デジタル大辞泉
「侍」の意味・読み・例文・類語
さぶらい〔さぶらひ〕【▽侍】
《動詞「さぶらう」の連用形から》
1 主君や主家のそば近くに仕える者。さぶらい人。
㋐親王・摂関家などに仕えて、家務に携わる者。
「若き―どもの五六人、汚なげなき姿にて雪まろばしするを見るとて」〈狭衣・二〉
㋑武器をもって皇族や貴族の警固に任じた者。禁中の滝口、院の北面、東宮の帯刀の類。のち、上級武士の身分を表す呼び名となる。さむらい。
「宮の―も、滝口も」〈紫式部日記〉
㋒武家に仕える者。家の子。武士。さむらい。
「―五騎、童一人、わが身共に七騎取って返し」〈平家・七〉
2 「下侍」に同じ。
「―にて男どもの酒たうべけるに」〈古今・夏・題詞〉
3 「侍所」の略。
「東の対の北の端、東面などは―にせさせ給へり」〈栄花・本の雫〉
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じ【侍】
- 〘 名詞 〙 令制で、篤疾者または八〇歳以上の高齢者の世話をするために官より給せられた人。庸・雑徭(ぞうよう)を免ぜられた。
- [初出の実例]「給レ侍高年百歳以上、賜二籾二斛一」(出典:続日本紀‐慶雲四年(707)七月壬子)
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普及版 字通
「侍」の読み・字形・画数・意味
侍
常用漢字 8画
[字音] ジ
[字訓] はべる・つかえる
[説文解字]
[字形] 形声
声符は寺(じ)。寺に侍の意がある。〔説文〕八上に「承くるなり」とあり、尊長の人に仕えて、その意を承けることをいう。金文には「大室に(じ)す」のようにを用い、神に侍する意。〔論語、先進〕「閔子(びんし)(孔子の弟子)側に侍す」、〔礼記、曲礼上〕「先生に侍坐す」のように近侍すること。侍講・侍従のように、宮中の諸職に用いることが多い。
[訓義]
1. はべる、さぶろう。
2. つかえる、したがう。
3. ちかづく、世話する。
4. 国語で、さむらい。
[古辞書の訓]
〔名義抄〕侍 ハムベリ・サブラフ・ツカウマツル・チカシ・ツカフ・ノゾム・シタガフ 〔字鏡集〕侍 ノゾム・ツカフ・ハムベリ・チカシ・シタガフ・サブラフ・ヤシナフ・ウケタマハル・ツカフマツル
[語系]
侍・寺・俟ziは同声。みな侍して俟(ま)つ意の字。持・diも声近く、ある状態を持続することをいう。
[熟語]
侍医▶・侍飲▶・侍衛▶・侍宴▶・侍燕▶・侍姫▶・侍御▶・侍候▶・侍講▶・侍坐▶・侍史▶・侍使▶・侍祀▶・侍祠▶・侍児▶・侍者▶・侍従▶・侍宿▶・侍女▶・侍妾▶・侍食▶・侍臣▶・侍親▶・侍人▶・侍生▶・侍中▶・侍直▶・侍弟▶・侍童▶・侍読▶・侍婢▶・侍奉▶・侍夜▶・侍養▶・侍立▶・侍郎▶
[下接語]
歓侍・久侍・給侍・拱侍・近侍・禁侍・侍・坐侍・粛侍・尚侍・掌侍・常侍・臣侍・随侍・趨侍・接侍・直侍・典侍・内侍・入侍・陪侍・嬪侍・扶侍・伏侍・奉侍・夜侍・侍・立侍
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侍 (さむらい)
貴人の側近に控える意味の動詞〈さぶらふ〉が名詞に転じたもので,〈さぶらい〉とも呼ばれた。
〈侍人(さぶらいびと)〉の語は《日本書紀》にもみえるが,平安時代には皇后宮・中宮に仕える侍・侍長(さぶらいのおさ)があり,また親王・摂関・大臣その他の諸家にも侍がいて主人の側近に仕え,下家司(げけいし)として家務を分担している。これらの侍には重代格勤(かくご)の一芸を伝える五位・六位の者が多かったので,諸家に仕える五位・六位の者を侍と呼び,四位・五位の諸大夫につぐ一種の家格ともなった。彼らが伺候した詰所である侍所も侍と略称され,侍の統轄者として侍所長,侍所別当,所司などが置かれた。
