酒井忠宝(読み)さかい ただみち

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「酒井忠宝」の解説

酒井忠宝 さかい-ただみち

1856-1921 明治時代の大名,華族
安政3年6月13日生まれ。酒井忠発(ただあき)の5男。明治元年兄酒井忠篤(ただずみ)が謹慎となったため,羽前(うぜん)鶴岡藩(山形県)藩主酒井家12代となる。岩代(いわしろ)会津(あいづ)12万石,さらに磐城(いわき)平に転封(てんぽう)を命じられるが,献金によって鶴岡に復帰し,鶴岡藩(のち大泉藩と改称)知事となった。大正10年9月17日死去。66歳。初名は忠禄(ただもち)。

酒井忠宝 さかい-ただとみ

1829-1853 江戸時代後期の大名。
文政12年生まれ。酒井忠実(ただみつ)の孫。越前(福井県)敦賀(つるが)藩主酒井忠藎(ただえ)の養子となっていた酒井忠讜(ただなお)の長男酒井忠学(ただのり)の急死にともない,宗家の婿養子となり,弘化(こうか)元年播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩主酒井家6代。嘉永(かえい)6年ペリーの浦賀来航の際には江戸湾警備にあたった。同年8月10日死去。25歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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