中国,明の末期から清の初めの文芸批評家。名は人瑞,また喟。江蘇省長洲の生れ。幼時から俊才ぶりを現し,しかも好んで反俗・反常識の見解を発揮した。その本領を最も奔放に示したのは,《荘子》《楚辞》《史記》《杜詩》《水滸伝》《西廂記》を古今第一等の〈奇文〉として〈六才子書〉と名づけ,それぞれに警抜な批評を加えたことであった。特に《水滸伝》のような通俗小説や《西廂記》のような戯曲を一級の文学として評価したのは,唐順之や李贄(りし)が端緒を発した見識をさらに推し進めて,新しい価値観を定立したものであった。《水滸伝》について性格描写の鮮やかさを強調したのもその評論家としての功績の一つである。ほかに唐詩の七律について〈分解説〉という異色ある解釈法を示した《唐才子詩集》や,仏典についての個性的な講釈などがある。清の順治18年,反体制の抗議行動に連座し,危険分子として処刑された。
執筆者:入矢 義高
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中国、明(みん)末清(しん)初の批評家。名は人瑞(じんずい)。号の聖嘆で知られる。蘇州(そしゅう)(江蘇省)の人。50余年の生涯を奔放かつ反俗的な生き方で貫き、県知事の不法を追及する学生運動に加担、反逆のかどで刑死した。儒学を修めて科挙に応ずる知識人の常道をつとに放棄し、仏典とくに『法華経(ほけきょう)』にひかれる一方、傾倒する歴代の個性的な哲人・文人たちの文業――荘周(そうしゅう)の『荘子』、屈原(くつげん)の『離騒(りそう)』、司馬遷(しばせん)の『史記』、杜甫(とほ)の詩、それに戯曲『西廂記(せいそうき)』、小説『水滸伝(すいこでん)』を配し、「六才子書」と併称して推奨した。さらにまた李贄(りし)らの主張を受け、戯曲小説を通俗と卑しめる旧来の文学観を打破すべく、『西廂記』『水滸伝』の2書を改訂、縦横に才筆を振るった評本を出版したので、その影響は小さくなく、近代文学の誕生を準備する役割を果たした。
[伊藤漱平]
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[1973~ ]プロ野球選手。愛知の生まれ。本名、鈴木一朗。平成3年(1991)オリックスに入団。平成6年(1994)、当時のプロ野球新記録となる1シーズン210安打を放ち首位打者となる。平成13年(...
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