(読み)アブミ

デジタル大辞泉 「鐙」の意味・読み・例文・類語

あ‐ぶみ【×鐙】

《「踏み」の意》
馬具の一。くら両脇につるして、乗り手が足を踏みかけるもの。
登山用具の一。足場に乏しい岩壁・氷壁登攀とうはんに用いる1~4段の短い縄ばしご。

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精選版 日本国語大辞典 「鐙」の意味・読み・例文・類語

あ‐ぶみ【鐙】

  1. 〘 名詞 〙 ( 足(あ)で踏むものの意 )
  2. 馬具の名。鞍の両脇に垂れて、乗る時に足を踏みかけ、また、乗馬中に乗り手の足を支えるもの。形状により、各種ある。輪に袋を設けた壺鐙、唐様の輪鐙、壺の下に続けた踏み込みの舌の長いものを舌長、短いものを舌短または半舌という。また、材質や製作地により、木鐙、鉄鐙(かなあぶみ)、七条鐙、上総鐙、那波鐙武蔵鐙などの名がある。
    1. 鐙<b>①</b>
    2. [初出の実例]「立山の雪し消らしも延槻の川の渡り瀬安夫美(アブミ)浸かすも」(出典:万葉集(8C後)一七・四〇二四)
    3. [その他の文献]〔日葡辞書(1603‐04)〕
  3. むさしあぶみ(武蔵鐙)」の略。
    1. [初出の実例]「鐙にて踏みしめ給ふ天が下」(出典:雑俳・柳多留‐六六(1814))

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日本歴史地名大系 「鐙」の解説


あぶずり

逗子市桜山さくらやまと三浦郡葉山はやま堀内ほりうちにまたがり、相模湾に面する。交通がすこぶる困難で道が狭いため、乗馬の鐙が岩に摺れることから地名が起こったと伝える。江戸時代の官道浦賀うらが道はここの海岸を通っており、寛政五年(一七九三)刊行の谷文晁筆「公余探勝」の「鐙摺浜」の図は当時の面影を伝える。

「源平盛衰記」巻二一(小坪坂合戦)によれば、治承四年(一一八〇)畠山重忠と戦った三浦勢は押され、和田義盛は伯父三浦義澄に「其れには東地に懸りてあぶすりに垣楯かきて待給へかし、こは究竟の小城なり。敵左右なく寄がたし」といったとある。「吾妻鏡」寿永元年(一一八二)一一月一〇日条に「御寵女亀前、住于伏見冠者広綱飯嶋家也、而此事露顕、御台所殊令憤給、(中略)仍今日、仰牧三郎宗親、破却広綱之宅、頗及恥辱、広綱奉伴彼人、希有而遁出、到于大多和五郎義久鐙摺宅」とあり、同一二日条には「武衛寄事於御遊興、渡御義久鐙摺家、召出牧三郎宗親御共、於彼所広綱、被仰一昨日勝事」とある。

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普及版 字通 「鐙」の読み・字形・画数・意味


20画

(異体字)燈
人名用漢字 16画

[字音] トウ
[字訓] ともしび・あぶらざら・あぶみ

[説文解字]

[字形] 形声
声符は登(とう)。〔説文〕十四上に「錠(てい)なり」とあり、前条に「錠は鐙なり」とあって互訓。中に燭をおく油さしをいう。高杯(たかつき)のような形をしており、〔礼記、祭統〕「(れい)を執るもの、之れを授くるときは鐙を執る」とは、たかつきの足のところをもつ意。その足のところは、油皿の形に似ている。のち鞍の両辺、あぶみの意に用いる。

[訓義]
1. ともしび、たかつきの形をした燭台。
2. あぶらざら、灯の油皿、足のないたかつき。
3. あぶみ、鞍の両旁のあぶみ、馬鐙。

[古辞書の訓]
和名抄〕鐙 阿布美(あぶみ) 〔名義抄〕鐙 アブミ・タツキ・ノボル、太和尓(たわに)

[語系]
鐙・登・燈(灯)・tngは同声。豆・doと形近く、その声を承ける。鐙は登の声義をとる字である。*語彙は灯字条参照。

[熟語]
鐙影・鐙杖
[下接語]
華鐙・執鐙・馬鐙・明鐙

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改訂新版 世界大百科事典 「鐙」の意味・わかりやすい解説

鐙 (あぶみ)

馬に乗る者が足をかけて身体の安定を保つためのもので,〈あしふみ〉からきた名称。足を掛ける部分を輪につくった輪あぶみと,足先の覆いをつけた壺あぶみとがある。輪の上端に方孔か環をつくって,革または鎖の鐙靼(みずお)をつけ,鐙靼の上端につけてある鉸具かこ)によって鞍の居木にとおした力革(ちからがわ)に掛けてつるす。あぶみの起源と伝播がユーラシア大陸における騎馬の起源と伝播から年代的にかなり遅れるため,あぶみの発明をめぐって多くの議論がなされているけれども,はっきりしない点が多い。輪あぶみの発明に先立って,馬にまたがるとき足掛けとして使ったのちはずした,片側だけの革などの輪の存在が,前4世紀のスキタイその他で推定されているが,あぶみの発明につながる可能性が強いのは,4世紀初めの晋墓から出土した騎俑の左側だけにみられるあぶみ形の表現である。中国における最古の実例は,桑の木で輪をつくって金銅板を張った輪あぶみで,5世紀初めの北燕馮素弗(ふうそふつ)墓から出土しており,ヨーロッパで560年ころに初めて現れた輪あぶみは金属製であった。朝鮮や日本では,中国製品の輸入と模倣からはじまり,6世紀初めには鉄製輪あぶみに変わる一方,5世紀末には要所に金具をつけた木製壺あぶみがつくられ,7世紀から金銅製,鉄製の壺あぶみも加わって,鉄製輪あぶみや木製壺あぶみと並び使われた。正倉院の鉄製黒漆塗壺あぶみはこの系統を引くものである。唐代以後,中国では輪あぶみが多く使用され,近世になると踏込部を皿状に大きくしたものがつくられた。日本でも,唐鞍には輪あぶみが使用されたが,壺あぶみは踏込の後の舌と呼ばれる部分が次第にのびて半下あぶみとなり,鎌倉時代には舌長ができ,室町時代末に舌がやや短くなり,近世に各地で特色ある武蔵あぶみ,七条あぶみ,佐々木あぶみ,大和あぶみなどがつくられた。ヨーロッパでも,中世には踏込の先端部をとがらせたり,垂飾を加えたりする一方,足先を鉄線で覆った一種の壺あぶみなども行われたが,近世に普及した簡単な輪あぶみが19世紀中葉に日本にもたらされて,江戸時代のあぶみにとって代わった。
馬具
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鐙」の意味・わかりやすい解説


あぶみ

馬具の一種。鞍(くら)に付属し、鐙革(あぶみがわ)で馬体の左右の外側につるされ、馬に乗り降りするときや乗馬中に騎手の足の重みを支え、馬上での騎手の動きを容易にするもの。日本語の起源は足踏(あしぶみ)が転化して「あぶみ」となったとされる。鐙を発明したのは乗馬の得意な騎馬民族ではなく、得意でない農耕民族が馬に乗るときの足ふみとしたものが発達して、騎手に都合のよい道具となったものと考えられている。鐙は出土品などからみて、紀元前4世紀のスキタイや前2世紀のインドや中国の漢の時代に存在していたらしい。鐙には種々の形が知られている。世界共通の鐙は輪鐙(わあぶみ)を基本としたものである。最初は革紐(かわひも)や縄が用いられ、のちに木製や金属製になった。日本には古墳時代に輪鐙が伝来し、5世紀以後には壺鐙(つぼあぶみ)がつくられ、奈良・平安時代には舌長鐙へと発展し、日本独特の舌のある鐙になって江戸時代に至っている。明治以後は輪鐙の一種である洋鐙が用いられている。

[松尾信一]

『日本乗馬協会編『日本馬術史 第3巻』(1940・大日本騎道会/1980・原書房)』『森浩一編『日本古代文化の探求・馬』(1974・社会思想社)』『加茂儀一著『騎行・車行の歴史』(1980・法政大学出版局)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鐙」の意味・わかりやすい解説


あぶみ
stirrup

馬具の一種。 (くら) の両側に吊下げて,乗る人が足を掛けるもの。ヨーロッパではローマ時代,中国では漢代に始る。輪になっていて足を掛けるものと,足の前面を包むようになっていて,足を載せる式のものと2種ある。前者を輪鐙といい,鉄製で古今を通じて広く用いられ,日本では古くは上古~平安時代の唐鞍 (からくら) に限って用いられた。後者は壺鐙といい,日本独自のものらしく,足の前半を踏込むところが壺状になっているのでこの名がある。

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百科事典マイペディア 「鐙」の意味・わかりやすい解説

鐙【あぶみ】

馬具の一つ。鞍(くら)の両側に下げ,乗り手の足掛りにする。足を掛ける部分が単なる輪になっている輪鐙と,輪の前面に足先を包むおおいのある壺鐙とがある。西洋ではローマ時代,中国では漢代に始まる。日本には高句麗,百済を経て5世紀ころ乗馬の風習とともに伝わり,6―7世紀ころ壺鐙の発生をみた。
→関連項目馬具

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