日本大百科全書(ニッポニカ) 「金砂郷」の意味・わかりやすい解説
金砂郷
かなさごう
茨城県北部、久慈郡(くじぐん)にあった旧町名(金砂郷町(まち))。現在は常陸太田市(ひたちおおたし)の南西部を占める一地区。1955年(昭和30)郡戸(ぐんど)、久米(くめ)、金郷(かなごう)、金砂の4村が合併して金砂郷村となり、1993年(平成5)町制施行。2004年(平成16)水府村(すいふむら)、里美村(さとみむら)とともに、常陸太田市に編入。旧町域は、久慈山地南端の丘陵性山地と、久慈川流域平野をもつ。国道293号が通じる。1180年(治承4)源頼朝(よりとも)と佐竹秀義(ひでよし)との金砂山合戦のあった佐竹氏の拠城、金砂城跡がある。赤土(あかつち)地区は1969年(昭和44)に廃作された葉タバコ、水府(すいふ)種起源の地といわれ、いまも葉タバコ、ソバ、大豆(納豆用小粒種)の栽培が盛んである。金砂郷工業団地がある。西金砂神社の田楽(でんがく)舞(金砂田楽)は小田楽が6年ごと、大田楽(磯出大田楽)が72年ごと(最近年は2003年)に行われる国選択無形民俗文化財。西光(さいこう)寺の木造薬師如来坐像(にょらいざぞう)は国指定重要文化財。
[櫻井明俊]