コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

鉄舟徳済 てっしゅう とくさい

美術人名辞典の解説

鉄舟徳済

室町前期の臨済宗の僧。下野生。号は鉄舟。入元して諸山を歴訪し、順宗帝から円通大師の号を受ける。帰国後、天龍寺夢窓疎石の法を嗣ぎ、京都万寿寺に住する。晩年西山龍光院に退いた。著書に『閻浮集』がある。正平21年(1366)寂。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鉄舟徳済 てっしゅう-とくさい

?-1366 南北朝時代の僧。
臨済(りんざい)宗。元(げん)(中国)にわたり,古林清茂(くりん-せいむ)らにまなぶ。帰国後,夢窓疎石(そせき)の法をつぐ。京都万寿寺などの住持。のち京都嵯峨(さが)に竜光院をひらいた。画にすぐれ,墨蘭の名手として知られる。貞治(じょうじ)5=正平(しょうへい)21年9月15日死去。下野(しもつけ)(栃木県)出身。別号に円通大師。語録に「鉄舟和尚語録」,詩集に「閻浮(えんぶ)集」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

鉄舟徳済

没年:貞治5/正平21.9.15(1366.10.19)
生年:生年不詳
南北朝期の禅僧,画家。下野(栃木県)の人。中国の至元年間(1335~41)に元に渡り,竺田悟心,古智慶哲,古林清茂,南楚師説,月江正印 らに歴参した。元の順宗皇帝より円通大師の号を特賜された。帰国後,貞和3/正平2(1347)年には阿波(徳島県)の補陀寺に住し,夢窓疎石の法を嗣いだ。貞治1/正平17(1362)年,京都万寿寺第29世となり,晩年は播磨(兵庫県)の瑞光寺に住し,嵯峨の竜光院に閑居した。水墨画,特に墨蘭の名手として知られ,元の雪窓らの作風にならった作品が数点伝わる。やはり水墨画を描いた愚渓右慧は鉄舟の弟子である。代表作は「蘆雁図」(米・メトロポリタン美術館蔵),義堂周信賛「蘭竹図」(個人蔵)。<参考文献>玉村竹二『五山禅僧伝記集成』

(山下裕二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

てっしゅうとくさい【鉄舟徳済】

?‐1366(正平21∥貞治5)
室町初期の禅僧,画家。夢窓疎石の法嗣で,元(中国)に渡って月江正印,南楚師説,中峰明本らに参じ,古林清茂(くりんせいむ)に師事した。1342年(興国3∥康永1)帰国,阿波の補陀山に住したのち,京都万寿寺29世となる。嵯峨竜光院に退居した。書画をよくし,墨蘭画家の名声を得ている。《芦雁図》や義堂周信賛《蘭竹図》などの水墨画が現存する。【衛藤 駿】

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鉄舟徳済
てっしゅうとくさい

[生]? 下野
[没]貞治5(1366).9.15. 京都
南北朝時代の禅僧。夢窓疎石の法嗣。別号を百拙。中国の元に渡って順宗皇帝から円通大師号を賜わり,興国2 (1341) 年帰国後は阿波補陀寺,京都万寿寺に歴住,嵯峨の竜光院に退去した。文人化した禅僧の典型で,詩文草書,余技水墨画をよくした。詩文集に『閻浮 (えんぷ) 集』1巻があり,絵には元の雪窓普明 (せっそうふみん) を学んだかと思われる墨蘭図や芦雁図が伝わる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

鉄舟徳済の関連キーワード南北朝時代玉畹梵芳玉村竹二臨済徳済周豪

今日のキーワード

ムガベ大統領

1924年、英植民地の南ローデシア(現ジンバブエ)生まれ。解放闘争に参加し、80年にジンバブエを独立に導いた。同年から首相、87年から大統領として実権を握り続けた。2000年以降は白人農場主の農園を強...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android