日本最初の近代的労働組合である鉄工組合の組織母体。期成会と略す。期成会そのものは労働組合ではなく,労働運動の宣伝・啓蒙団体である。その前身は1891年,サンフランシスコ在住の高野房太郎,城常太郎,沢田半之助らによって結成された労働問題の研究団体,職工義友会である。彼らは労働組合に強い関心をもち,なかでも高野はアメリカ労働総同盟(AFL)のS.ゴンパーズの知遇を得,94年にはAFLの日本オルグに任命されている。帰国した彼らは97年春,東京で職工義友会を再建し,運動を開始した。その最初の企てが,労働組合の必要性とその組織方法を説いた文書〈職工諸君に寄す〉の配布である。ついで6月25日,義友会は佐久間貞一,鈴木純一郎,片山潜らの協力を得て日本最初の労働問題演説会を東京神田で開き,期成会の結成を呼びかけ,7月5日正式に発足した。役員には幹事として片山,沢田ら5人を選び,その互選で高野を幹事長とした。期成会は各地で演説会を開き,既存の同業組合にも働きかけ,労働組合の結成を訴えた。同年12月1日には準機関紙《労働世界》を創刊し,急速に影響力を増した。その編集には片山を中心に横山源之助,植松考昭,西川光二郎らがあたった。《労働世界》は,当初,穏健な労働組合主義を旨としたが,片山のもとでしだいに社会主義に接近し,期成会とも微妙に対立した。
期成会の呼びかけにこたえ,入会した者の多くは鉄工であった。このため97年秋には鉄工組合の組織化が企てられ,11月14日の創立相談会を経て,12月1日に発会式が開かれた。創立時の勢力は13支部1184人,その半数余は東京砲兵工厰の鉄工,他は横浜船渠や日本鉄道大宮工場などの労働者であった。鉄工組合は短期間に組織を広げ,3年後には石川島造船所や日本鉄道会社の工場など関東以北の各地に42支部5400人を擁するにいたった。しかし,これは公称人員で,実際の組合費納入人員は,これよりはるかに少なかった。組織対象は主として鉄工(鍛冶(かじ),旋盤,仕上げなど金属・機械工)であるが,木工などの加入も拒まず,なかには西洋家具工だけの支部も存在した。また機能面でも共済・教育活動が中心で,欧米のクラフト・ユニオンのように熟練労働力の供給を統制することはなかった。期成会が直接創立したのは鉄工組合だけであるが,日本鉄道矯正会(日鉄矯正会)や活版工組合とも《労働世界》や片山,高野らの遊説を通じて連絡があり,一定の影響を及ぼしていた。たとえば,消費組合の普及は期成会が力を入れたところであるが,各地に生まれた〈共働店〉には鉄工組合員だけでなく,矯正会員も加わっている。期成会はまた,工場法の制定運動,治安警察法の反対運動にも力を入れたが,成功しなかった。鉄工組合は共済活動の赤字に加え,警察や使用者側の圧力によって数年で衰え,期成会もこれと運命をともにした。
執筆者:二村 一夫
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1897年(明治30)7月5日、日本の労働組合結成を促進することを目的として、職工義友会の発展として結成された。中心になったのはアメリカ労働総同盟(AFL)のオルガナイザーの資格を得た高野房太郎(ふさたろう)のほか片山潜(せん)、沢田半之助、城常太郎(じょうつねたろう)らで、佐久間貞一(ていいち)、鈴木純一郎、島田三郎、松村介石(かいせき)ら開明的な経営者、学者、政治家、宗教家などが協力した。最初の会員は70人余であったが、同年12月には片山を主宰者とする独立の新聞社の形式ながら機関紙『労働世界』を発刊、また演説会、地方遊説を行い、最盛の1899年には会員5700人余に上った。しかし、1900年(明治33)に治安警察法が公布され、取締りの強化が予想された失望などから会員が減少し、1901年4月3日、二六新報社主催の形で東京・向島(むこうじま)でメーデーをまねた日本労働者大懇親会を開き、3万人余の労働者を集めたのを最後に衰退に向かい、同年末には自然消滅した。
[松尾 洋]
『片山潜著『日本の労働運動』(岩波文庫)』▽『労働運動史料刊行委員会編『日本労働運動史料 第一巻』(1962・東京大学出版会)』
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職工義友会が母体になり,1897年(明治30)7月5日に結成された労働組合の結成を目的とした団体。幹事長に高野房太郎,幹事に片山潜・沢田半之助ら,評議員に佐久間貞一・鈴木純一郎,のちに島田三郎・安部磯雄らが就任した。各地で演説会を開いて組合の結成を訴え,同年12月には準機関紙「労働世界」を発刊。会員の大部分が京浜地方の鉄工であったので,同月鉄工組合を組織。その他,日本鉄道矯正会や活版工組合の結成に大きな役割をはたした。99年には5700人の会員を擁したが,1900年以後急速に衰退し,01年に消滅した。
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…中心人物はアメリカで苦学しつつ労働運動を研究し,AFL(アメリカ労働総同盟)の日本オルグとして帰国した高野房太郎である。高野は同じくアメリカ帰りの片山潜らと協力して,同年7月労働組合期成会を,同年12月には日本最初の近代的労働組合である鉄工組合を創立した。97年,98年には日清戦争を機とした産業発展に伴う労働力不足と物価騰貴を背景に,多くのストライキが起こった。…
…戦前日本における労働組合運動の機関紙。1897年12月,日本初の労働組合である鉄工組合が結成されたとき,その母体の労働組合期成会の機関紙として発刊された(月2回刊)。主筆の片山潜のほか安部磯雄,高野房太郎,横山源之助,村井知至らが執筆し,組合運動発展の武器となった。…
※「労働組合期成会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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