内裏の滝口,東宮の帯刀,院の下北面(北面の武士)などをはじめ,公卿の家には警固の者が宿直し,その出行に扈従したが,彼らも貴人の身辺に候じたところから侍と呼ばれた。その武力をもって奉仕するという職務のため,ここにはしだいに成長してくる地方の武士が多く登用され,また地方の武士も縁を求めてすすんで諸家に伺候した。こうして侍は上級の武士の身分的呼称に転用されるようになったと考えられ,12世紀には〈侍品(さむらいほん)〉という武士身分の呼称もあらわれた。石井進によると,院政期の諸国国衙には国内の武士の家系や過去の記録を記した譜代図などが保存され,彼ら国侍が国司の館を警固し一宮(いちのみや)の神事頭役を務める制度も整えられており,武士身分の決定は国衙との関連でなされたという。またその始期や勤仕の方法にはなお定説がなく,平家の侍大将上総介忠清などとの関係も明らかにされていないが,平安末期には地方の武士が交代で京都に上り内裏警固に当たる京都大番役も行われており,こうした奉仕が侍身分の成立と関連することは確かであろう。
鎌倉幕府法では侍の身分は,凡下(ぼんげ)や雑人と呼ばれた一般庶民と厳重に区別された。侍は鎌倉市中での騎馬や武装の特権をもち,裁判では拷訊(ごうじん)をまぬかれ,凡下が肉体的刑罰に処される犯罪にも所領没収などの財産刑となることが多かった。侍の中で将軍直属の者を御家人と呼び,そうでない侍を非御家人と呼んで区別したが,御家人の従者である郎等にも所領と名字をもって侍品に属する者が少なくなかった。《吾妻鏡》によると1247年(宝治1)に問注のため出頭した訴訟の座籍を,侍は客人の座,郎等は広庇,雑人は大庭と定めている。これは幕府の法ではなく北条氏の訴訟機関である公文所の規定とみる見解が強いが,いずれにせよここに,当時の庶民に対する侍および郎等の身分的位置づけが明瞭にみられよう。
身分的変動の激しい室町・戦国時代には,侍が武士一般の呼称となる一方で,御所侍,平侍,国侍,地侍などの新たな区別を生んだ。また江戸時代に一般的に使われた侍という用語には,儒教思想の士と重なった農工商に対する治者階級の意味が強まるが,法制上の用語としては,幕府では御目見(おめみえ)以上の旗本,諸藩では中小姓以上に侍を限定しており,徒(かち)・中間(ちゆうげん)などの下級武士とは峻別されていた。
なお,中世には,高貴な出自の僧侶につかえた僧形の侍者を〈侍法師〉と呼んだが,この侍の用語には,格式の高い寺院につかえる武士を〈寺侍〉と呼んでいた江戸時代の用語とは違った,古代的な特徴が認められる。
執筆者:福田 豊彦
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侍
さむらい
武士の称。貴族などのそばに仕えることを意味する動詞「さぶらう(候)」の名詞形「さぶらひ」の転訛(てんか)した語。近侍、近習者(きんじゅしゃ)をさすことから、平安時代中ごろから滝口(たきぐち)、北面(ほくめん)などの武士をいうようになった。出自は、郡・郷司、荘官(しょうかん)やその一族であり、鎌倉時代末期に成立した幕府の訴訟手続解説書『沙汰未練書(さたみれんしょ)』には「侍トハ開発領主ノコト也(なり)」とあるように、一族郎従(ろうじゅう)を率いて開墾と農業経営に従事していた。彼らは鎌倉幕府の成立によって、御家人(ごけにん)やそれに準ずる非御家人の社会的身分とされ、凡下(ぼんげ)と称されたそれ以下の郎従、雑人(ぞうにん)、名主(みょうしゅ)、百姓、職人、商人などと区別されるようになっていった。下級ではあったが朝廷の官位につき、名字を号した。また、服装の面では綾(あや)などを用いることや、烏帽子(えぼし)の着用、鎌倉中での帯刀を許されていた。犯罪の嫌疑をかけられたときは、拷問を受けず、刑罰も所領没収などの財産刑が一般的であり、禁獄あるいは直接肉体に苦痛や損傷を受ける体刑が科されないことになっていた。これらの特権は、古代の律令(りつりょう)の系譜を引く公家(くげ)法や京都の貴族の考え方を受け継いだところが多い。とくに、官位の問題は、中世の身分制度上ばかりでなく、中世の天皇制を考察するうえでも重要であると指摘されている。鎌倉時代中ごろには、従来からの侍、凡下という身分差別を破り、上昇を求める郎従などの侍に準じた侍品(さぶらいぼん)がしだいに増加した。近世幕藩体制下においては、幕臣では御目見(おめみえ)以上、すなわち旗本(はたもと)をよび、諸藩では、中小姓(ちゅうこしょう)以上の者が侍とされた。
