閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会報告書(中曽根内閣による要請に基づく)(読み)かくりょうのやすくにじんじゃさんぱいもんだいにかんするこんだんかいほうこくしょ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会報告書(中曽根内閣による要請に基づく)
かくりょうのやすくにじんじゃさんぱいもんだいにかんするこんだんかいほうこくしょ

閣僚靖国神社参拝問題に関する懇談会
 林 敬三
 芦部 信喜
 梅原 猛
 江藤 淳
 小口 偉一
 小嶋 和司
 佐藤 功
 末次 一郎
 鈴木 治雄
 曽野 綾子
 田上 穣治
 知野 虎雄
 中村 元
 林 修三
 横井 大三
 我々は、昨年八月三日、内閣官房長官から内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社参拝の在り方をめぐる問題について意見を述べるよう要請を受け、今日まで検討を続けて来たが、別添のとおり意見を取りまとめたので、報告する。(目次略)

一 はじめに

 我々は、昭和五九年八月三日、藤波内閣官房長官から、内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社参拝の在り方について、憲法上の論点、国民意識とのかかわりなどを幅広く検討し、意見を述べるよう要請を受けた。

 そこで、今日まで約一年間、合計二一回にわたり懇談会を開催し、宗教団体等の意見や諸外国の実情を含め、この問題全般について調査を行い、自由な立場から討議を積み重ね、検討を行って来たが、ここにその結果を報告する。

 なお、我々の間には、いくつかの点について意見の対立があり、必ずしも、すべての点について全員の一致した意見を得ることはできなかった。そのため、この報告においては、意見の主なものを示すことに主眼を置くこととし、意見の一致を見るに至らなかった点のうち、重要なものについては、その旨を特に掲げることとした。


二 閣僚の靖国神社公式参拝問題の経緯

 (1) 靖国神社の概要等
 靖国神社は、明治二年に創建された東京招魂社にその起源を有しており、明治一二年、靖国神社と改称、別格官幣社に列せられた。

 戦前は、国事殉難者を祀る国の中心的施設として、国家管理の下に置かれ、戦争・事変等による戦没者を合祀した。

 戦後、連合国の占領政策の一環として、いわゆる神道指令(昭和二〇年一二月一五日)に基づき、さらに、思想・言論の自由及び信教の自由に対する要求を背景として、厳密な政教分離が行われ、公務員の公的資格における神道の保証、支援等、公の財源による神社に対する財政援助等は禁止され、靖国神社は昭和二一年二月二日に国家管理の手を離れて宗教法人となった。なお、地方公共団体等が戦没者に対する葬祭等に関与することも厳しく禁止されていたが、我が国の独立回復の際、緩和された。

 また、日本国憲法には、信教の自由・政教分離に関する規定(第二〇条・第八九条)が置かれることとなった。

 しかしながら、宗教法人靖国神社は、戦後も、引き続き、先の大戦における多数の戦没者の合祀を行っており、同神社における合祀柱数は、昭和六〇年七月末現在で、二四六万四一五柱となっている。

 (2) 靖国神社公式参拝問題の発生
 昭和二七年四月二八日、「日本国との平和条約」の発効により、連合国の占領が終了して我が国が独立を回復し、神道指令は効力を失うこととなった後、日本遺族厚生連盟(後の日本遺族会)を中心に、国民の間に、靖国神社を再び国営化ないし国家護持すべきであるとの運動が生じた。

 昭和五〇年頃から、上記の運動に代わり、従来、内閣総理大臣その他の国務大臣が靖国神社に私的資格で参拝していたことについて、公的資格で参拝(いわゆる公式参拝)すべきであるとの運動が展開された。これに対し、このような公式参拝は、憲法第二〇条第三項の禁止する国の機関の宗教的活動に当たり、違憲であるとの憲法論からする反対論も主張され、様々な政治的、社会的反響を呼ぶに至った。また、公式参拝に関連して、昭和五三年一〇月一七日及び昭和五五年一一月一七日の二度にわたり、政府の統一見解が表明され、この見解をめぐる論議も活発となった。


