金村修(読み)かねむらおさむ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「金村修」の意味・わかりやすい解説

金村修
かねむらおさむ
(1964― )

写真家。東京都杉並区生まれ。都立立川高校中退後、パンク系ロック・バンドを結成、演奏活動を行う一方、1985年(昭和60)イメージ・フォーラム付属映像研究所で映画制作を学び翌年卒業。92年(平成4)東京綜合写真専門学校研究科在学中に、ロッテルダム写真ビエンナーレの出品作家に選ばれる。同校では特に鈴木清(1943―2000)に師事、写真家としての生き方に強い影響を受ける。また、ウジェーヌ・アッジェ桑原甲子雄(くわばらきねお)、春日昌昭(まさあき)(1943―89)、リーフリードランダーといった作家による、内外都市風景写真に多くを学ぶ。93年、東京綜合写真専門学校研究科卒業、東京・銀座のニコンサロンで初の個展開催。96年MoMA(ニューヨーク近代美術館)の「ニュー・フォトグラファーズ」展に出品、国内よりもむしろ、まず欧米での評価が先行した。97年以降、横浜美術館(1997)、東京国立近代美術館(1998)、オランダ、クレラー・ミュラー美術館(2001)など内外での数多くのグループ展に出品、99年に川崎市市民ミュージアムで回顧展「Black Parachute Ears 1991-1999」を開催する。

 金村の写真は、90年代以降のバブル経済崩壊後の東京の街路を、驚きと冷徹さとを兼ね備えたまなざしでとらえる点に特徴がある。彼の固執する都市の要素は一貫しており、林立する電柱やもつれて伸びる電線、けばけばしい文言をふりかざす広告板、路地車道の思いがけぬ歪み、建築物の不規則な重なりなど、都市空間に散見される無秩序な断片が、絶えず抽出される。

 従来の日本の都市を撮影する写真家は、情緒的な下町、猥雑な盛り場、現代風の高層ビル群など、撮影地域をあらかじめ類別しながら、それぞれに見合った特定の関心に写真をあてはめることにより意味や象徴を見いだそうとしてきた。金村の写真は、そうした地域間の境界裂け目において、事物記号が氾濫したり相殺(そうさい)し合ったりする風景に着眼し、意味や象徴を容易に喚起しない画面を成立させる。そのことにより彼は、従来の日本の都市写真を批判的に乗り越えようとする。また金村は、写真が本質的に自己表現の手段ではなく、自己の外部にある事物によって受動的に成立するメディアであることを、繰り返し文章によって主張してきた。こうした認識は、「唯物論的」というべき写真への信頼に基づいており、彼はそこに、歴史的に常に用いられてきた、人間中心主義的な写真のとらえ方を超えるための可能性を見いだそうとする。その風景写真は、90年代以降のポスト工業社会における都市の空虚や荒廃と呼ばれるものの実相を、都市に散在する卑近な事物に即してえぐりだす営為として優れている。

 97年東川(ひがしかわ)町国際写真フェスティバル新人作家賞、日本写真協会新人賞、2000年土門拳賞受賞。写真集に『Happiness is a Red before Exploding』(2000)、『Spider's Strategy』『I Can Tell』(ともに2001)などがある。

[倉石信乃]

『『Mole Unit 2 Crash landing』(1996・Mole)』『『Happiness is a Red before Exploding』(2000・ワイズ出版)』『『Spider's Strategy』(2001・オシリス)』『『I Can Tell』(2001・芳賀書店)』『『Kanemura Osamu』(2001・Yumiko Chiba Associates)』

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