金関丈夫(読み)カナセキ タケオ

20世紀日本人名事典 「金関丈夫」の解説

金関 丈夫
カナセキ タケオ

昭和期の人類学者,解剖学者,考古学者 帝塚山大学名誉教授;元・九州大学医学部教授。



生年
明治30(1897)年2月18日

没年
昭和58(1983)年2月27日

出生地
香川県仲多度郡榎井村(現・琴平町)

別名
筆名=山中 源二郎(ヤマナカ ゲンジロウ)

学歴〔年〕
京都帝国大学医学部〔大正12年〕卒

学位〔年〕
医学博士(京都帝大)〔昭和5年〕

主な受賞名〔年〕
朝日賞(昭53年度)「南島の人類学的研究の開拓と弥生時代人研究の業績

経歴
大正14年京都帝大医学部助教授、15年大谷大学教授を経て、昭和11年台北帝大医学部教授となり、以後台湾での研究が長く、25〜35年九州大学医学部教授、のち鳥取大学、山口医大、帝塚山大学各教授を歴任。論文「八重山群島の古代文化―宮良博士の批判に答う」は、戦後、沖縄の基層文化研究の出発点とされている。また、山口県土井ケ浜などの弥生遺跡出土人骨をもとに“渡来説”を提起日本民族起源における朝鮮半島の重要性を主張した。古今東西の書に通暁し、人類学、考古学、民族学民俗学文学、歴史学と幅広い分野で活躍した。著書に「胡人の匂ひ」「木馬石牛」「発掘から推理する」「日本民族の起源」「南方文化誌」「形質人類誌」「台湾考古誌」「南の風―創作集」「お月さまいくつ」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「金関丈夫」の意味・わかりやすい解説

金関丈夫 (かなせきたけお)
生没年:1897-1983(明治30-昭和58)

形質人類学者。香川県生まれ。京都帝国大学医学部卒業後,同大学助教授を経て,1934年台北医専教授(36年台北帝国大学教授),戦後の1950年より九州大学医学部教授。79年に《南島の人類学的研究と弥生人骨の研究》で朝日文化賞受賞。京都帝大の助手時代から清野(きよの)謙次薫陶を受けて人類学研究に打ち込むようになり,台北帝大時代は台湾原住民などに関する研究を展開して同大学に膨大な人骨資料を残した。戦後に九大へ赴任してからは,それまで全国的に稀少であった弥生時代人骨の調査,研究に力を入れ,佐賀県の三津永田遺跡や山口県の土井ヶ浜遺跡などで大量の人骨を発見して,それらが縄文人骨とは大きく異なる高顔,高身長を特徴とすることを始めて明らかにした。そして,その由来を縄文時代の終わりに大陸から渡来した人々に求め,彼らの遺伝的影響がその後日本各地に及んだとする〈渡来説〉を提唱した。以後の研究によって,この仮説は概ね実証され,日本人起源論における有力な学説となっている。人類学のみならず,考古学や民族学,言語学など広範な分野に及ぶ論考に特徴があり,《木馬と石牛》(1955),《発掘から推理する》(1975),《日本民族の起源》(1976)など,多くの著書がある。
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百科事典マイペディア 「金関丈夫」の意味・わかりやすい解説

金関丈夫【かなぜきたけお】

人類学者,解剖学者。香川県に生まれる。京都帝国大学医学部卒業。同解剖学教室助手,助教授を経て,台北帝国大学教授。1941年,国分直一,池田敏雄らと《民俗台湾》を創刊。戦後,国民党政府によって台湾大学に留用され,人類学教室の基礎づくりに貢献する。1950年,九州大学医学部教授。京大助手時代から自然人類学の研究に取り組み,考古学,民族学,民俗学,言語学,宗教学を射程に入れた,広範な人類学を打ち立て,古今東西の文学,美術に通じる博識をふまえて,独創的な業績を残した。台湾,琉球(沖縄)などの南方文化に詳しく,晩年は,人骨研究などから日本人の起源論に取り組んだ。朝日文化賞受賞。《金関丈夫著作集》全12卷(法政大学出版局)が刊行されている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金関丈夫」の意味・わかりやすい解説

金関丈夫
かなせきたけお

[生]1897.2.18. 香川
[没]1983.2.27. 奈良
人類学者。京都大学医学部を卒業後,解剖学教室で人類学を研究し,「琉球人の人類学的研究」で医学博士となる。 1936年台北帝国大学医学部教授となり,台湾山地人の人類学的調査を行なった。 50年九州大学医学部教授となり,九州および南西諸島住民の人類学的調査を行い,その成果を『人類学研究』全7巻にまとめた。また 53~57年山口県豊北町の土井ヶ浜遺跡の発掘調査に従事し,出土した弥生時代人骨の研究によって,この時代に朝鮮半島から,縄文時代人よりも身長が高く,顔が面長な人々が渡来してきていたことを実証した。主著に『日本民族の起源』 (1976) ,『形質人類誌』 (78) などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金関丈夫」の解説

金関丈夫 かなせき-たけお

1897-1983 昭和時代の人類学者,解剖学者。
明治30年2月18日生まれ。九大,鳥取大などの教授をつとめ,のち手塚山(てづかやま)学院大教授となる。弥生(やよい)遺跡出土人骨を研究して日本人渡来説を主張。昭和53年朝日賞受賞。昭和58年2月27日死去。86歳。香川県出身。京都帝大卒。筆名は山中源二郎。著作に「木馬と石牛」「日本民族の起源」など。

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世界大百科事典(旧版)内の金関丈夫の言及

【縄文文化】より

…同じく縄文時代以来の形質的変化によって,弥生人,古墳時代人を経て現代日本人になったとしながらも,その原因は混血ではなく,生活様式の変化が筋肉や骨の変化を惹起したとする長谷部言人の原日本人説がある。その後,金関丈夫は中国地方の弥生時代初期の人骨にみられる身長の高い一群に注目し,それが朝鮮半島からの渡来者集団ではないかと指摘した。このように縄文人自体の形質的変化とともに混血要素が加わって現代日本人が形成されてきたとみるべきであろう。…

【日本人】より

…〈移行説〉といわれるものである。金関丈夫は,北部九州および山口地方において多数の弥生人骨を発掘して調査したが,佐賀県三津遺跡および山口県土井ヶ浜遺跡から出土した弥生人骨はその代表的なものである。1966年,金関は,北部九州,山口地方の弥生人は,縄文人,古墳時代人と異なり,長身,高顔で,縄文人→弥生人→古墳時代人という連続性がみられず,弥生人は縄文人から古墳時代人への移行型とはみなしがたく,外来要素によってもたらされたものであろうと解釈した。…

※「金関丈夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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