新宿御苑(読み)シンジュクギョエン

デジタル大辞泉 「新宿御苑」の意味・読み・例文・類語

しんじゅく‐ぎょえん〔‐ギヨヱン〕【新宿御苑】

東京都新宿区から渋谷区にまたがる公園。もと、信州高遠たかとお藩主内藤氏の下屋敷で、明治12年(1879)宮内省所管となり、昭和24年(1949)に公園として開放。現在は環境省所管。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「新宿御苑」の意味・読み・例文・類語

しんじゅく‐ぎょえん‥ギョヱン【新宿御苑】

  1. 東京都新宿区・渋谷区にまたがる環境省所管の国民公園。もと信州高遠城主内藤氏の下屋敷のあった所で、明治一二年(一八七九)宮内省所管となり、昭和二四年(一九四九)に公園として開放された。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「新宿御苑」の解説

新宿御苑
しんじゆくぎよえん

[現在地名]新宿区内藤町、渋谷区千駄ヶ谷六丁目

明治五年(一八七二)江戸時代に信濃高遠藩内藤家の下屋敷であった地のうち、九万五千六三六坪余の地が四千八五七円で大蔵省に買上げられて、内藤新宿試験場となった。翌六年周辺の地(現千駄ヶ谷六丁目など)をさらに加えて、総計一七万四千九三二坪余となり、同年一一月、内務省設置に伴い同省勧業寮の所管となった。この内藤新宿試験場は東京府下に散在していた試験場を統轄し、明治維新後に海外から渡来した動植物適否を試験するために設けられたもので、農業・園芸・牧畜の改良が行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「新宿御苑」の意味・わかりやすい解説

新宿御苑 (しんじゅくぎょえん)

東京都新宿区,渋谷区にまたがる面積58.3haの庭園。江戸時代は信州高遠藩主内藤家の下屋敷であった。1872年(明治5)政府の殖産興業政策から隣接地をあわせて大蔵省所管(のちに内務省)の内藤新宿試験場となり,牧畜,園芸の改良が行われた。このため日本の園芸発祥の地とされる。なお,内務省管轄下で農業,園芸の教育施設として場内に設置された農学寮はのち農学校と改称,さらに駒場へ移され駒場農学校(東京大学農学部の前身)となった。79年宮内省の管轄に移されて新宿植物御苑となり,西洋花卉(かき),蔬菜,温室などの研究施設となった。しかし1900年パリ万国博覧会が開かれたころから,植物御苑を宮廷庭園に改造しようとの構想が進み,02年から5ヵ年計画で造成が開始される。設計はベルサイユ園芸学校教授アンリ・マルティネ,監督は福羽逸人と市川之雄があたった。北東部の玉川園と称する内藤家伝来の日本庭園と御殿を残し,東端の正門を入ったあたりは花壇とプラタナス並木による整形式に,他はイギリス風景式の庭園に改造,大芝生と花壇との接点には宮殿(未着手)を計画した。1906年,6ヵ所の池,花卉園,果樹園,蔬菜園,動物園(1926年廃止,現在は日本庭園)を備えた西洋風宮廷庭園が完成した。大正時代以降は皇室等の観桜,観菊の宴に使われ,戦後園遊会が催されている。第2次大戦で戦災をうけたが,49年から国民公園として公開され,都心地の貴重かつ大規模な庭園として親しまれている。現在は環境省所管となっている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「新宿御苑」の意味・わかりやすい解説

新宿御苑
しんじゅくぎょえん

東京都の新宿区と渋谷区にまたがる公園。面積は約 58万 3000m2。もと江戸時代,信濃国高遠藩主内藤氏の下屋敷で,安永年間 (1772~80) の築造と推定される。明治初期は果樹,野菜,養蚕,製茶などの指導農場の役割を果し,1879年宮内省の所管となってからは,花卉,野菜,果樹の温室栽培が行われ,日本の園芸農業の発祥地となった。 1901年から5ヵ年計画で庭園に改造,皇室領として国家的行事に利用された。第2次世界大戦後は公園として一般に開放され,71年7月以降は環境庁 (現環境省) の所管。明治,大正期の造園を代表する名園で,日本式,洋式の庭園があり,園芸試験場の歴史を受継いで菊や温室花卉などが多いのも特色。 89年昭和天皇崩御の際には「大葬の礼」がとり行われた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「新宿御苑」の意味・わかりやすい解説

新宿御苑
しんじゅくぎょえん

東京都新宿区、渋谷区にまたがる広大な国民公園。江戸時代、雑木林の続く武蔵野(むさしの)台地で、信州(長野県)高遠(たかとお)藩主内藤家の下屋敷のあった所。当時は玉川上水が引かれ玉川園とよばれた。1872年(明治5)国有地となり農事試験場が置かれ、1879年宮内省管轄の新宿植物御苑となり、フランスのアンリ・マルチネの設計によって純フランス式庭園として1906年(明治39)完成。面積約58万平方メートル、西洋庭園・日本庭園と児童遊園のほか大温室があり、第二次世界大戦後1949年(昭和24)に国民公園として開放された。JR新宿駅の南東約500メートルにあり、北端に新宿通り(甲州街道・国道20号)が通る。北東端近くに玉川上水の碑がある。

[沢田 清]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「新宿御苑」の意味・わかりやすい解説

新宿御苑【しんじゅくぎょえん】

東京都新宿・渋谷両区にまたがる国民公園。面積約58万m2。江戸時代は高遠藩内藤氏の下屋敷。1879年以降,宮内省所管の植物御苑として,日本で初めてヒマラヤスギ,プラタナスなどの樹木を輸入,1906年にはフランス人H.マルティネ設計の洋式庭園が完成し,現名称となった。第2次大戦後厚生省に移管,現在は環境省所管,1949年から一般に開放。熱帯・亜熱帯植物の大温室があり,観菊,観桜でも有名。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

事典 日本の地域遺産 「新宿御苑」の解説

新宿御苑

(東京都新宿区内藤町11)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

事典・日本の観光資源 「新宿御苑」の解説

新宿御苑

(東京都新宿区)
さくら名所100選」指定の観光名所。

新宿御苑

(東京都新宿区)
新東京百景」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android