日本歴史地名大系 「勝山城跡」の解説
勝山城跡
かつやまじようあと
勝山町東側の段丘上にあった勝山藩主小笠原氏の城。天正七年(一五七九)柴田勝家の一族柴田勝安は、
慶長五年(一六〇〇)結城秀康が越前国主となり、翌年七月入国すると、勝山へは九千八四〇石をもって家臣の林長門定正を配置した(松平文庫「松平家譜」)。
勝山城跡
かつやまじようあと
鬼怒川左岸の断崖上に位置する中世の城。
勝山城跡
かつやまじようあと
桂川左岸に位置する戦国期から近世初頭にかけての山城跡。眼下にほぼ東側から南側にかけての桂川右岸の
勝山城跡
かつやまじようあと
永禄元年(一五五八)三月二八日の加賀の真宗大坊主の鳥越弘願寺明勝書状(安誓寺文書)に「勝山落城」とみえ、甲斐の武田晴信と結ぶ
勝山城跡
かつやまじようあと
勝山城跡
かつやまじようあと
勝山城跡
かつやまじようあと
勝山城跡
かつやまじようあと
勝山城跡
かつやまじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報