コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

金聖嘆 きんせいたんJin Sheng-tan

6件 の用語解説(金聖嘆の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金聖嘆
きんせいたん
Jin Sheng-tan

[生]万暦38(1610)頃
[没]順治18(1661)
中国,明末清初の文学評論家。江蘇省呉県の人。本名,人瑞。字,若采。聖嘆は号。下層士族の出身で生来奔放不羈,若い頃から伝統的経書類を嫌い,崇徳6 (1641) 年『水滸伝』を,順治 13 (56) 年『西廂記』を推奨する評を発表。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

きん‐せいたん【金聖嘆】

[?~1661]中国、明末・清初の文芸評論家。呉県(江蘇省)の人。名は人瑞(じんずい)。聖嘆は号。「離騒」「荘子」「史記」「杜詩」「水滸伝」「西廂記(せいそうき)」を「六才子書」とよんで推奨、最後の2書に対する評解・改作を施して旧来の文学観を変えた。

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

金聖嘆【きんせいたん】

中国,明末清初の批評家。名は人瑞,聖嘆は号。文学の虚構性,想像性を強調,通俗文学に価値を認め,《西廂記》《水滸伝》を改作,批評して,新しい価値観をつくろうとした。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

きんせいたん【金聖嘆 Jīn Shèng tàn】

?‐1661
中国,明の末期から清の初めの文芸批評家。名は人瑞,また喟。江蘇省長洲の生れ。幼時から俊才ぶりを現し,しかも好んで反俗・反常識の見解を発揮した。その本領を最も奔放に示したのは,《荘子》《楚辞》《史記》《杜詩》《水滸伝》《西廂記》を古今第一等の〈奇文〉として〈六才子書〉と名づけ,それぞれに警抜な批評を加えたことであった。特に《水滸伝》のような通俗小説や《西廂記》のような戯曲を一級の文学として評価したのは,唐順之や李贄(りし)が端緒を発した見識をさらに推し進めて,新しい価値観を定立したものであった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

きんせいたん【金聖嘆】

1610頃~1661) 中国、明末・清初の文芸批評家。名は人瑞じんずい、のちに喟。字あざなは若采。聖嘆は号。文章は痛快無比、寸鉄人を刺し、意表外に出るのを常とする。「荘子」「楚辞」「史記」「水滸伝すいこでん」「西廂記」を五才子書と称して、それぞれに批評を試み、通俗文学を評価。反体制行動の主謀者の一人として、南京で刑死。

出典|三省堂
大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金聖嘆
きんせいたん
(?―1661)

中国、明(みん)末清(しん)初の批評家。名は人瑞(じんずい)。号の聖嘆で知られる。蘇州(そしゅう)(江蘇省)の人。50余年の生涯を奔放かつ反俗的な生き方で貫き、県知事の不法を追及する学生運動に加担、反逆のかどで刑死した。儒学を修めて科挙に応ずる知識人の常道をつとに放棄し、仏典とくに『法華経(ほけきょう)』にひかれる一方、傾倒する歴代の個性的な哲人・文人たちの文業――荘周(そうしゅう)の『荘子』、屈原(くつげん)の『離騒(りそう)』、司馬遷(しばせん)の『史記』、杜甫(とほ)の詩、それに戯曲『西廂記(せいそうき)』、小説『水滸伝(すいこでん)』を配し、「六才子書」と併称して推奨した。さらにまた李贄(りし)らの主張を受け、戯曲小説を通俗と卑しめる旧来の文学観を打破すべく、『西廂記』『水滸伝』の2書を改訂、縦横に才筆を振るった評本を出版したので、その影響は小さくなく、近代文学の誕生を準備する役割を果たした。[伊藤漱平]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

金聖嘆の関連キーワードアンリル・ナン[兄弟]尼子義久アンリ[4世]兼見卿記ルイ[13世]ルイ王朝様式アンリ本佐倉城田中勝介

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone