日本大百科全書(ニッポニカ) 「開拓使官有物払下げ事件」の意味・わかりやすい解説
開拓使官有物払下げ事件
かいたくしかんゆうぶつはらいさげじけん
1881年(明治14)開拓使の所有する船舶、工場、農園、倉庫、鉱山などを開拓使官吏や政商らに払い下げようとして世論の厳しい批判を受けた事件。82年の開拓使廃止を予想し、その事業の継続を意図した開拓長官黒田清隆(きよたか)(薩摩(さつま)藩出身)は、開拓使の諸事業を開拓使上級官僚の結社や鹿児島出身の政商五代友厚(ごだいともあつ)らの関西貿易商会に払い下げようとして太政官(だじょうかん)の許可を得たが、開拓使官吏への払下げ条件が38万7000余円、無利息30年賦という極端に恩恵的なものだったから、薩摩閥が結託して公の財産を私するものだという激しい非難がおこった。民権派は活気づき、政府内の意見対立も強まった。窮地に陥った政府は払下げを取り消し、国会開設の詔勅を発するとともに、国会早期開設を唱えた筆頭参議大隈重信(おおくましげのぶ)以下の官吏を罷免して態勢の立て直しを図った。この政府の変動を明治十四年の政変という。
[永井秀夫]