[川島茂裕]
『石井進著『日本の歴史12 中世武士団』(1974・小学館)』▽『永原慶二著『日本中世の社会と国家』(1982・日本放送出版協会)』
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侍【さむらい】
本来,武器をもって貴人に近侍(きんじ)する(さぶらう)者の意。のち武士が成長して,その武力が摂関家や院などで重用されるようになるに従い,侍の名称が武士一般をさすようになった。江戸時代では士農工商の4身分のうち士に属するものを一般に侍と称したが,法制的には御目見得(おめみえ)以上を侍とした。
→関連項目身分統制令
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侍
さむらい
武力をもって主君に仕える者の総称。上層の武士。江戸時代,幕府では御目見 (おめみえ) 以上に,大名では中,小姓以上の武士に対して侍の呼称が与えられた。侍とは元来,君側に近侍する者の意味で,平安時代には帳内,内舎人 (うどねり) ,兵衛,滝口,帯刀,北面などの者をさしたが,のちには武力にすぐれた地方の武士をこれら近侍の役に採用するようになり,武士を意味することになった。さらに親王,摂家,大臣などの家人に対する呼称となって,武力をもって主君に仕える者のなかでも,比較的上級の武士に対して侍の呼称が与えられた。
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侍
さむらい
士とも。武士のこと。貴人の身辺に武装して伺候する意の「さぶらう」の名詞形からうまれた語で,平安時代,天皇や上級貴族の身辺警固にあたった武者の称として用いられ,やがて武士一般をさすようになった。鎌倉時代以降,法制上は官位をもつことが侍の基本条件とされ,そのことで無位無官の凡下(ぼんげ)との格差が設けられ,侍身分にあることを侍品(さむらいぼん)とよぶようになった。時代がくだると,武士階級の比較的上層身分をさす語として用いられた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
侍
さむらい
武器をもって近侍する者,やがて武士一般を称す
本来「さぶらふ」の名詞形で,主君に近侍する意味から転じ,主君を警固する者をさし,さらに武士の台頭とともに武士一般をさした。江戸時代は「士」すなわち武士階級の通称となった。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
侍
1965年公開の日本映画。監督:岡本喜八、原作:群司次郎正による小説『侍ニッポン』、脚色:橋本忍、撮影:村井博。出演:三船敏郎、新珠三千代、小林桂樹、東野英治郎、伊藤雄之助、8代目松本幸四郎、八千草薫ほか。
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侍
侍とは、刀を持ち、武芸に長け、大名などに仕えた日本の武士を指します。戦国時代から江戸時代にかけて戦乱の時代に翻弄され、数奇な運命を送りました。
出典 シナジーマーティング(株)日本文化いろは事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の侍の言及
【家人】より
