日本大百科全書(ニッポニカ) 「廣松渉」の意味・わかりやすい解説
廣松渉
ひろまつわたる
(1933―1994)
哲学者、マルクスおよびマルクス主義研究者。福岡県に生まれる。第二次世界大戦終結直後の中学1年生のときから左翼運動に参加。反米活動により高校を退学処分され、大学入学資格検定(現、高等学校卒業程度認定試験)を経て東京大学に進学。その間、1950年(昭和25)の日本共産党分裂では国際派分派として除名され、1955年の六全協(日本共産党第6回全国協議会)で復党する。1965年東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士課程修了。名古屋工業大学助教授、名古屋大学助教授などを経て1982年東京大学教養学部教授。1960年代からは新左翼運動に随伴するように独自の思想を展開していった。
十代のころは独学で物理学を研究。現代物理学におけるパラダイム・チェンジと同じようなことが、哲学、思想にもあったのではないかという着想を得る。この発想は、のちに独自のマルクス解釈を展開するうえでの基調となる。廣松の仕事は、単に哲学分野だけでなく、政治学、経済学などから認知科学や生命科学、物理学にいたる広い範囲にわたり、その業績はそれぞれの分野でパラダイム・チェンジを迫るものである。実際、書籍として刊行された仕事も、1963年の『感覚の分析』Die Analyse der Empfindungen und das Verhaltnis des Physischen zum Psychischen(1886)、1966年の『認識の分析』(1920年刊のErkenntnis und Irrtumと1923年刊のPopular-wissenschaftliche Vorlesungenより5編を選んだもの)と、エルンスト・マッハの翻訳がスタートであった。当時、マッハとヨーロッパ現代哲学を同時に視野に入れて、しかもマルクス主義哲学の立場で研究を行う者は日本ではほかにいなかった。
廣松は哲学者であると同時に、マルクス主義の実践的活動家であることも放棄しなかった。その両方をつなぐのが、『マルクス主義の成立過程』(1968)や『マルクス主義の地平』(1969)といった著作にまとめられる「マルクスの物象化論」などの論文である。それらの著作や論文を通して60年安保闘争で中心となった新左翼グループ、共産主義者同盟(ブント)に近かった彼は、70年安保闘争になだれ込んでいった全共闘世代に、吉本隆明とともに大きな影響を与えた。
廣松のもっとも大きな業績は、マルクスの『ドイツ・イデオロギー』に関する精緻(せいち)な研究によって、同書に果たしたエンゲルスの役割を再評価するとともに、初期マルクスにおける疎外論と後期マルクスにおける物象化論の断絶を明らかにしたことである。それらの研究は『新編輯(へんしゅう)版 ドイツ・イデオロギー』(1974)に結実し、以来、疎外論を超えて物象化論にいたるというマルクス主義の創造的再解釈が、廣松にとっての重要なモチーフになる。また、『世界の共同主観的存在構造』(1972)および『事的世界観への前哨(ぜんしょう)』(1975)は、主客二項対立的な世界観から共同主観的な世界観へのパラダイム・チェンジを促すものであった。それがさらに大きなスケールで展開されたのが『存在と意味』1・2(1982、1993)である。産業革命が現代まで続くこの時代を、どう乗り越えていくかが廣松にとっての生涯のテーマであった。1984年には第2回哲学奨励山崎賞を受賞。
難解な用語ときわめて厳密な理論構成で知られる廣松哲学であるが、『弁証法の論理』『新哲学入門』『哲学入門一歩前』(以上1988)、『今こそマルクスを読み返す』(1990)といった平易な入門書も著している。
[永江 朗 2016年9月16日]
『『事的世界観への前哨――物象化論の認識論的=存在論的位相』(1975・勁草書房/ちくま学芸文庫)』▽『『存在と意味――事的世界観の定礎』1・2(1982、1993・岩波書店)』▽『『弁証法の論理――弁証法における体系構成法』(1989・青土社)』▽『『廣松渉コレクション』全6巻(1995・情況出版)』▽『『廣松渉著作集』全16巻(1996~1997・岩波書店)』▽『『世界の共同主観的存在構造』(講談社学術文庫)』▽『『新哲学入門』(岩波新書)』▽『『哲学入門一歩前――モノからコトへ』『今こそマルクスを読み返す』(講談社現代新書)』▽『エルンスト・マッハ著、廣松渉・加藤尚武編訳『認識の分析』(1966・創文社/新装版・2008・法政大学出版局)』▽『エルンスト・マッハ著、廣松渉・須藤吾之助訳『感覚の分析』(1971/新装版・2013・法政大学出版局)』▽『マルクス、エンゲルス著、廣松渉訳『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』(岩波文庫)』