日本歴史地名大系 「銀山城跡」の解説
銀山城跡
かなやまじようあと
[現在地名]安佐南区祇園町東山本・安古市町相田
甲斐国守護武田信光は承久の乱後、安芸国守護を兼ねたが、築城の時期は信光の時とする説もあり、「吾妻鏡」によれば信光は鎌倉に居住し、安芸には守護代を送っている。孫信時宛の文永一一年(一二七四)一一月一日付の関東御教書案(東寺百合文書)によれば蒙古の襲来に備えて「早来廿日以前下向安芸、彼凶徒寄来者、相催国中地頭御家人并本所領家一円地之住人等、可令禦戦」とあり、これ以前は安芸にいなかったことが知れる。
銀山城跡
ぎんざんじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報