三 戦没者追悼の在り方

 (1) 国及びその機関による戦没者の追悼
 祖国や父母、妻子、同胞等を守るために一命を捧げた戦没者の追悼を行うことは、祖国や世界の平和を祈念し、また、肉親を失った遺族を慰めることでもあり、宗教・宗派・民族・国家の別などを超えた人間自然の普遍的な情感である。このような追悼を、国民の要望に即し、国及びその機関が国民を代表する立場で行うことも、当然であり、諸外国の実情を見ても、各国の法令上の差異や、国家と宗教とのかかわり方の相違などにかかわらず、国が自ら追悼のための行事を行い、あるいは、例えば、大統領等の公的機関が民間団体の行うこれらの行事に公的資格において参列するなど、戦没者の追悼を公的に行う多数の例が存在する。

 (2) 我が国における戦没者の追悼
 我が国においても、この間の事情は、これら諸外国と同様に考えることができる。先の大戦に至るまでの数次の戦争における戦没者に対し追悼の念を表すことは、国民多数の感情にも合致し、遺族の心情にも沿うものであって、国民として当然の所為というべきである。また、内閣総理大臣その他の国務大臣も、国民を代表する立場において、国民の多数が支持し、受け入れる形で行事を主催し、又は、行事に参列することによって、戦没者の追悼を行うことが適当であろう。

 戦後、戦没者を追悼するために、国は、独立回復後の昭和二七年五月二日、新宿御苑において全国戦没者追悼式を実施した。以後、昭和三四年三月二八日には千鳥ヶ淵戦没者墓苑を設立し、その竣工式に併せて同所において、また、昭和三八年八月一五日には日比谷公会堂において、昭和三九年八月一五日には靖国神社境内地において、昭和四〇年以降毎年八月一五日(昭和五七年以降「戦没者を追悼し平和を祈念する日」)には日本武道館において、それぞれ全国戦没者追悼式を主催し、さらに、昭和四〇年以降、毎春、千鳥ヶ淵戦没者墓苑において納骨並びに拝礼式を主催して、これらの各式典には内閣総理大臣その他の国務大臣等が公的資格で参列している。

 しかし、国民や遺族の多くは、戦後四〇年に当たる今日まで、靖国神社を、その沿革や規模から見て、依然として我が国における戦没者追悼の中心的施設であるとしており、したがって、同神社において、多数の戦没者に対して、国民を代表する立場にある者による追悼の途が講ぜられること、すなわち、内閣総理大臣その他の国務大臣が同神社に公式参拝することを望んでいるものと認められる。


四 閣僚の靖国神社公式参拝の意味

 内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社公式参拝とはどのような参拝を言うかについては、内閣総理大臣その他の国務大臣が公的資格(内閣総理大臣その他の国務大臣としての資格)で行う参拝のことであり、したがって、閣議決定などは特に必要ではないと考える。

 その際、参拝の形式については、いわゆる正式参拝(靖国神社の定めた方式に従った参拝であり、昇殿を伴う。)又は社頭参拝等の形式に左右されるものではなく、さらに、神道の形式にも限定されない。すなわち、閣僚が自らの思うところの方式に従って拝礼するとしても、その資格が公的であればやはり公式参拝であると考える。また、靖国神社で行われる儀式・行事(例えば、多数の遺族によって行われる追悼のための儀式・行事も含む。)に公的資格で参列して拝礼するような場合も公式参拝と言うべきであろう。


五 閣僚の靖国神社公式参拝の憲法適合性

 (1) 政教分離原則に関する最高裁判所判決
 内閣総理大臣その他の国務大臣が靖国神社に公式参拝することについては、憲法第二〇条及び第八九条のいわゆる政教分離原則との関係が問題となる。

 この政教分離に関する解釈等については、津地鎮祭事件に関する最高裁判所判決(昭和五二年七月一三日)(以下単に最高裁判決と言う。)が参考となるが、同判決は、特に、憲法第二〇条第三項の「宗教的活動」に関して、おおむね次のように述べている。

 いわゆる政教分離原則は信教の自由を制度的に確保するための原則であり、国家と宗教とのかかわり合いを全く許さないものではない。国家と宗教とのかかわり合いが許されるかどうかは、そのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが社会的、文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるかどうかによって判断すべきである。憲法第二〇条第三項の「宗教的活動」とは、行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為を言い、ある行為がこの宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断すべきである。本件地鎮祭は、宗教とかかわり合いを持つものであることを否定し得ないが、目的は専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し、又は、他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないので、この宗教的活動に該当しない。


