野上豊一郎(読み)ノガミトヨイチロウ

デジタル大辞泉 「野上豊一郎」の意味・読み・例文・類語

のがみ‐とよいちろう〔‐とよイチラウ〕【野上豊一郎】

[1883~1950]英文学者・能楽研究家。大分の生まれ。号、臼川きゅうせん弥生子の夫。夏目漱石門下。能の研究に新分野を開き、また、その海外紹介に努めた。著「」「能の再生」など。

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精選版 日本国語大辞典 「野上豊一郎」の意味・読み・例文・類語

のがみ‐とよいちろう【野上豊一郎】

  1. 英文学者、能楽研究家。大分県出身。号、臼川。作家野上彌生子の夫。一高時代、夏目漱石師事して俳句や小品を発表。法政大学総長。英文学の翻訳、日本文化の海外紹介につとめた。著作「翻訳論━翻訳の理論と実際」「能 研究と発見」「能の幽玄と花」など。明治一六~昭和二五年(一八八三‐一九五〇

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改訂新版 世界大百科事典 「野上豊一郎」の意味・わかりやすい解説

野上豊一郎 (のがみとよいちろう)
生没年:1883-1950(明治16-昭和25)

英文学者,能楽研究家。大分県の生れ。号は臼川(きゆうせん)。一高を経て,東大英文科卒。法政大学講師,教授を経て,1947年総長となる。早く一高在学中から夏目漱石に師事し,一時は小説も書いたが,のち能楽研究に進む。一方,英文学者として英文学のみならず,ドイツ,フランス,ギリシア文学の研究,紹介にも力を尽くした。能については,金春流シテ方桜間伴馬(ばんま)の至芸の影響や,1909年吉田東伍が《世阿弥十六部集》を公刊したことから能の科学的研究を志し,斬新かつ独創的な研究を発表し続け,新分野を開拓した。その功績を記念して52年に〈野上記念法政大学能楽研究所〉が設立された。著書は多く,新鮮な眼で能の芸術性を分析した《能 研究と発見》(1930)は前人未到の考察で(のち学位論文),《能の再生》(1935),《能の幽玄と花》(1943)を加えた三部作は,能楽美学を構築した記念碑的著作である。謡曲を能の脚本としてとらえた《解註 謡曲全集》(1935-36)は主題の把握と分類に独創性がみられる。《能楽全書》(1942-44)を編修。ほかに《翻訳論》(1938),《クレオパトラ》(1941),《シェバ女王》(1947)などの著書がある。作家の野上弥生子夫人である。
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20世紀日本人名事典 「野上豊一郎」の解説

野上 豊一郎
ノガミ トヨイチロウ

大正・昭和期の英文学者,能楽研究家 法政大学総長。



生年
明治16(1883)年9月14日

没年
昭和25(1950)年2月23日

出生地
大分県北海部郡臼杵町(現・臼杵市)

別名
号=野上 臼川(ノガミ キュウセン)

学歴〔年〕
東京帝大文科大学英文科〔明治41年〕卒,東京帝大大学院修了

学位〔年〕
文学博士〔昭和5年〕「能、研究と発見」

経歴
明治42年法政大学講師、大正9年教授となり、昭和13年日英交換教授としてケンブリッジ大学で世阿弥について講義する。戦後22年総長に就任。夏目漱石に師事して、一時小説も書いたが、のち英文学研究、能楽研究に進んだ。英文学者としては英文学のみならず、ドイツ、フランス、ギリシャ文学の研究・紹介に尽力。27年にその独創的な能研究の功績を記念して、野上記念法政大学能楽研究所が設立された。著書に「翻訳論」「クレオパトラ」「シェバの女王」「能の再生」「能の幽玄と花」「世阿弥元清」「花伝書註解」「漱石のオセロ」、編著に「能楽全書」(全6巻)「解註 謡曲全集」、訳書ロティ「お菊さん」、スウィフト「ガリバーの航海」などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「野上豊一郎」の意味・わかりやすい解説

野上豊一郎
のがみとよいちろう
(1883―1950)

英文学者、能楽研究家。臼川(きゅうせん)と号した。大分県生まれ。1908年(明治41)東京帝国大学英文科卒業。翌年法政大学講師となり、以後昇任して、46年(昭和21)同大学学長、翌年総長に就任。旧制第一高等学校在学中から夏目漱石(そうせき)に師事。ギリシア古典劇から能へと研究対象を進める。宝生新(ほうしょうしん)について下掛(しもがかり)宝生流を稽古(けいこ)。1938年日英交換教授として渡英、以後も能の海外紹介に貢献する。著編書は『能・研究と発見』『能の再生』『能の幽玄と花』『謡曲全集』『能楽全書』ほか多数。没後その遺志を受け、法政大学に野上記念能楽研究所が設立された。作家野上弥生子(やえこ)は夫人。

[小林 責]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野上豊一郎」の意味・わかりやすい解説

野上豊一郎
のがみとよいちろう

[生]1883.9.14. 大分
[没]1950.2.23. 東京
能楽研究家,英文学者。 1908年東京大学英文科卒業。卒業後,法政大学講師となり,教授予科長などを経て,47年総長となった。第一高等学校時代から夏目漱石に師事。 G.B.ショー,ギリシア古典劇から能の研究に入り,1938年ケンブリッジ大学で,世阿弥についての講義を行うなど,能の海外紹介にも努めた。『能・研究と発見』『能の再生』『能の幽玄と花』『世阿弥元清』など著書多数。夫人は小説家野上弥生子

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野上豊一郎」の解説

野上豊一郎 のがみ-とよいちろう

1883-1950 大正-昭和時代の能楽研究者,英文学者。
明治16年9月14日生まれ。野上弥生子(やえこ)の夫。夏目漱石(そうせき)に師事。大正9年法大教授,昭和22年総長。イギリス演劇,ギリシャ古典劇から能の研究にすすみ,国の内外で能の普及,紹介につとめた。昭和25年2月23日死去。66歳。大分県出身。東京帝大卒。号は臼川(きゆうせん)。著作に「能―研究と発見」「能の再生」など。

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367日誕生日大事典 「野上豊一郎」の解説

野上 豊一郎 (のがみ とよいちろう)

生年月日:1883年9月14日
大正時代;昭和時代の能楽研究者;英文学者。法政大学総長;ケンブリッジ大学教授
1950年没

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