中国,金代・明代に鈞州と呼ばれた河南省禹県を中心に,宋・元時代以降華北各地で焼造された,青みのある失透性白釉のかかった陶器の総称。銅の発色による紅・紫の斑文のあるものや,全体にわたって紫・紅・藍釉のかかった華やかなものもあり,また作風によって宋鈞窯,元鈞窯などと区別されることがある。近年,禹県県城内の八卦洞に窯址が発見され,昔から非常に珍重されてきた紅紫釉のかかった上質の鈞窯植木鉢,水盤の類が,そこで製作されたことがわかった。製作時期は北宋末期といわれるが,異論もある。鈞窯は清代以後,均窯と書かれることがあり,また同種のものは中国南部やモンゴル,朝鮮北部などでも焼かれている。江蘇省宜興の宜均,広東省石湾の泥均,広均などは,鈞窯系統の名高いものである。清代雍正年間(1723-35)の景徳鎮官窯で,監陶官の年希尭,唐英がさまざまの鈞窯風磁器を創造したこともよく知られている。鈞窯の釉薬は日本では海鼠(なまこ)釉と呼ばれることが多い。
執筆者:長谷部 楽爾
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中国、宋元(そうげん)時代の名窯。代表的な窯址(ようし)は河南(かなん/ホーナン)省禹(う)県八卦洞(はっけどう)に発見されており、この地が明(みん)代初めに鈞州とよばれ始めたため、鈞窯の名が生まれた。八卦洞窯の出土品は、俗に鈞窯とよばれる澱青釉(でんせいゆう)や紫紅釉のほか青磁や鉄絵陶にも及び、作域は広い。これらは華北の窯(かま)の製品と大きく相違しないが、青磁や鉄絵は他地域に有力な窯が発見されており、鈞窯の場合は澱青釉と紫紅釉陶器が特色をなすところから、本来窯の名称である鈞窯は、独特の澱青釉や紫紅釉の代名詞として今日大いに用いられ、釉そのものをさす場合が多い。澱青釉はケイ酸含有率の高い青磁の一種で、幽邃(ゆうすい)な失透(しっとう)青白色釉となっており、これに銅分を加えたものが紫紅釉である。この二つの釉は鈞窯以外にも各地の華北の窯で使われており、遺品の窯の帰属はなかなかむずかしい。
[矢部良明]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 華北諸窯でも宋代には盛んに陶磁器生産を行っている。なかでも河北省の定窯,磁州窯,陝西省の耀州窯,河南省の鈞窯が名高い。華北の宋代のこれらの主要な窯は唐代に始まるといわれるが,本格的な陶磁器の焼造は北宋以降である。…
※「鈞窯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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