江戸時代,佐賀藩成立をめぐる巷説。これを取り上げた物語に《肥前佐賀二尾実記》(発行年不明)や《嵯峨奥猫魔草紙(さがのおくねこまたぞうし)》(1854),歌舞伎狂言に《花埜嵯峨猫魔稿(はなのさがねこまたぞうし)》(1853年初演の予定であったが佐賀藩の抗議で中止)や《百猫伝手綱染分(ひやくみようでんたづなのそめわけ)》(1864初演)がある(猫騒動物)。《花埜嵯峨猫魔稿》の筋書は〈直島大領直繁が盲目の高山検校と囲碁で勝負を争い検校を殺害したので,検校の飼猫が後室嵯峨の方に化けて夜ごとに直繁を苦しめるが,忠臣伊東壮太が嵯峨の方の正体を見破り撃退する〉といった筋である。これには次の史的背景がある。1584年(天正12)の竜造寺隆信の死後,嫡子政家が凡庸なため肥前国統治の実権は鍋島直茂の手に移る。政家の嫡子高房は憤慨して1607年(慶長12)22歳で自殺した。直茂はこれを悼み,城西に天祐寺を創建し,高房の遺骨を泰長院より移し,あつく彼の冥福を祈った。
執筆者:池田 史郎
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江戸時代の御家騒動の一つ。肥前佐賀藩における龍造寺(りゅうぞうじ)氏から重臣鍋島氏への政権交代を、後世、龍造寺氏の立場から劇化したもの。「猫化け騒動」で知られる。佐賀藩は、公儀権力の介入によって藩主が交代し、龍造寺佐賀藩から鍋島佐賀藩に移行するという、全国にもまれにみる歴史的特質をもつ。しかし、それは下剋上(げこくじょう)でも、鍋島氏の政権奪取でもなく、すでに龍造寺体制のもとで定着していた家督(龍造寺氏)と支配権(鍋島氏)の分離を、公儀権力が追認したものであり、それは、1607年(慶長12)、鍋島直茂(なおしげ)の嫡子勝茂が龍造寺氏の家督を相続することで決着した。龍造寺家の家督相続に執着した龍造寺高房は、同年3月自殺未遂、のち9月に死亡、翌月には父政家(まさいえ)(隆信(たかのぶ)の子)も病死した。高房の遺子伯庵(はくあん)は、幕府に対し龍造寺再興の訴訟を繰り返したが、却下され会津藩お預けの身となった。「猫化け騒動」のシナリオは、このような事情のもとで準備され、人口に膾炙(かいしゃ)し、劇化された。歌舞伎(かぶき)狂言の3世瀬川如皐(じょこう)作『花嵯峨猫魔稗史(はなのさがねこまたぞうし)』(1853)のほか、実録本、講談などがある。
[藤野 保]
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