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高野房太郎 たかのふさたろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高野房太郎
たかのふさたろう

[生]明治1(1868).長崎
[没]1904.3.12. 青島
社会運動家。横浜商業学校卒業後 1886年渡米,S.ゴンパースと交わり,社会運動に関心をもった。 96年帰国,職工義友会に参加,97年労働組合期成会,同年 12月日本最初の労働組合である鉄工組合の結成に協力。 99年労働者の消費組合「共営社」を東京に設立。著書に在米中の『北米合衆国の労役社会の有様を叙す』 (1890) ,『日本における労働問題』のほか,日本最初の労働運動の文書といわれる『職工諸君に寄す』 (97) などがある。高野岩三郎の兄。

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デジタル大辞泉の解説

たかの‐ふさたろう〔‐ふさタラウ〕【高野房太郎】

[1869~1904]労働運動家。長崎の生まれ。岩三郎の兄。渡米して職工義友会を組織。ゴンパーズの知己を得、AFL(米国労働総同盟)のオルグとして明治29年(1896)帰国。明治30年(1897)、片山潜らと労働組合期成会を結成。また、消費組合である共栄社を設立。

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百科事典マイペディアの解説

高野房太郎【たかのふさたろう】

労働運動の先駆者。長崎出身。横浜商業卒。1886年渡米し在米中城泉太郎・沢田半之助らと職工義友会を組織。帰国後,沢田・片山潜らと労働組合期成会を結成。鉄工組合の幹事としても活躍したが,1900年中国に渡り青島(チンタオ)で客死
→関連項目高野岩三郎鉄工組合普通選挙期成同盟会

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高野房太郎 たかの-ふさたろう

1869*-1904 明治時代の労働運動家。
明治元年11月24日生まれ。19年渡米して苦学し,アメリカ労働総同盟の日本オルグに任命される。帰国後片山潜らと労働組合期成会を結成して日本最初の近代的労働組合となる鉄工組合を組織。また消費組合運動にも尽力した。明治37年3月12日死去。37歳。肥前長崎出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

高野房太郎

没年:明治37.3.12(1904)
生年:明治1.11.24(1869.1.6)
明治期,日本労働運動の創始者のひとり。高野岩三郎の兄。現在の長崎市に生まれる。明治10(1877)年一家と共に上京,父の死後横浜の伯父のもとで働きながら夜学に学び,19年渡米,以後一時帰国をはさんでサンフランシスコを中心に労働しながら苦学し,1892年にサンフランシスコ商業学校を卒業した。この間,労働問題の研究を深め,1891年には城常太郎らと職工義友会を組織した。1894年にニューヨークに移り,AFL(アメリカ労働総同盟)本部でゴンパースと会って知遇を得,AFLのオルガナイザーに任命される。その後アメリカ軍艦の乗組員として乗艦の極東配備に従い,明治29(1896)年帰国。横浜で英字紙の記者をしたのち,上京して労働者の組織に着手,30年春に城らと職工義友会を再組織した。このとき配布された,わが国労働運動史上最初の宣伝文「職工諸君に寄す」は高野の執筆とされる。同年日本で最初の労働問題演説会を開催,労働組合期成会を結成して幹事となり,鉄工組合結成,『労働世界』の創刊などにも力をつくした。しかし高野の労働組合主義は,期成会の内部で社会主義への傾斜を深めつつあった片山潜らと対立し,高野は一時期成会や鉄工組合の幹事を辞して消費組合運動を推進したが失敗に終る。33年の春に突然運動から手を引き,中国に渡ったが,青島のドイツ病院で死去。<参考文献>ハイマン・ガブリン『明治労働運動の一齣』,大島清『高野岩三郎伝』,隅谷三喜男『日本賃労働の史的研究』,二村一夫「職工義友会と加州日本人靴工組合」(『労働運動史研究』62号)

(有馬学)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

たかのふさたろう【高野房太郎】

1868‐1904(明治1‐37)
日本の労働組合運動の創始者。長崎に生まれ,東京,横浜で少年時代を送った。1886年アメリカに渡り,太平洋岸の各地で働きながら英語,経済学などを学んだ。この間,労働運動に関心をいだき,91年夏にはサンフランシスコで城常太郎(靴工),沢田半之助(洋服仕立工)らと職工義友会(〈労働組合期成会〉の項参照)を組織した。高野はジョージ・ガントンの《富と進歩》に感銘をうけ,〈高賃金は国内市場を拡大し国を富ます。労働組合運動は社会進歩の原動力である〉との説の信奉者となった。

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大辞林 第三版の解説

たかのふさたろう【高野房太郎】

1868~1904) 社会運動家・労働運動の先駆者。長崎県生まれ。岩三郎の兄。1886年(明治19)渡米し、労働問題を研究。帰国後、片山潜らと労働組合期成会を組織、99年消費組合共栄社を結成。中国青島で客死。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高野房太郎
たかのふさたろう
(1869―1904)

日本労働組合運動の創始者。統計学者高野岩三郎の兄。明治2年2月24日、長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡長崎区銀屋町(長崎市)に生まれる。1886年(明治19)に渡米し、アメリカ西部で働きつつ学んだ。91年に沢田半之助らと職工義友会を組織。やがてAFL(アメリカ労働総同盟)会長サミュエル・ゴンパーズの知己を得、AFLの日本オルグに任命され、日清(にっしん)戦争終結後の96年帰国。翌97年に沢田と「職工諸君に寄す」という檄(げき)を発して組合結成を呼びかけ、7月に労働組合期成会を結成して日本労働組合運動の創始者となったが、その思想は穏健な労働組合主義であり社会主義には反対であった。1900年(明治33)に入って労働組合運動が衰退に向かうと運動から手を引き中国に渡り、明治37年3月12日、青島(チンタオ)のドイツ病院で死去した。[岡本 宏]
『ハイマン・カブリン編著『明治労働運動史の一齣』(1959・有斐閣) ▽大島清著『高野岩三郎伝』(1968・岩波書店)』

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