩給を与えられて,両者の間には双務的な主従関係が形成された。なかでも武芸によって主人に仕えた家人は兵(つわもの)とか侍(さぶらい)とか呼ばれ,主人の武力を構成し,主人とその一族・家の警固等にあたった。その家人は主人との従属関係から二つのタイプに分けられる。…

【侍】より

…貴人の側近に控える意味の動詞〈さぶらふ〉が名詞に転じたもので,〈さぶらい〉ともよばれた。 〈侍人(さぶらいびと)〉の語は《日本書紀》にもみえるが,平安時代には皇后宮・中宮に仕える侍・侍長(さぶらいのおさ)があり,また親王・摂関・大臣その他の諸家にも侍がいて主人の側近に仕え,下家司(げけいし)として家務を分担している。これらの侍には重代格勤(かくご)の一芸を伝える五位・六位の者が多かったので,諸家に仕える五位・六位の者を侍とよび,四位・五位の諸大夫につぐ一種の家格ともなった。…

【徒士】より

…江戸時代の武士の一身分,また武家の職制。武士身分としての徒士は,徒士侍とも称され,将軍・大名,大身の武士の家中にみられる,騎乗を許されない徒歩の軽格の武士をいう。騎乗を許された侍とともに士分として扱われ,足軽・中間(ちゆうげん)の軽輩とは区別されていた。…

【地侍】より

…研究史上では,土豪・上層名主(みようしゆ)・小領主・中世地主などともいわれ,とくに一揆の時代といわれる戦国期の社会変動を推進した階層として注目される。中世社会の基本身分は・凡下(ぼんげ)・下人(げにん)の三つから成っていたが,中世後期の村落でも〈当郷にこれある侍・凡下共に〉〈当郷において侍・凡下をえらばず〉(〈武州文書〉)というように,侍と凡下は一貫してその基本的な構成部分であった。地侍はこの村の侍の俗称であり,凡下の上に位置していた。…

【殿原】より

…中世における身分の呼称の一つ。平安・鎌倉時代に公家や武家男子の敬称(《入来文書》)や対称(〈北条重時家訓〉)として用いられるが,ひろく中世社会では,村落共同体の基本的な構成員たる住人,村人の最上層を占めて殿原,百姓の順に記され,村落を代表する階層として現れる。…

【武士】より

…院政期ころより身分として定着しはじめ,〈武家〉とも呼ばれるようになった。
【中世】
 武芸すなわち弓射騎馬を専業とする者,または武勇をもって主人に仕え戦場で戦う人をいい,一般に〈もののふ〉〈武人〉〈武者〉〈(さむらい)〉などと同義語。しかし歴史上の概念としてはより狭義に用い,武力を有する封建的領主階級およびその先駆的存在としての特定の社会階層に属する人々をさす。…

【身分統制令】より

…1591年(天正19)に豊臣秀吉が全国に発布した3ヵ条の法令。侍,中間(ちゆうげん),小者などの武家奉公人が百姓,町人になること,百姓が耕作を放棄して商いや日雇いに従事すること,もとの主人から逃亡した奉公人を他の武士が召し抱えることなどを禁止し,違反者は〈成敗(死刑)〉に処するとしている。朝鮮出兵(文禄・慶長の役)をひかえて,武家奉公人と年貢の確保を目的としたものと思われる。…

【無足人】より

…鎌倉期,将軍の側近や武士などにも〈無足近仕〉(《吾妻鏡》)とか,〈無足の身に候ほどに,在所いづくに候べしとも覚えず〉(《蒙古襲来絵詞》)といわれるような無足人は多く,幕府法でも所領,所帯の有無で刑罰を異にした(《御成敗式目》)。室町・戦国期,無足人は〈無足,不足之仁〉ともいわれて御家人とも凡下(ぼんげ)とも別に扱われ,刑罰の適用も〈さぶらいたらば,しよたいをけつしよすべし,所帯なくばたこくさせべし,地下のものたらば,そのおもてにやきがねをあてべし〉というように,侍は所領没収,無足の輩は他国追放,それ以下の地下人=凡下は顔に焼判(身体刑)というように,侍とも凡下とも区別された(《大内氏掟書》《塵芥集》)。《日葡辞書》は〈チギャウの不足を補うに足る収入も恩給もない人〉,転じて不足,無収入の貧しい軽輩とする。…

※「侍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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