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鎌田柳泓 かまだりゅうおう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鎌田柳泓
かまだりゅうおう

[生]宝暦4(1754).紀伊
[没]文政4(1821).京都
江戸時代後期の心学者。久保又右衛門の3男として生れる。母は鎌田家の出で,母方の伯父鎌田一窓の甥にあたり,その養子となる。名は鵬,字は図南。柳泓は号,普通は玄珠と呼ばれた。伯父一窓は石田梅岩の門人,斎藤全門手島堵庵の学統の人で柳泓もこれに属する。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鎌田柳泓 かまた-りゅうおう

1754-1821 江戸時代中期-後期の心学者。
宝暦4年1月1日生まれ。鎌田一窓の養子。富岡以直(もちなお)にまなぶ。京都で医を業としながら,儒教・仏教・老荘の思想を統合し,西洋天文学などの説をとりいれた独自の理学をうちたてた。文政4年3月11日死去。68歳。紀伊(きい)湯浅(和歌山県)出身。本姓は久保。名は鵬。字(あざな)は図南。通称は玄珠。別号に曲肱庵。著作に「理学秘訣」など。
【格言など】今汝試みに言語を止(や)めて思想してみよ。必ず得ること能わず(「理学秘訣」)

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大辞林 第三版の解説

かまたりゅうおう【鎌田柳泓】

1754~1821) 江戸後期の心学者。紀州の人。名は鵬、字は図南。朱子学を基本にしながら、仏・老や自然科学をも取り入れた理学を唱えた。著「理学秘訣」など。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鎌田柳泓
かまだりゅうおう
(1754―1821)

江戸後期の心学者。諱(いみな)は鵬(ほう)、字(あざな)は図南、通称玄珠(げんしゅ)、柳泓はその号。宝暦(ほうれき)4年正月元日、紀州湯浅の久保又右衛門の三男に生まれ、幼時母方の伯父鎌田一窓(1721―1804)の養子となる。養父一窓は京都の医師で、石田梅岩(ばいがん)門下の斎藤全門(1700―1761)に学び、心学者としても活躍した。柳泓は父のもとで医学、心学を修め、さらに天文学、蘭学(らんがく)などの西洋自然科学を学び、合理的、経験主義的立場から自然と人間心理に関する独自の研究を進め理学を大成した。文政(ぶんせい)4年3月11日没。主著『理学秘訣(りがくひけつ)』(1816)は、天地自然の生成と本質について考察し、ついで人間の意識・感覚作用の分析を通じ、心学の伝統的課題とした心の本質を究明したものである。また『心学奥(おく)の桟(かけはし)』(1822)は、万物の変化の理を究明し、鬼神の有無など超自然的現象について経験的、合理的解釈を加えたもので、このような彼の思想に対して、日本最初の経験的心理学者また独創的唯物論者という評価も与えられている。著書はこのほかに『朱学弁』『心学五則』(1813)『心の花実』『道の谺(こだま)』(1819)『方寸山』などがある。[今井 淳]
『柴田実編『日本思想大系42 石門心学』(1971・岩波書店) ▽渡辺徹著『本邦最初の経験的心理学者としての鎌田鵬の研究』(1940・中興館) ▽三枝博音著『日本の唯物論者』(1956・英宝社) ▽「謡曲方寸山のことども」(『渡辺徹心理学論文集』所収・1959・新生社)』

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世界大百科事典内の鎌田柳泓の言及

【進化論】より

…またその後,自然淘汰によって新種の起原となるほどの新たな形質が生じうるか,進化の経過は果たしてダーウィン説でいうような連続的,漸次的なものであるかなどに関して,現代科学の成果をふまえた問題提起がなされ,進化学説への根本的再検討の気運が強まっている。
【日本の進化論】
 江戸時代末期近く石門心学者の鎌田柳泓(りゆうおう)(1754‐1821)が著した《心学奥の桟(かけはし)》(1816稿,1822刊)に進化の観念がのべられており,それは蘭学書よりの知識にちがいないが,詳細は不明とされる。明治時代に入り,松森胤保(たねやす)《求理私言》(1875)に進化のことが書かれたが,進化論の最初の体系的な紹介は1878年に東京大学動物学教授として来日したアメリカ人E.S.モースによってなされた。…

【石門心学】より

…そのころ京都に上河淇水(うえかわきすい)(1748‐1817)があり,門下の統制を強化することに努め,とくに心学思想の朱子学化を図った。また,異色の心学者として鎌田柳泓(りゆうおう)(1754‐1821)がおり,儒仏老の三教の一致を説くとともに,朱子学も陽明学もその窮極においては一致すると主張した。知・情・意の根源を求め,雄大な体系をたてるとともに,経験的心理学に近い究明も行った。…

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