…さまざまな職能(芸能)を主人に提供し,主人からは恩給を与えられて,両者の間には双務的な主従関係が形成された。なかでも武芸によって主人に仕えた家人は兵(つわもの)とか侍(さぶらい)とか呼ばれ,主人の武力を構成し,主人とその一族・家の警固等にあたった。その家人は主人との従属関係から二つのタイプに分けられる。…
【侍】より
…貴人の側近に控える意味の動詞〈さぶらふ〉が名詞に転じたもので,〈さぶらい〉ともよばれた。 〈侍人(さぶらいびと)〉の語は《日本書紀》にもみえるが,平安時代には皇后宮・中宮に仕える侍・侍長(さぶらいのおさ)があり,また親王・摂関・大臣その他の諸家にも侍がいて主人の側近に仕え,下家司(げけいし)として家務を分担している。これらの侍には重代格勤(かくご)の一芸を伝える五位・六位の者が多かったので,諸家に仕える五位・六位の者を侍とよび,四位・五位の諸大夫につぐ一種の家格ともなった。…
【徒士】より
…江戸時代の武士の一身分,また武家の職制。武士身分としての徒士は,徒士侍とも称され,将軍・大名,大身の武士の家中にみられる,騎乗を許されない徒歩の軽格の武士をいう。騎乗を許された侍とともに士分として扱われ,足軽・中間(ちゆうげん)の軽輩とは区別されていた。…
【地侍】より
…研究史上では,土豪・上層名主(みようしゆ)・小領主・中世地主などともいわれ,とくに一揆の時代といわれる戦国期の社会変動を推進した階層として注目される。中世社会の基本身分は[侍]・凡下(ぼんげ)・下人(げにん)の三つから成っていたが,中世後期の村落でも〈当郷にこれある侍・凡下共に〉〈当郷において侍・凡下をえらばず〉(〈武州文書〉)というように,侍と凡下は一貫してその基本的な構成部分であった。地侍はこの村の侍の俗称であり,凡下の上に位置していた。…
【殿原】より
…中世における[侍]身分の呼称の一つ。平安・鎌倉時代に公家や武家男子の敬称(《入来文書》)や対称(〈北条重時家訓〉)として用いられるが,ひろく中世社会では,村落共同体の基本的な構成員たる住人,村人の最上層を占めて殿原,百姓の順に記され,村落を代表する階層として現れる。…
【武士】より
…院政期ころより身分として定着しはじめ,〈[武家]〉とも呼ばれるようになった。
【中世】
武芸すなわち弓射騎馬を専業とする者,または武勇をもって主人に仕え戦場で戦う人をいい,一般に〈もののふ〉〈武人〉〈武者〉〈[侍](さむらい)〉などと同義語。しかし歴史上の概念としてはより狭義に用い,武力を有する封建的領主階級およびその先駆的存在としての特定の社会階層に属する人々をさす。…
【身分統制令】より
…1591年(天正19)に豊臣秀吉が全国に発布した3ヵ条の法令。侍,中間(ちゆうげん),小者などの武家奉公人が百姓,町人になること,百姓が耕作を放棄して商いや日雇いに従事すること,もとの主人から逃亡した奉公人を他の武士が召し抱えることなどを禁止し,違反者は〈成敗(死刑)〉に処するとしている。朝鮮出兵(文禄・慶長の役)をひかえて,武家奉公人と年貢の確保を目的としたものと思われる。…
【無足人】より
…鎌倉期,将軍の側近や武士などにも〈無足近仕〉(《吾妻鏡》)とか,〈無足の身に候ほどに,在所いづくに候べしとも覚えず〉(《蒙古襲来絵詞》)といわれるような無足人は多く,幕府法でも所領,所帯の有無で刑罰を異にした(《御成敗式目》)。室町・戦国期,無足人は〈無足,不足之仁〉ともいわれて御家人とも[凡下](ぼんげ)とも別に扱われ,刑罰の適用も〈さぶらいたらば,しよたいをけつしよすべし,所帯なくばたこくさせべし,地下のものたらば,そのおもてにやきがねをあてべし〉というように,侍は所領没収,無足の輩は他国追放,それ以下の地下人=凡下は顔に焼判(身体刑)というように,侍とも凡下とも区別された(《大内氏掟書》《塵芥集》)。《日葡辞書》は〈チギャウの不足を補うに足る収入も恩給もない人〉,転じて不足,無収入の貧しい軽輩とする。…
※「侍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」