長船長光(読み)オサフネナガミツ

デジタル大辞泉 「長船長光」の意味・読み・例文・類語

おさふね‐ながみつ〔をさふね‐〕【長船長光】

鎌倉時代刀工備前の人。長船派の祖、光忠の子といわれるが、同名数代続いている。足利将軍の宝刀大般若長光」の作者とされる。生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「長船長光」の意味・読み・例文・類語

おさふね‐ながみつをさふね‥【長船長光】

  1. ながみつ(長光)[ 一 ]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「長船長光」の意味・わかりやすい解説

長船長光
おさふねながみつ

生没年不詳。鎌倉中期(13世紀)の備前(びぜん)国(岡山県長船派の刀匠。同派の始祖光忠(みつただ)の子と伝えられ、一門に子の景光をはじめ近景(ちかかげ)、真長(さねなが)、長元(ながもと)、景政(かげまさ)らを輩出して繁栄をみた。作風は光忠に近い丁子乱(ちょうじみだれ)華やかな作から、小丁子に互(ぐ)の目(め)の交わるもの、直刃調に互の目や小丁子の交わるものまで、作域は広い。その作刀に1274年(文永11)から1304年(嘉元2)まであり、古来、同名2代あると伝えられている。初代の法名を順慶(じゅんけい)として順慶長光とよび、正応(しょうおう)(1288~93)以降の左近将監(さこんしょうげん)長光銘のものを将監長光とよんで2代としているが、順慶と二字銘の作刀はまったく長光の作風と異なり、別人とする説が強く、さらに二代説にも研究の余地がある。

[小笠原信夫]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長船長光」の解説

長船長光 おさふね-ながみつ

?-? 鎌倉時代の刀工。
長船光忠(みつただ)の子。備前(岡山県)長船にすみ,長船派隆盛のもとをきずいた。名物大般若(だいはんにゃ)長光」など6口(ふり)が国宝指定で,作刀年紀は文永11年(1274)から嘉元(かげん)2年(1304)まである。同名が2代あるとされ,初代を順慶長光,2代を左近将監(さこんのしょうげん)長光とよんでいるが異説もあり,また一人説もある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長船長光」の意味・わかりやすい解説

長船長光
おさふねながみつ

鎌倉時代後期,備前国 (岡山県) 長船の刀工。光忠の子。法名順慶,左近将監と称する。ただし両者を別人とみる説もある。正宗 (岡崎正宗) ,吉光 (→粟田口吉光 ) と並ぶ名工で,古刀には珍しく作刀が多く伝存しており,国宝,重要文化財などに指定されている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「長船長光」の解説

長船長光
おさふねながみつ

生没年不詳
鎌倉時代の刀工
備前(岡山県)長船村に居住。この村からはすぐれた刀鍛冶が出て,長船物として名高く,長光はその長船派の代表者とされる。代表作に『太刀名物大般若 (はんにや) 長光』などがあり,鎌倉の岡崎正宗,京都の栗田口吉光などと並称された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「長船長光」の解説

長船長光
おさふねながみつ

長光(ながみつ)

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