 これによれば、憲法第二〇条第三項によって禁止されない国及びその機関による宗教的活動又は宗教上の行為が存在し得ることは明らかである。


 (2) 公式参拝の憲法適合性に関する考え方
 靖国神社公式参拝が憲法第二〇条第三項で禁止される「宗教的活動」に該当するか否かについては、討議の過程において、多様な意見が主張された。これらの意見の対立は、おおよそ次のように集約することができる。

 (その一) 憲法第二〇条第三項の政教分離原則は、国家と宗教との完全な分離を求めるものではなく、靖国神社公式参拝は同項で禁止される宗教的活動には当たらないとする意見
 (その二) 最高裁判決の目的効果論に従えば、靖国神社公式参拝は神道に特別の利益や地位を与えたり、他の宗教・宗派に圧迫、干渉を加えたりすることにはならないので、違憲ではないとする意見
 (その三) 最高裁判決の目的効果論に従えば、我が国には複数の宗教信仰の基盤があることもあり、靖国神社公式参拝は現在の正式参拝の形であれば問題があるとしても、他の適当な形での参拝であれば違憲とまでは言えないとする意見
 (その四) 公的地位にある人の行為を公的、私的に二分して考えることに問題があり、①私的行為、②公人としての行為(総理大臣たる人が内外の公葬その他の宗教行事に出席するごとき行為)、③国家制度の実施としての公的行為、の三種に分けて考えるべきであるが、閣僚の参拝は②としてのみ許され、その故に、私的信仰を理由とする不参加も許されるとする意見
 (その五) 憲法第二〇条第三項の政教分離原則は、国家と宗教との完全な分離を求めるものであり、宗教法人である靖国神社に公式参拝することは、どのような形にせよ憲法第二〇条第三項の禁止する宗教的活動に当たり、違憲と言わざるを得ないとする意見
 (その六) 本来は(その五)の意見が正当であるが、最高裁判決の目的効果論に従ったとしても、宗教団体である靖国神社に公式参拝することは、たとえ、目的は世俗的であっても、その効果において国家と宗教団体との深いかかわり合いをもたらす象徴的な意味を持つので、国家と宗教とのかかわり合いの相当とされる限度を超え、違憲と言わざるを得ないとする意見
 しかし、憲法との関係をどう考えるかについては、最高裁判決を基本として考えることとし、その結果として、最高裁判決に言う目的及び効果の面で種々配意することにより、政教分離原則に抵触しない何らかの方式による公式参拝の途があり得ると考えるものである。

 この点については、最高裁判決の解釈として、靖国神社に参拝する問題を地鎮祭と同一に論ずることはできないとの意見もあったが、一般に、戦没者に対する追悼それ自体は、必ずしも宗教的意義を持つものとは言えないであろうし、また、例えば、国家、社会のために功績のあった者について、その者の遺族、関係者が行う特定の宗教上の方式による葬儀・法要等に、内閣総理大臣等閣僚が公的な資格において参列しても、社会通念上別段問題とされていないという事実があることも考慮されるべきである。

 以上の次第により、政府は、この際、大方の国民感情や遺族の心情をくみ、政教分離原則に関する憲法の規定の趣旨に反することなく、また、国民の多数により支持され、受け入れられる何らかの形で、内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社への公式参拝を実施する方途を検討すべきであると考える。

 ただし、この点については、前記(その五)、(その六)記載のとおり異論があり、特に(その六)の立場から、靖国神社がかつて国家神道の一つの象徴的存在であり、戦争を推進する精神的支柱としての役割を果たしたことは否定できないために、多くの宗教団体をはじめとして、公式参拝に疑念を寄せる世論の声も相当あり、公式参拝が政治的・社会的な対立ないし混乱を引き起こす可能性は少なくない、これらを考え合せると、靖国神社公式参拝は、政教分離原則の根幹にかかわるものであって、地鎮祭や葬儀・法要等と同一に論ずることのできないものがあり、国家と宗教との「過度のかかわり合い」に当たる、したがって、国の行う追悼行事としては、現在行われているものにとどめるべきであるとの主張があったことを付記する。


六 閣僚の靖国神社公式参拝に関して配慮すべき事項

 政府は、前記靖国神社への公式参拝を実施するに当たっては、以上のような種々の立場からの意見が存在することに留意するとともに、以下の事項についても、十分検討し、配慮すべきである。

