デジタル大辞泉 「長田秋濤」の意味・読み・例文・類語 おさだ‐しゅうとう〔をさだシウタウ〕【長田秋濤】 [1871~1915]劇作家・翻訳家。静岡の生まれ。本名は忠一。演劇改良やフランス文学の紹介に努めた。ユゴー「椿姫」の訳や、「図南録」などの著書がある。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「長田秋濤」の意味・読み・例文・類語 おさだ‐しゅうとう【長田秋濤】 翻訳家。本名忠一。静岡県出身。英仏に留学。演劇改良に力をつくし、フランスの戯曲、小説などを紹介。明治四~大正四年(一八七一‐一九一五) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「長田秋濤」の解説 長田 秋濤オサダ シュウトウ 明治・大正期のフランス文学者,劇作家 生年明治4年10月5日(1871年) 没年大正4(1915)年12月25日 出生地静岡県静岡市外西草深 本名長田 忠一(オサダ タダカズ) 別名別号=酔掃堂 経歴18歳の時に法津研究のためイギリスに留学したが、すぐにパリに移って法学を研究する。そのかたわらコメデイ・フランセーズの楽屋に出入りし、フランス演劇の実情を見聞する。帰国後は官界や実業界で活躍する一方、演劇改良運動に参加する。明治30年伊藤博文の欧米視察団に同行するが、以後は劇作家、仏文学者として活躍した。戯曲に「王冠」「祖国」「菊水」、翻訳にデュマ「椿姫」などがある。晩年は南洋開発を志し、遺著「図南録」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
百科事典マイペディア 「長田秋濤」の意味・わかりやすい解説 長田秋濤【おさだしゅうとう】 劇作家,翻訳家。静岡県生れ。本名,忠一(ただかず)。法律研究のために英仏に留学,フランス演劇・文学への関心を強めた。帰国後,演劇改良運動に参加,市川團十郎(9代),川上音二郎らと提携。1895年,戯曲《菊水》刊行。1903年,デュマの《椿姫》の翻案を上演。翻訳に小説《椿姫》と尾崎紅葉と共訳《鐘楼守》(ノートルダム・ド・パリ)がある。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「長田秋濤」の解説 長田秋濤 没年:大正4.12.25(1915) 生年:明治4.10.5(1871.11.17) 明治大正期の劇作家,仏文学者。本名忠一。静岡県の生まれ。幕府の仏学者を父に持ち,若き日イギリスやフランスに留学,コメディ・フランセーズの楽屋に出入りし演劇に興味を持つ。帰国後フランス演劇を紹介しつつ,『王冠』(1899)などの翻案ものに力を注ぐ。演劇改良の風潮のなかで,川上音二郎らと提携,劇界に新風をもたらした。秋濤の名を知らしめたのはデュマ『椿姫』の訳(1903)で,尾崎紅葉訳として同年出たユゴー『鐘楼守』(『ノートルダム・ド・パリ』)も,実際は秋濤の仕事である。日露戦争後は南方開発にも関心を示したが,不遇であった。そのモデル小説に中村光夫『贋の偶像』(1967)がある。 (中島国彦) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長田秋濤」の解説 長田秋濤 おさだ-しゅうとう 1871-1915 明治-大正時代の劇作家,フランス文学者。明治4年10月5日生まれ。長田銈太郎(けいたろう)の長男。ソルボンヌ大にまなび,演劇にしたしみ,帰国後演劇の改良,フランス文学の翻訳・紹介につくす。一時早大でおしえ,帝国ホテル支配人もつとめた。大正4年12月25日死去。45歳。静岡県出身。本名は忠一。戯曲に「菊水」,訳書に「椿姫」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by