翻訳|glaze
釉薬とも書き,釉(ゆう),釉薬(ゆうやく)ともいう。陶磁器の表面を覆うガラス質の薄い膜のこと。純粋にガラスだけではなく結晶が析出している場合もある。釉を施す目的は,液体あるいは気体に対して透過性をなくすること,表面を滑らかにして汚れにくくすること,機械的強度を上げること,および美術的装飾効果を与えること,である。外観から分類すると,透明釉,不透明釉,つや消し釉,色釉,結晶釉,亀裂釉,窯変釉,油滴釉などになる。化学組成的には,ガラスを形成する酸化物が基本である。したがってSiO2成分を主体とし,それにPbO,CaO,Al2O3,Na2O,MgOなどを含んでいる。このほかに,着色成分としてFe2O3,Cr2O3,CoO,MnO2,CuOを,また乳濁させる場合にはSnO2,ZrO2などを含む。原料としては,ケイ石,長石,石灰岩,陶石などの天然の岩石類や木灰類のほかに,フリットfritというガラス粉を使用する。フリットは,Pb2O3,B2O3,ナトリウム塩などの水溶性の原料を不溶化する目的でガラス化したものである。
釉は素地の性質と密接な関係がある。熱膨張係数を合わせるほか,陶器の場合には通常,素地を焼き締める温度よりもやや低い温度で溶融しガラス化する組成が選択される。そのため,低火度釉では800℃程度から,高火度釉では1320℃程度までの溶融温度をもつ,さまざまな組成がある。低温用には,鉛酸化物を含む鉛釉,ナトリウム酸化物を含むソーダ釉,ホウ素酸化物を含むホウ酸釉などがあり,高温用には,長石釉,石灰釉,苦土釉,重土釉,灰釉などがある。
執筆者:安井 至
施釉陶を初めてつくり出したのは古代エジプト,西アジア,中国であり,他の国の製陶業はこの地域の技術を導入して施釉陶をつくりあげた。遺品ではエジプトが古い。大文明の発祥地は陶磁器の発祥地でもあったといえよう。中国では,自然釉から工夫された灰釉が前1500年の殷代初期から施されはじめた。この灰釉を基礎として青磁釉,白磁釉,天目釉(黒釉),藍釉(瑠璃釉),紅釉(辰砂釉)などの高火度釉,鉛を溶媒剤(フラックス)に使って緑釉,褐釉,三彩釉,孔雀釉などの低火度釉が発明された。西アジアでは初めにガラスが開発され,素焼の土器にこのガラスを施して陶器をつくった。概して低火度釉が多く,ソーダ釉とスズ釉,鉛釉が中心である。一般にケイ酸化合物を溶かす材料としては,灰,アルカリ金属,鉛,スズなどが使用され,釉に色をつける呈色剤には重金属,おもに銅,鉄,コバルトが用いられている。
執筆者:矢部 良明
自然釉は,窯の中で燃料の薪の灰が器に降りかかり,土と溶け合ってガラス状になったものである。植物の種類によって灰の成分は異なるが,ケイ酸,リン酸,アルカリ,カルシウムなどを含んでいる。この自然釉が起源になって灰と長石との配合によって灰釉が生まれ,日本では8世紀中ごろから尾張の猿投(さなげ)窯で生産が始められた。一方唐三彩に源をもつ鉛を含んだ低火度釉があり,銅による緑一色の釉が7世紀に,また緑(銅),黄褐(鉄)と白の三彩釉が8世紀に生まれ,正倉院三彩を含め祭祀用に用いられた。灰釉は,植物の種類により,また長石などとの配合比により,透明釉,不透明なマット釉,乳濁釉など各種のものが考案され,各地の陶器を飾るのに使用されている。17世紀の前半,朝鮮から新しい技術が導入されて九州有田で磁器が焼かれると,高火度の透明な磁器釉が生まれ,その上を彩色する上絵具(うわえのぐ)がつくられた。上絵具は低火度の鉛釉で,色絵磁器は有田,九谷が著名である。
釉の着色は無色の基礎釉に重金属を加えるのであるが,その色は,焼成の条件(酸化炎または還元炎)のみならず,銅の場合には基礎釉の成分によっても変化する。着色のほかに,釉の表面のひび(貫入),結晶の生成によっても装飾の効果をあげることができる。
執筆者:山崎 一雄
