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間主観性 かんしゅかんせいIntersubjektivität

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

間主観性
かんしゅかんせい
Intersubjektivität

E.フッサールの用語で,相互主観性あるいは共同主観性ともいわれる。純粋意識の内在的領域に還元する自我論的な現象学的還元に対して,他の主観,他人の自我の成立を明らかにするものが間主観的還元であるが,それは自我の所属圏における他者の身体の現出を介して自我が転移・移入されることによって行われる。こうして獲得される共同的な主観性において超越的世界は内在化され,その客観性が基礎づけられると説かれる。その後 M.ハイデガー,M.メルローポンティらの議論を経て,廣松渉はこの語を諸個人が互いを主体として承認しつつ単一の世界を共有しているような事態であると定義した。今日では,自己と他者の分化に先行する基底的な構造をさして用いられる。

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世界大百科事典 第2版の解説

かんしゅかんせい【間主観性 intersubjectivity】

フッサール現象学の用語で,自我共同体モナド共同体とも呼ばれる。彼によれば,私にとって存在するものはすべて,その存在の意味を,私自身の意識領域から汲みとるのであるから,〈我在り〉が私の原初的世界にとっての根源的な志向的根拠である。それゆえ彼は,哲学的諸学科のうち本来第1の学科は,独我論的な自我論であるとした。しかしその反面,自然的世界や文化的世界がわれわれ万人に妥当する客観的世界であることも自明である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

間主観性
かんしゅかんせい
Intersubjektivittドイツ語
intersubjectivitフランス語

現象学派の哲学者たちは、自己意識(われ思う)の直証的確実性から出発するとき、自我と等しい権利をもつ主観性である他我との共同、つまり間主観性、およびそれをよりどころとする対象世界の客観的・公共的な把握はいかにして基礎づけられるかという問題に腐心した。フッサールの他我論は「類比による統覚」とよばれるもので、他の身体=物体が私の身体(これは単に物体ではない)と「対(つい)」を組み、そのことによって他の身体=物体に他体という「意味の転移」が成就(じょうじゅ)すると説く。ただし、「類比による統覚」は単なる類推作用ではなく、「間接現前」とよばれる一種の現前であるとされる。なお、問題場面は異なるが、ヘーゲルの『精神現象学』にすでに、「われわれである自我、自我であるわれわれ」という共同性の観点が提出されているのは、特筆大書に値する。[山崎庸佑]
『山崎庸佑著『現象学の展開』(1974・新曜社)』

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世界大百科事典内の間主観性の言及

【フッサール】より

…しかしそれにしても,世界はもとより各事物も個々の主観に対してのみ存在しているのではない。それゆえ超越論的主観性は究極的には間主観性であるとされ,そしてこのことと関連して他我認識の方法が,意識主観の身体性や歴史性の問題と絡めて考察される。これらの諸問題に加えて,後期のフッサールは諸科学の成立基盤としての〈生活世界〉の問題をも主題化して,科学的認識の成立過程をいっそう具体的に解明しようとした。…

※「間主観性」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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