改訂新版 世界大百科事典 「配給制度」の意味・わかりやすい解説
配給制度 (はいきゅうせいど)
日中戦争の泥沼化にともない,日常生活物資が不足してきたためにとられた制度。第1次大戦中のドイツで行われた例がある。戦争遂行のために軍需品を中心とする生産力拡充を強行した結果,日常生活必需品が極度に不足してきた。政府は輸出入品等臨時措置法や国家総動員法によって経済統制にふみ込んでいたが,さらに消費部門での統制を行うため,1938年3月には〈綿糸配給統制規則〉(最初の切符制),6月には〈綿製品の製造制限に関する件〉を出し,綿製品の製造・販売を規制した。また39年には,いわゆる9・18停止令が出され,国内のすべての商品価格は9月18日の水準以下に抑えられた。しかし日常生活物資はすでに大幅に不足していたので,闇取引はかえって増加し,闇価格も急騰した。そのため政府は急きょ,生活必需物資を切符制による配給によって行うこととした。まず40年6月に六大都市で砂糖とマッチが切符制になった。41年4月には米穀,42年1月にはみそ,しょうゆなどが相次いで配給制に切り換えられた。配給機構の整備はそれぞれの都市の状況によって異なっていた。大阪市ではすでに42年2月から生鮮食料品を中心とした総合販売所が設けられていた。名古屋市でも同年12月から導入された。東京では44年8月になってやっと青果,魚介,保存食品,調味食品,食肉の総合配給所が設置され,実情に即した計算方式による総合配給制度が実施された。
配給制度の円滑な実施の成否を握っていたのは,町内会,隣組である。政府は切符制導入を決定したものの,個々の該当者を調査し,配給量を決めたうえで切符を交付するために,行政機構を格段に充実する余裕をもたなかった。そのかわりの機関として,町内会,隣組に期待が寄せられたのである。配給事務はすべて町内会に持ち込まれ,町内会は防空や防火,衛生などの仕事に加えて,膨大な配給事務をかかえこんだ。町内会長はこの業務を引き受けることによって,町内住民の日常生活に介入することができるようになり,逆に住民のプライバシーは極度に制限されてしまった。しかし,このような配給機構の格段の整備にもかかわらず,43年ころになると配給量そのものの不足が目立ちはじめた。人々は配給のみでは生存さえ脅かされるようになり,家族ぐるみでの買出しに精を出さざるをえなかった。そのようすを徳川夢声は《夢声戦争日記》第3巻のなかで,〈一体全体日本の国民で,ヤミというものから全然無関係で生活しているものがあるか,ない,絶対にないと思う。ただ程度の差である〉と述べている。配給制度は,日常生活物資の絶対的不足のなかで急速に制度化され,部落会,町内会の強化に役立ったが,その矛盾も大きかったといえよう。戦中から戦後にかけて,配給物資の不足は最高潮に達し,国民の飢餓生活が続いた。49年以降,徐々に統制は撤廃された。
執筆者:芳井 研一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報