西洋陶磁に用いられた釉は大別して,ソーダ釉,鉛釉,スズ釉,塩釉,磁器釉の5種である。最初に釉が用いられたのはエジプトおよびメソポタミアにおいてである。エジプト第1王朝(前2950-前2700?)のメネス王の墳墓から発見された緑釉陶片や第3王朝のサッカラのマスタバ内部壁面の緑釉タイルが最古例である。これら先史時代のエジプトならびにシリア周辺で使われた釉はアルカリを主成分としたソーダ釉であった。一方,メソポタミアで施釉陶器が多数みられるようになるのは前18世紀以降で,その大多数が建築用煉瓦の装飾に用いられている。これらの多彩施釉煉瓦は前12世紀以降著しい発展をみた。このメソポタミア地方の釉はエジプトのソーダガラス釉と異なり,ケイ砂に鉛の酸化物を加え,これに少量の酸化スズを加合したものである。古代ギリシア時代の黒絵式,赤絵式陶器には今日的な意味でのガラス質の釉は用いられておらず,陶土から得た微粒子の液状のものを釉として図像を描き,酸化,還元,再酸化の過程で燃成したものである。ローマ時代からビザンティン時代に至って鉛釉の技法がオリエントから伝えられ,以後徐々にアルプス以北のヨーロッパに伝播,鉛釉陶器は中世から近世にかけて約1000年のあいだヨーロッパを席巻した。中世的伝統の強いイギリス中部スタッフォードシャーでは17世紀のスリップウェアや18世紀のウェッジウッドのクリーム色陶器が鉛釉陶器である。一方,9世紀アッバース朝のサーマッラーをはじめとするオリエントのイスラム世界では,それまでのソーダガラス釉,鉛釉に代わりスズ釉陶器が急速な発展をみ,多彩色の美しいスズ釉タイルがモスクや宮殿の内外を飾った。ことに金属的な輝きをもつラスター彩は鉛とスズによって合成した釉をかけて焼成し,その上に硫化銅や硫化銀を顔料として描き,還元炎で焼成したもので,顔料の金属の配合,窯の温度によってさまざまな色調を呈した。このスズ釉陶器の技法はやがてイスラム教徒の支配下にあったイベリア半島に伝えられ,13世紀後半からイスパノ・モレスク陶器として開花し,さらにイタリアでも模倣されマヨリカ陶器として発展をみた。マヨリカ陶器の釉は,とくにマルザコットmarzacottoと呼ぶ,ブドウの搾りかすを灰にし,これに鉛とスズの酸化物を加え,砂と水を混ぜて合成したものである。ルネサンス期にイタリアで開花した美しい絵付けのスズエナメル釉陶器は16世紀に入って堰を切ったようにアルプス以北に流出し,フランス,ドイツ,オランダでも盛んに焼成された(ファイアンス)。他方,このような技術の伝播とは別に,ケルンを中心としたライン川流域の各地では13世紀ころより塩釉炻器(せつき)が焼成されていた。塩釉炻器の焼成は,窯の温度が1200℃くらいに達したとき,窯の中に食塩を投げ込むことによって,食塩の塩化ナトリウムがソーダと塩素に分解され,ソーダは胎土のケイ酸とアルミナと化合し器の表面をガラス質で覆うことになる。ヨーロッパにおける磁器の焼成は1709年ドレスデンのベットガーによって始められ,これと前後して他のヨーロッパ諸国でもこぞって磁器焼成が試みられた。スペインではフリット磁器,フランスではケイ砂,セッコウ,ソーダを溶融し,これに石灰と粘土を加えた,いわゆる軟質磁器,イギリスでは18世紀末に動物の骨灰を混ぜたボーン・チャイナがつくり出された。これらの釉も素地の成分に応じて石灰釉や長石釉などさまざまな磁器釉が用いられている。
執筆者:前田 正明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
…釉薬とも書き,釉(ゆう),釉薬(ゆうやく)ともいう。陶磁器の表面を覆うガラス質の薄い膜のこと。…
…着氷icing雨氷と樹氷の2種があり,航空機に着く着氷の程度によって弱,並,強と着氷なしの4階級に分類される。雨氷clear ice(glaze)は凍結高度以上の不安定な過冷却の水滴からできている雲の中や,温暖前線面の下の寒気中に強雨の降り注ぐ凍結層に発生しやすい(図2)。危険の度合は水滴の大きさと温度に左右されるが,最も危険なのは水滴が大きく気温が-5~-10℃のときである。…
…粗氷のできる条件よりもさらに気温が高く,霧雨や雨滴が付着すると瞬間的に凍りきれず,徐々に凍り透明な氷になる。これはとくに雨氷glazeと呼んでいる。【菊地 勝弘】。…
※「釉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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