ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「野川検校」の意味・わかりやすい解説
野川検校
のがわけんぎょう
[没]享保2 (1717).2.7.
大坂を中心に伝承されてきた三味線組歌(→三味線本手)野川流の祖。都名(いちな)は楽一。京都の柳川検校門下で『大怒佐(おおぬさ)』(→『糸竹大全』)に「当世引出しの新曲」の作曲者として名が挙げられている朝妻勾当(浅妻勾当。のちに検校)の弟子。元禄9(1696)年検校に登官。平曲家としても活躍したが,三味線組歌を改編して伝授制度を定めた。柳川流が今日組歌 6曲を残すのみなのに対し,野川流は 32曲が伝えられる。作品は『松の葉』(1703)の長歌目録の部に『かぞへ歌』が記載されるほか,『春草』『舞扇』『若松』などが文献に散見され,現行曲に長歌『子の日』がある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報