鉄舟徳済(読み)てっしゅうとくさい

精選版 日本国語大辞典 「鉄舟徳済」の意味・読み・例文・類語

てっしゅう‐とくさい【鉄舟徳済】

  1. 南北朝時代臨済宗高僧夢窓疎石法嗣下野の人。五山の一、万寿寺の第二九世。草書水墨画にすぐれる。入元し、順宗帝より円通大師号を賜る。著書閻浮集」。正平二一年(一三六六)没。

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朝日日本歴史人物事典 「鉄舟徳済」の解説

鉄舟徳済

没年貞治5/正平21.9.15(1366.10.19)
生年:生年不詳
南北朝期の禅僧,画家。下野(栃木県)の人。中国の至元年間(1335~41)に元に渡り,竺田悟心,古智慶哲,古林清茂,南楚師説,月江正印 らに歴参した。元の順宗皇帝より円通大師の号を特賜された。帰国後,貞和3/正平2(1347)年には阿波(徳島県)の補陀寺に住し,夢窓疎石の法を嗣いだ。貞治1/正平17(1362)年,京都万寿寺第29世となり,晩年は播磨(兵庫県)の瑞光寺に住し,嵯峨の竜光院に閑居した。水墨画,特に墨蘭名手として知られ,元の雪窓らの作風にならった作品が数点伝わる。やはり水墨画を描いた愚渓右慧は鉄舟の弟子である。代表作は「蘆雁図」(米・メトロポリタン美術館蔵),義堂周信賛「蘭竹図」(個人蔵)。<参考文献>玉村竹二『五山禅僧伝記集成』

(山下裕二)

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改訂新版 世界大百科事典 「鉄舟徳済」の意味・わかりやすい解説

鉄舟徳済 (てっしゅうとくさい)
生没年:?-1366(正平21・貞治5)

室町初期の禅僧,画家。夢窓疎石の法嗣で,元(中国)に渡って月江正印,南楚師説,中峰明本らに参じ,古林清茂(くりんせいむ)に師事した。1342年(興国3・康永1)帰国,阿波の補陀山に住したのち,京都万寿寺29世となる。嵯峨竜光院に退居した。書画をよくし,墨蘭画家の名声を得ている。《芦雁図》や義堂周信賛《蘭竹図》などの水墨画が現存する。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鉄舟徳済」の意味・わかりやすい解説

鉄舟徳済
てっしゅうとくさい

[生]? 下野
[没]貞治5(1366).9.15. 京都
南北朝時代の禅僧。夢窓疎石の法嗣。別号を百拙。中国の元に渡って順宗皇帝から円通大師号を賜わり,興国2 (1341) 年帰国後は阿波補陀寺,京都万寿寺に歴住,嵯峨の竜光院に退去した。文人化した禅僧の典型で,詩文,草書,余技水墨画をよくした。詩文集に『閻浮 (えんぷ) 集』1巻があり,絵には元の雪窓普明 (せっそうふみん) を学んだかと思われる墨蘭図や芦雁図が伝わる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鉄舟徳済」の解説

鉄舟徳済 てっしゅう-とくさい

?-1366 南北朝時代の僧。
臨済(りんざい)宗。元(げん)(中国)にわたり,古林清茂(くりん-せいむ)らにまなぶ。帰国後,夢窓疎石(そせき)の法をつぐ。京都万寿寺などの住持。のち京都嵯峨(さが)に竜光院をひらいた。画にすぐれ,墨蘭の名手として知られる。貞治(じょうじ)5=正平(しょうへい)21年9月15日死去。下野(しもつけ)(栃木県)出身。別号に円通大師。語録に「鉄舟和尚語録」,詩集に「閻浮(えんぶ)集」。

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