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関根正二 せきねしょうじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

関根正二
せきねしょうじ

[生]1899.4.10. 福島,白河
[没]1919.6.16. 東京
洋画家。職人の家に生れる。同郷の伊東深水の紹介で東京印刷株式会社図案部の給仕となり,美術に親しみ日本画を独習,同職場の洋画家小林専の影響でペン画や油絵を描いた。また A.デューラー,L.ダ・ビンチなどの素描を見て線描家として成長。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

せきね‐しょうじ〔‐シヤウジ〕【関根正二】

[1899~1919]洋画家。福島の生まれ。幻想に満ちた表現主義的な画風で注目されたが、結核で夭折(ようせつ)。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

関根正二【せきねしょうじ】

洋画家。福島県生れ。1908年上京し,小学校卒業後印刷会社の図案部に勤めながら,初め日本画,のち洋画を学んだ。二科展二科会)に出品し,1915年《死を思う日》で初入選,1918年には《信仰の悲しみ》《姉弟》などで樗牛(ちょぎゅう)賞を受けたが,強度の神経衰弱に悩みつつ,肺結核で没した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

関根正二 せきね-しょうじ

1899-1919 大正時代の洋画家。
明治32年4月3日生まれ。東京深川の小学校卒業後,親友伊東深水(いとう-しんすい)の紹介で印刷会社につとめ,絵をはじめる。大正4年「死を思ふ日」が二科展に初入選する。7年同展で「信仰の悲しみ」「姉弟」などが樗牛(ちょぎゅう)賞を受賞したが,翌8年6月16日病死。21歳。福島県出身。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

関根正二

没年:大正8.6.16(1919)
生年:明治32.4.3(1899)
明治大正期の洋画家。福島県大沼村(白河市)生まれ。明治41(1908)年上京し深川の棟割長屋に住む。43年から伊東深水と親交し,のち結城素明を知る。大正2(1913)年から日本画を始め,第13回巽画会展に入選したが,直後洋画に転じ本郷洋画研究所に通う。同年,河野通勢所有の画集でルネサンス期の素描に啓示を受け線描家をめざすが,4年安井曾太郎の滞欧作に感銘を受け色彩に開眼した。このころ,上野山清貢,久米正雄らと交友。7年神経衰弱が高じたが,第5回二科展に「信仰の悲しみ」(大原美術館蔵)ほかを出品,樗牛賞を受賞,独自の幻想性を秘めた作風で一躍注目された。作品はほかに「姉弟」など。

(三輪英夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

せきねしょうじ【関根正二】

1899‐1919(明治32‐大正8)
洋画家。福島県出身。1908年上京して深川の棟割長屋に住み,伊東深水と交友する。12年深水の紹介で東京印刷会社図案部に勤め,ここで日本画家結城素明(1875‐1957)を知り,深水の勧めもあって翌13年から日本画を始め,巽画会展に出品するが,同年洋画に転じ本郷絵画研究所に通った。信州地方を旅行中,長野で河野通勢(つうせい)(1895‐1950)を知ってルネサンス期巨匠の画集を見せられ,その素描に感動して線描家として目覚め,14年の巽画会展にはペン画2点を出品。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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大辞林 第三版の解説

せきねしょうじ【関根正二】

1899~1919) 洋画家。福島県生まれ。幻想と詩精神にあふれた作品を発表したが早世。代表作。「信仰の悲しみ」

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

関根正二
せきねしょうじ
(1899―1919)

洋画家。村山槐多(かいた)とともに大正期を象徴する夭折(ようせつ)の異色画家として知られる。明治32年4月3日福島県大沼村(現白河市)に生まれる。小学校時代に一家上京し深川に住む。卒業後、友人伊東深水(しんすい)の勤めていた東京印刷会社図案部に入る。初め日本画を描くが、やがて洋画に転じ、本郷絵画研究所や太平洋画会研究所に通う。ルネサンスの巨匠たちの画集に感動し、1915年(大正4)二科展に出品するが、同展特別陳列の安井曽太郎(そうたろう)滞欧作を見て色彩に開眼する。また前田夕暮(ゆうぐれ)の門下生らと文芸誌『炎(ほのお)』を刊行したという。18年蓄膿症(ちくのうしょう)の手術、失恋ほかで健康を失いつつも、秋の二科展に『信仰の悲しみ』『姉弟』『自画像』を出品、樗牛(ちょぎゅう)賞を受けた。その幻想と詩感に満ちた表現主義は、翌年の『三星』『子供』にも発揮されるが、この大正8年6月16日、肺結核のためにわずか20歳の生涯を閉じた。[小倉忠夫]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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