長者ヶ平遺跡(読み)ちようじやがだいらいせき

日本歴史地名大系 「長者ヶ平遺跡」の解説

長者ヶ平遺跡
ちようじやがだいらいせき

[現在地名]那須烏山市鴻野山

標高約二〇〇メートル、低地からの比高約五〇メートルの喜連川きつれがわ丘陵上の平坦地に位置する古代官衙跡。この遺跡は江戸時代から多量の炭化米出土で知られ、地元には源頼義・義家父子の奥州征伐にかかわる長者屋敷の焼討伝説が残っている。平成一三年(二〇〇一)からの調査によって、炭化米が採集される平坦面から大型の掘立柱建物跡一三棟、竪穴住居跡九軒、大型の土坑二基などが発見され、とくに注目されるのは、南面する正殿跡を中心に、東と西側に長大な脇殿跡(東脇殿跡・西脇殿跡)がコの字型に配置され、南門を構えた遺構が発見されたことである。


長者ヶ平遺跡
ちようじやがだいらいせき

[現在地名]小木町金田新田

小木半島中央の高位段丘面に立地し、標高一七五メートル。九つの沢頭の集まる頂部で、広さ一万平方メートル。どの浜からも一・四キロ。明治の開墾時から遺物出土は著名であった。昭和四一年(一九六六)から三ヵ年、同五五年から四ヵ年、遺跡保存計画策定資料入手のため発掘調査を実施。縄文前期末葉から中期初頭の集落跡は遺跡の南半、中期中葉から後葉は北半部と時代により立地が異なる。住居跡は一〇基ほど検出された。楕円形プランが主で地炉・埋甕炉・石囲炉を伴い、埋甕・配石をもつものもある。配石遺構群が中央部と南西部にあるが完掘していない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「長者ヶ平遺跡」の解説

ちょうじゃがだいらいせき【長者ヶ平遺跡】


新潟県佐渡市小木(おぎ)にある縄文時代の集落跡。小木半島先端部の段丘上に位置し、標高175m、遺跡の範囲は東西100m、南北150mにおよぶ佐渡島最大の縄文遺跡。斉藤秀平により長者ヶ原式土器を出す遺跡として発表され、1965年(昭和40)~1967年(昭和42)と1980年(昭和55)~1982年(昭和57)に発掘調査が行われ、縄文時代前期から中期に属する土器は、佐渡における標式土器とされた。遺構は竪穴(たてあな)住居のほか、土坑・配石および立石遺構がある。とくに、直立した粗製大型石棒と、3個の立石をともなう大型土坑内からは人骨片が発見され、これらが墓であることを示していた。遺物には土偶・滑車形耳飾りをはじめ、石鏃(せきぞく)・石槍・打製石斧(せきふ)・磨製石斧・磨石や、硬玉(こうぎょく)大珠・石製釣り針があり、ほかに鹿角製の尖頭器や装飾品があるなど、離島文化を知るうえで重要とされ、1984年(昭和59)に国の史跡に指定された。小木港から車で約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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