 (1) 公式参拝の方式の問題
 靖国神社への公式参拝を実施する場合には、儀式の主催者の問題(例えば遺族会主催の行事が行われる場合にするか)、追悼の方式の問題(例えば正式参拝以外の方式にするか)、当該行為の行われる場所の問題(例えば社頭で行うか)等、具体的に検討を要する点は多々あろうが、政府は、社会通念に照らし、追悼の行為としてふさわしいものであって、かつ、その行為の態様が、宗教との過度の癒着をもたらすなどによって政教分離原則に抵触することがないと認められる適切な方式を考慮すべきである。

 なお、その際、最高裁判決が言う目的・効果に関し、同判決が言及するように、相当とされる限度を超えて、宗教的意義を有するとか、靖国神社、あるいは、同神社の活動を援助、助長、促進し、又は、他の宗教・宗派に圧迫、干渉等を加えるなどのおそれのないよう、十分慎重な態度で対処する必要があろう。

 (2) 合祀対象の問題
 討議の過程において、靖国神社に合祀される対象については、「国事に殉じた人々」とされているものの、例えば、明治維新前後においていわゆる賊軍と称せられた人々が祀られていないことや、極東軍事裁判においていわゆるA級戦犯とされた人々が合祀されていることなどには問題があるとの意見があった。

 しかし、合祀者の決定は、現在、靖国神社の自由になし得るところであり、また、合祀者の決定に仮に問題があるとしても、国家、社会、国民のために、尊い生命を捧げた多くの人々をおろそかにして良いことにはならないであろう。ただし、政府は、公式参拝を実施する場合、これらの点は依然問題として残るものであることに留意すべきであろう。

 なお、一般の戦争犠牲者及び人命救助や災害時の安全確保などに尽くして亡くなった人々も、靖国神社に祀られるべきであるとの意見があった。

 (3) 国家神道・軍国主義復活の問題
 国民の一部に、靖国神社公式参拝は戦前の国家神道及び軍国主義の復活に結びつくおそれがあるとの意見があり、討議の過程においても、そのような靖国神社へ公式参拝することは問題であるとの意見があった。

 しかし、現在、靖国神社は他の宗教法人と同じ地位にある宗教法人であり、戦前とは性格を異にし、また、憲法上も、国家神道の復活はあり得ない。いわゆる軍国主義の問題に対しても、憲法上の歯止めが存することや、現在の靖国神社は戦没者追悼と平和祈念の場となっていることを見れば、そのような懸念はないと言うべきであろう。ただし、靖国神社がたとえ戦前の一時期にせよ、軍国主義の立場から利用されていたことは事実であるし、また、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、時としてそれに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられたことも事実であるので、政府は、公式参拝の実施に際しては、いささかもそのような不安を招くことのないよう、将来にわたって十分配慮すべきであることは当然である。

 (4) 信教の自由の問題
 靖国神社への参拝という行為は、宗教とのかかわり合いを持つ行為である。したがって、政府は、内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社参拝に当たっては、憲法第二〇条第二項(信教の自由)との関係に留意し、制度化によって参拝を義務付ける等、信教の自由を侵すことのないよう配慮すべきである。

 (5) 政治的対立、国際的反応の問題
 討議の過程において、靖国神社公式参拝の実施は過度の政治的対立を招き、あるいは、国際的にも非難を受けかねないとの意見があった。

 政府は、この点についても、そのような対立の解消、非難の回避に十分努めるべきであろう。


七 新たな施設の設置

 靖国神社公式参拝の問題に関連して、一部メンバーから、この際、戦没者のみならず、社会や人々のために平時の生活の中で自らの生命をなげうち、人命救助や安全確保などに尽くして亡くなった人々をも併せ追悼する公的な施設を新たに設置し、この新たな施設においては、宗教・宗派の別なく全く自由な追悼の方式が認められるべきである等の意見があった。

 しかし、この新たな施設の設置そのものは十分考慮に値することではあるが、かかる施設が設置されたからといって、大方の国民感情や遺族の心情において靖国神社の存在意義が置き換えられるものではないし、また、このことは、我々に課せられた要請に必ずしも直接関係する問題ではないと思われたので、具体的な検討は行わなかった。


八 終わりに

 政府は、以上の懇談会の意見を検討の上、閣僚の靖国神社公式参拝について適切な措置を取られたい。


(昭和60年8月9日)

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